韃靼図(タルタリア図)に見る日本 “Oxote” はどこ?

普段、私が公開する記事からはやや外れた内容ですが、気になることがあったので記録しておきます。
とくに知識がある話でもないので、あくまでも参考程度です。

本記事は当サイトの分かりにくい場所で公開していましたが、一般の記事と同じ形式で再公開しておきます。
内容・構成は元の記事と同じです。元の記事のURLから本記事にリダイレクション処理されます。

『韃靼図』の日本周辺 Meaco Osaquo Oxote などが描かれる
上は国土地理院が公開する『韃靼図』から、いわゆる日本と推定される地域の地図を切り出した画像です。
(※当画像は国土地理院コンテンツ利用規約により、出典を示さず転載できません!)
(※他記事同様、本記事に対するリンクは自由で、報告も不要です)

韃靼図 | 古地図コレクション(古地図資料閲覧サービス)
https://kochizu.gsi.go.jp/items/164
国土地理院 古地図資料閲覧サービス

『韃靼図』は「タルタリア図」とも呼ばれていますが、原題はラテン語で”TARTARIAE SIVE MAGNI CHAMI REGNI typus”(タルタリアまたは大汗国図)。
16世紀後半にヨーロッパで発行された地図で、解説はリンク先に詳しく。

少し補足しておきますと、”SIVE” は「または」、”MAGNI CHAMI REGNI” は「偉大なカーンの王国」。
英文記事では、”(Map of )Tartary, or the Kingdom of the Great Khan.” と紹介される。
“Khan” はタタールやモンゴル、中国の君主・支配者を指し、中世ラテン語では”cham”, “chan”。
また、原図に付属する解説文の題では”MAGNI CHAMI IMPERIVM.” と、王国ではなく帝国としています。

この図は、アントウェルペン(アントワープ)出身でブラバント公国(スペイン領ネーデルラント)の地図作家、Abraham Ortelius(アブラハム・オルテリウス) による”Theatrum Orbis Terrarum” (世界の舞台)(世界の劇場)を題する世界地図帳の1枚ですが、『韃靼図』に描かれる日本については、ポルトガルの地図作家、Bartolomeu Velho(バルトロメウ・ヴェリュ) が1561年頃に作成した図(海図)に描かれる日本を参考にしたと考えられています。
ただし、本題の”Oxote” など、ヴェリュの図には名前が見えず、オルテリウスの図のみ現れる地名もありますので、そのまま複製したわけではありません。
“Theatrum Orbis Terrarum” の初版は1570年に出版されましたが、国土地理院による解説を見るかぎり、上の図は1595年頃の版のようです。
国土地理院による解説に「本図も1570年初版本から17世紀初めまでのすべての本に含まれることとなった」と見えるように、『韃靼図』は初版(53枚の地図)から収録されています(1570年の初版と1579年版に『韃靼図』が含まれるのは私自身で確認しています)。
“Theatrum Orbis Terrarum” に収録される図の多くは版が進むにつれ改定されたようですが、『韃靼図』における日本と推定される地域に限れば、初版と1595年頃の版は同じ図です(が、他地域については細かく精査していません)。
したがって、上の画像で描かれる日本と推定される地域は1595年頃の現況を表したものではなく、1570年以前のものです。

『韃靼図』は、ユーラシア大陸のアジア北東部にタルタリア(韃靼やタタールと呼ばれた地域)や中国、シベリアなどが描かれており、ベーリング海峡が発見される前に描かれた図ですので、アニアン海峡なる想像上の海峡を挟んで北米大陸が描かれています。
図の下方には日本と思わしき島国も描かれており、本記事の主題はそちらです。

本州と九州北部を合わせたような日本の本土は”IAPAN.” と表示され、その内に大きな6ヶ所の地点(街や拠点など)が示されています。
東から西へ、”Osaquo”, “Meaco”, “Minas de plata.”, “Oxote”, “Amanguco”, “Bungo” の6ヶ所。
このうち、”Osaquo” は大坂(大阪)、”Meaco” は都(京都)、”Amanguco” は山口、”Bungo” は豊後に比定されます。
“Amanguco” は、より後世のヨーロッパ製日本地図で、明確に山口と分かる地点に対し、”Amanguchi” と表示されるようになります。
“Minas de plata.” は直訳すると銀鉱(銀山)ですので、おそらく石見銀山(大森銀山)ではないかと考える方が多いようです。
残る”Oxote” が謎で、これがどこを指しているのかよく分からず、少しばかり興味が湧きました。
もし、”Minas de plata.” が本当に石見銀山を指しているのであれば、石見銀山と山口の間に所在すると考えられます。
そこで、少しばかり調べてみると、かつて、益田川の河口付近に「沖手」という大きな港湾集落が栄えていたらしきことが分かりました。
日本海に接した立地と、益田川の水運により栄えていたようですが、河口の潟湖の変動に伴い、集落の中心が移動したと考えられています。
現代における島根県益田市の「沖手遺跡」はその集落跡。

沖手遺跡 – 全国遺跡報告総覧
「沖手遺跡」 市道中吉田久城線道路改良工事に伴う文化財発掘調査報告書
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/13713

沖手遺跡については益田市教育委員会による2010年(平成22年)の報告書が詳しい。
リンク先の下部に表示される「内容が似ている報告書」にも関連報告書あり。

もしかすると、『韃靼図』の”Oxote” は、この幻の港湾都市「沖手」なのかもしれません。
もちろん、異なるかもしれませんし、そもそも存在しない街かもしれません。
あくまでも個人的な興味で適当な話を書いているだけであり、この件については、私は専門的な知識を持ち合わせていません。
石見銀山との位置関係は合わなくなりますが、他の可能性として、たとえば、隠岐の島や大田など。
ヨーロッパ製日本地図では、隠岐を”Oqui” と表示するケースがあります。
あくまでも仮にですが、”Oxote” が隠岐や大田を指すとすれば、”Minas de plata.” は生野銀山を指す可能性も考えられます。
石見銀山にこだわるのであれば、(距離に無理が生じますが、)その搬出港であった沖泊(おきどまり)の可能性も考えられるでしょう。
また、ヴェリュの世界図(における日本と推定される地域)には”minas da prata” が2ヶ所、あるいは『韃靼図』が参考にしたと考えられるヴェリュの西太平洋図(における日本と推定される地域)には、”minas da prata” と”minas da pta” が1ヶ所ずつ描かれており、それら2ヶ所の銀山が混同された可能性もあります。

本州の下には”TONSA.” と表示される島、これはおそらく四国を指しています。
地図の上では伊予のあたりにも見えますが、”S Thoncas” の街は一条氏の本拠地だった土佐中村でしょうか。
左下の島に示される”Cagaxuma” の街は鹿児島だと考えられます。
都や大坂との位置関係から見て、右下の半島は房総半島ではなく紀伊半島でしょう。
右上の”BANDVMIA.” の地域が坂東で、東日本の扱いが偏っています。
当時のヨーロッパの人の間では、キリスト教布教の観点から、西日本中心の図になるのは当然とも言えますが、大友氏の豊後大分はもちろん、後に明治維新の立役者となる山口や高知、鹿児島といった国の街も、戦国時代頃の日本で栄えていたことが伝わりますね。

本記事に対するアクセスも増えていますので、少し補足しておきます。
JAPAN.” や”BUNGO”, “BANDUMIA.” の広域的な地域名について、原図では”IAPAN.” や”BVNGO”, “BANDVMIA.” と表示していますが、これは当時のラテン語で、大文字に限り、”J” の子音字や”U” の母音字も”I” や”V” と表記しているだけであって、地図全体に視野を広げて他地域も確認すれば、”J” や”U” の意であることが察せられます。
たとえば、”THEBET” の上の”CAINDU.”(原図では広域的な地域名としては”CAINDV.”、地点名としては”Caindu”)は、写本の系統にもよりますが、よく知られるマルコ・ポーロの『東方見聞録』で”Caindu” や”Gaindu” とされた、かつて建昌や建都と呼ばれた中国でも西方(四川)の地域で、後世の日本では「カインヅ州」(カインドゥ)や「ガインドゥ」などの訳が当てられました。
en.wikipedia の“Xichang”(西昌市)
補足終わり。

他のヨーロッパ製日本地図でも”Oxote” を探してみましたが、(同じくオルテリウスによる他の図を除き、)残念ながら私には発見できません。
これは私の探し方が甘いだけで、よくよく探せば、他の図にも”Oxote” は描かれているかもしれません。

ヨーロッパ製古地図に見るアジア・日本
https://www.lib.kyushu-u.ac.jp/ja/exhibition/europeanmap
九州大学附属図書館

一例として、九州大学附属図書館さんが公開なさる古地図集をリンクしておきますので、興味がある方は探してみてください。
もし、他の地図でも”Oxote” を発見できた方がいらっしゃったら、コメント欄で教えていただけると幸いです。

追加。

1600s Maps
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/00/suema00000001cyb.html

1700s Maps
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/00/suema00000001d78.html

1800s Maps
https://shinku.nichibun.ac.jp/kichosho/new/books/00/suema00000001dd2.html

国際日本文化研究センター

追記。
他の地図にも石見国に”Oost” の地名が見え、”Oxote” と同義の可能性があるのではないかと考えています。

Carte de l’empire du Japon,
Dressée sur les auteurs japonois, sur les mémoires des portugais et des hollandois.
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b530697537/f1.item.zoom
フランス国立図書館 デジタルライブラリ

18世紀フランスの地図作家、Jacques-Nicolas Bellin(ジャック・ニコラ・ベラン) が1734年に作成した日本地図(日本帝国図)です。
本題とは無関係ですが、対馬海峡や朝鮮海峡付近に”MER DE COREE”(朝鮮海)と表示しています。

Carte de l’empire du Japon,
Dressée sur les auteurs japonois, sur les mémoires des portugais et des hollandois.
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b53069754p/f1.item.zoom
フランス国立図書館 デジタルライブラリ

同じくベランが1735年に作成した日本地図です。
ベランはこの後も何度か日本地図を作成していますが、とくに1735年版が他のヨーロッパ製日本地図に与えた影響は大きかったようです。
地図そのものも1734年版と異なりますが、”MER DE COREE” が日本海全体に広がっています。

新精確日本帝国図
https://collection.kyuhaku.jp/gallery/3014.html
九州国立博物館 収蔵品ギャラリー

ウェールズ出身の地図作家、Emanuel Bowen(エマニュエル・ボーウェン) が作成した日本地図です。
リンク先の解説に、「ベランの日本図を模したと註記されている」「日本海を『The Sea of Korea』と書いているのが興味深いところである」と見えるように、諸島の形や地名の配置において、ベランが1735年に作成した日本地図の影響を受けています。
en.wikipedia の記事によると、ボーウェンはイギリスとフランス両国王室御用達の地図製作者であり、これは異色の経歴の持ち主だとしています。

L’empire du Japon.
divisé en sept principales parties, et fubdivisé en foixante et fix Royaumes,
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b5963185p/f1.item.zoom
フランス国立図書館 デジタルライブラリ

ボーウェンから僅かに遅れて、フランスの地図作家、Gilles Robert de Vaugondy(ジル・ロベール・ド・ヴォゴンディ) が作成した日本地図です(”Vaugondy” の発音はヴァガンディのほうが近い?)。
地名の配置など、全体的にボーウェンの日本地図と類似点がきわめて多く見られますが、こちらは日本海を”MER DU JAPON”(日本海)、太平洋を”MER DES INDES ORIENTALES”(東インド海)と表示しており、ただ模したわけではありません。
その後、オランダの地理学者、Willem Albert Bachiene(ウィレム・アルベルト・バチエン?)も、ボーウェンの日本地図を複製した地図 を出版しています。

まず、前提として、これらの地図における地名の所在は必ずしも正確ではありません。
たとえば、都(京都)の下に伏見、その左下に淀らしき地名が描かれており、これはおおむね正しいと言えますが、なぜか、右上に”Nara” と示されています。
これがいわゆる奈良を指すのであれば、所在地については誤りと言えるでしょう。
また、都の上から左上にかけて、長岡や若山、高槻らしき地名も描かれていますが、並びはともかく、それらが都より北に所在する点において正しいとは言えません。

これらの地図で、石見国でも中部から西部寄りの地点に”Oost” の地名が描かれています(が、上記の件を見ても、地図の描写が正確であるか分かりません)。
石見国の地名を精査する必要あるでしょう。

念のために申し上げておきますが、私自身は京都市出身であり、島根県や山陰地方には縁もゆかりもありません(が、もちろん、旅行で訪れたことはあります)。
よって、たとえば、地元びいき的な感情などで、”Oxote” は石西地域ではないか、と考えているわけではありません。
また、”Oost” が”Oxote” だと断定しているわけでもありません。
何が正しいと結論を出せる立場でもなく、あくまでもそういった可能性があると指摘しているだけです。
本記事が昔の地図や地理について興味を持つきっかけとなれば幸いです。

石見国の地名の参考用に。

石見国 山陰道図
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00020047
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ

天保国絵図 石見国
https://www.digital.archives.go.jp/img.L/763966
国立公文書館 デジタルアーカイブ

石見国図
https://library.u-sacred-heart.ac.jp/display_collection/digital_gallaery/Wa291_038_Z3/0986208.html
聖心女子大学図書館デジタルギャラリー

石見銀山の交易と流通経路の資料。

令和元年度・2年度石見銀山遺跡関連講座記録集
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/ginzan/library/publication.data/r1-2kirokusyu.pdf (pdfファイル)
島根県教育委員会(文化財課世界遺産室)

追記終わり。

4 件のコメント

  • 自分は隠岐諸島→oxoteではないかと思いました。
    まぁ島じゃないから響きが似てるというだけですが、、、汗

  • 初めまして。

    ポルトガル語話者の私からの眺めですと、
    Oxoteはオショーテで隠岐島でしょうかね。。。
    Bungoはもちろん豊後(ぶんご)
    Bvngoも豊後(vは発音しない子音かと)
    Amangucoは山口
    Meacoは都で京都
    Insule civitas primariaは最初の女性市民権のことのようですね。

    Osaquoは大阪か大坂かオオサコ
    Minas de plataはもちろん銀の採掘地で生野銀山?
    Ban Dvmia.は磐梯?
    (この例でもvは発音しない子音かと思います)

    Tonsaは土佐?
    Cogaxumaは鹿児島か古賀島
    Taxuma 7. Islasは薩摩(列島)で7つの島?

    とても楽しく拝見しました!

    • コメントありがとうございます。
      私も”Oxote” は隠岐の可能性があると考えています(が、断定できません)。
      “BANDVMIA.” は国土地理院さんの記事に見える「板東」を指しており、それはおそらく「坂東」の意だと判断いたしましたが、なるほど、磐梯の可能性もありそうですね。
      大変参考になりました。
      また何かお気付きの点がございましたら、よろしくお願いいたします。

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    Maro@きょうのまなざし

    京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!