最近の更新・修正状況。
別の記事(アクセス数が多い「京都の寅年の山」の記事)に定期的に張り付けていましたが、気付かない方もいらっしゃるようなので、独立した個別の記事としておきます。
放置していた間、心配してくださった方々、ありがとうございました。

法輪寺さんのトラ(虎)。いわゆる「嵐山虚空蔵」。京都市西京区。
過去に撮影した写真ですが、2022年(令和4年)の寅年に向けての1枚ということで。
その虎の写真ばかりだなと言われそうですが、昔から妙に好きなのですよね。
実は、私がカンザクラ(寒桜)について学ぶきっかけとなったお山(お寺さん)でもあります。
近況
これも別の記事の細かな追記部分で少し申し上げましたが、2019年(令和元年)の夏以降、精神的な問題から長文を書けなくなってしまいました。
最近になり、ようやく筆を執る……、キーボードをタイプする気力のようなものが少し戻ってきたので、細かな修正を行っています。
そのうち、山積みとなっている話の種を消化するべく、新しい記事も書けるようになる、かもしれないので、気長にお待ちください。
山や史学、民俗学的な話は、X(旧Twitter)で独り言として述べています。
それでは皆様、良いお年を。
京都における「寅年の山」全般については上の記事に。
上の記事に掲載している法輪寺さんの写真と、今回の記事に掲載している写真は別の年に撮影しています。
丑年の山にして寅年の山でもある「艮山」については上の記事に。
最近の主な更新・修正 2019年頃まで
宇治市の仏徳山や朝日山が、国の史跡名勝天然記念物、名勝「宇治山」に指定される (されました)ことが決まり、そのことを私なりに記念した記事を書こうかと思いましたが、時間が取れそうにないため、過去に公開した上の記事に追記や補足を行っています。
名勝「宇治山」の選定理由に沿った内容と言えるでしょう。
上記について、主な修正は2019年に行いましたが、その後も新しい話を細かく追記しています。
これは宇治に対する私なりの感謝の気持ちのようなものです。
現状、インターネット上では私の記事でしか触れていない話ばかりですので、宇治周辺の山々に興味がある方はご一読ください。
福知山の鬼ヶ城と茨木童子の話について、上の記事に追記しています。
これは明智光秀さんが大河ドラマの題材となるらしいと聞いたので、それに合わせて。
お蔭山の一等三角点「御影山」から、蘇鉄山の一等三角点「大浜公園」に移設された経緯について、あるいは、大阪城の一等三角点「天守台」と、二等三角点「大阪城」が設置された経緯について、上の記事に追記しています。
厳密には、元々、本文に書いていた記事が長くなってきたので、「余談」として分けただけです。
最近の主な更新・修正 2021年~2022年
鈴鹿山脈の最南端はどこと考えられるかについて、上の記事に補足しています。
この件については、私の記事が与えた影響が思いのほか大きかったようで、何事も中途半端な内容はよくないなと痛感。
ちょっとした小話と、比叡山西山の周辺に所在したと考えられる高祖谷山と御所谷山について追記しています。
記事の本題とは無関係ですが、八瀬村の大黒林と八町林について追記しています。
新サンドイッチ山について、個人的な見解も含め、上の記事に追記しています。
石山坂本線の「大津市役所前駅」(別所駅)の前身にあたる「兵営前駅」(歩九・三大)について、上の記事に追記しています。
滋賀県(近江国)における他の「景勝」のリストを追記しています。
「鯖野嶺」についての情報を募集しています。
大原の翠黛山と小鹽山(小塩山)の呼称について、上の記事で補足しています。
とくに翠黛山と『平家物語』の件は決定版とも言える内容だと自負しています。
また、静原側から「河合谷山」と呼ばれていた山や、あるいは「神踏山」なる山についての私見を述べたうえで、情報を募集しています。
上賀茂の「神山(こうやま)」と古歌に見える「賀茂の神山(かみやま)」は別の山と考えられていた可能性があるという話を上の記事に追記しています。
この件は中途半端になっているので、気が向いたらもう少し追記します。
細かな山名について、まだ書いていない(書けていない)話があります。
紀泉アルプスの大福山の読みは「だいふくやま」ではなく「おおふくやま」だと地元の方よりご指摘いただいたので、その件について、上の記事に追記しています。
紀泉アルプスの懴法ヶ嶽と籤法ヶ嶽の件について、上の記事で軽く触れてはいましたが、大福山の件と合わせて、少しだけ補足しておきました。
あくまでも元から書いていた話に付け足した扱いです。
新和歌浦に横たわる章魚頭姿山(高津子山)の山名について、上の記事に追記しています 。
(※本題から外れて長くなりましたので、下の記事に分離しました)
章魚頭姿山(高津子山)の山名について、上の記事に独立しました。
紀泉アルプスの雲山峰の「読み」や「雨ヶ森」(雨が森)について、数年前、上の記事に追記していましたが、その件で少し補足しています。
時間が取れたら、八大龍王社について追記します(→追記済)。
大岩山の山名について、上の記事に少しだけ追記しています。
この件も時間が取れたらもう少し追記します。
伏見区の稲荷山の東、山科区に所在する三角点239.0m峰、西野山とも二石山とも呼ばれる山の呼称について、数年前、中途半端に書きかけて放置していましたが、現状での私の見解を述べておきました。
大岩山の山名の件と合わせて目を通していただくと、より分かりやすいかもしれません(この両座の山名の変遷には関わりがあると考えています)。
両記事で述べた私見を補完する史料も手元にありますが、なかなか追記する時間を取れません。
「供水峠の由来」について、ちょっと困ったことになっているので、より正確な内容に改めておきました。
この山の山名は日野岳か日野山かについて私見も述べています。
いつの間にやら、インターネット上で「空鉢峰」に「くはちのみね」と振り仮名を振る記事が散見されるようになりましたので、空鉢峰の読みについて、上の記事に追記しておきました。
「空鉢峰」の呼称は、役行者の伝説に見える「空鉢峯」や「空鉢嶽」に由来する可能性がありますので、その件も追記してあります。
2021年(令和3年)の写真測量により、2022年(令和4年)2月1日付で東赤石山の最高標高が変化した件について、上の記事に注記しました。
いわゆる大文字山に設置される三角点「鹿ケ谷」の標高値が466.0mから465.4mに改定された時期について、上の記事に追記しています。
大文字山の標高は466.0mから465.4mに改定された後、2014年(平成26年)に465.3mと改定され、現在に至ります。
いわゆる木列坂について、上の記事に追記しています。
これは長くなるのでできれば避けたかったのですが、現状、ネット上では公平性に欠ける説が流布しているようですので、やむを得ません。
本題とは関係ありませんが、小野篁の「子子子子子子」も取り上げておきました。
彦根の龍潭寺さんと石田三成、あるいは清涼寺さんと島左近について、上の記事に少しばかり追記しています。
あくまでも元から書いていた話に付け足した扱いです。
江戸時代以降における織田信雄の評価について、上の記事に少しばかり追記しています。
あくまでも元から書いていた話に付け足した扱いです。
かつて、長命寺で仏様に奉納されていたと考えられる乳房と、画家、中澤弘光の画や紀行文について、上の記事に追記しています。
私と同様、中澤は津田の地を気に入ったようで、紀行文に「津田村という所を、同好の友に紹介したいと思う」と見えます。
「清水山」の読みと、「𡶌部神社」の「𡶌(いそ)」の文字について、上の記事で補足しています。
『見た京物語』と『見ぬ京物語』について、上の記事で補足しています。
五升庵蝶夢の俳句に見る「大文字」の送り火について、上の記事に追記しています。
岡五雲の俳句に見る「大文字」の送り火と月見について、上の記事に追記しています。
かつて、「大文字の送り火」の夜には何が起きていたか?
吉井勇の歌に見る大文字や妙法、舟形の送り火について、上の記事に追記しています。
知見や知坂(知井坂)、八原の由来について、上の記事で補足しています。
あくまでも元から書いていた話に付け足した扱いです。
北桑田郡神吉村(現在の南丹市八木町神吉)の山でも行われた点火行事について、上の記事に追記しています。
元から書いていた「京都府下の大文字の送り火」の話に付け足した扱いです。
最近の主な更新・修正 2023年~
近江八幡市の鶴翼山(八幡山)の旧称とされる比牟礼山や法華山について、上の記事で軽く補足しています。
菊水山の山名の由来、大角木山と城ヶ越山の旧称と神戸アルプスについて、上の記事に追記しています。
大阪の泉南にもあったポンポン山について、上の記事に追記しています。
余談扱いですが、「岐阜の相場山」について、上の記事で補足しています。
雨雲「丹波太郎」について、上の記事で補足しています。
あくまでも元から書いていた話に付け足した扱いです。
丹波篠山市の白髪岳は「白髪嶽」か「白ヶ嶽」かについて、上の記事で補足しています。
「千ヶ峰」を称する山と、「仙ヶ峰」を称する山が両立していた可能性について、上の記事で軽く触れています。
深山の山頂に所在する神社と、その西麓に所在する天王神社について、上の記事で補足しています。
軽く触れるのみに留めておいた絹掛山と衣笠山の由来について、上の記事で補足しています。
ヒツジグサの由来となった「未の刻」について、上の記事で補足しています。
かつて、仲恭天皇を祀っていたとされる「廃帝社」(塚本社)と、その御陵と見なされていたらしい円丘(廃帝社下円丘)について、上の記事で補足しています。
使用するハイカーが極端に減ってしまった「安祥寺山ハイキングコース」の呼称について、上の記事で補足しています。
上の記事は、適宜、最新の情報に更新しています。
夜泣峠の登山口にあたる神社について、富士神社か冨士神社か、上の記事で補足しています。
記事初稿の公開時と状況が変化しました。
(当サイトとしては)数年ぶりにTV番組さんに協力した件について、上の記事に追記しています。
京見峠と足上山の呼称について、中途半端な状態で放置していましたが、分かりやすい内容に改めておきました。
思子淵神社とシコブチ様について、中途半端な状態で放置していましたが、典拠を分かりやすく整理しておきました。
「牧村の東忠兵衛」について調査が進展したので、上の記事に追記しています。
亀山市加太神武の地名の由来について、上の記事に追記しています。
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