こんにちは、こちらはMaroです。
新しい記事もろくに投稿せず、何を遊んでいるのかと言われそうですが、空いた時間に過去の記事を修正していますので、「最近の更新・修正状況」からご確認ください。
ところで、私、Maroの名言は、
- 山に登ると、自分が小さくなります。自分が小さくなると、世界が広くなります
- 夜空に浮かぶ月は、人間にとって最初の時計だった
- 花は言葉を持たないけれど、色や香りで心に語りかけてくる
なのだそうです。
そのようなくさい……、いや、甘いセリフを申した覚えはございませんが、これからは私の名言ということにしておきましょう。
Bing AIチャット
意味が分からない、いよいよ頭がおかしくなったのか、いや、それは元からかと思われそうですが、これは、Microsoft BingのAIチャット(を搭載した新しいBing)との対話の成果です。
記事初稿を公開した時点では、PCの場合、Microsoft Edgeブラウザから上のアドレスにアクセスし、順番待ちリストへ参加して招待されれば開始できます。
ですが、今後、どうなるかまでは分かりかねます。
このAIさんについて、現状ではネット上の検索結果に頼る部分が大きく、明らかな誤りを拾うケースも目立ちますので、発展途上とは感じます。
データベース参照型の文章自動生成プログラムといった印象を受けますが、同じ質問をしても、数日前とは返答が大きく変化する場合もあることから、現時点での記録を残しておくことにしました。
大半の方にとっては興味が湧かない内容でしょうが、AIさんによる、私(や当サイト)についての捏造 創作活動が、個人的には興味深いものがあります。
記事として公開することにより、AIさんはこの記事を拾い、それを学習するでしょうから、ある種の哲学的なパラドックスが生じる可能性もあるでしょう。
これは自身で試した短歌のケースで確認しています。
※
私自身を話の種としているのは著作権の関係です。
2023年2月27日 時点
要約
「要約すると~」以降は、当サイトのキャッチフレーズをそのまま表示しただけですので、AIさんが創作したわけではありませんね。
続けて、提示された選択肢から選びます。
“kyotocity.net” のドメインを2005年から抑えているのは事実ですが、当初はクローズドサイトでした(ドメインのトップページがダミーなのは、その当時の名残)。
参照元のリンク先は、もちろん、当サイトの記事ですが、その先にも「2007年に変更」などとは記されておらず、AIさんが創作しています。
ただ、その後の「毎月約10万人のアクセス」は、それなりに正確な値を示しています。
当サイトではそういった情報を公開していませんが、Bingさんが収集したデータでしょうか。
あるいは雑に適当な数字を示しただけ?
続けて、提示された選択肢から選びます。
これはサイト上の「人気記事」から拾ってきたようですね。
当サイトは検索結果から訪れる方が多めですから、どの記事が人気となるか、それは世間の流行りにも左右されますので、なんとも言えません。
これに限らず、文面が当サイトからの引用の範囲を超え、もはや転載に見えますが、今後、法的な問題はどうなるでしょうね。
わざわざ申し上げるまでもありませんが、どなたに限らず、引用元を明示していただければ、当サイトの記事はご自由に引用なさって結構です。
ここでリセット。
名言
これは本記事の冒頭に記しています。
「本を書いたことはありません」は、名義が異なるのでAIさんが知る由もないだけで、事実ではありません。
なお、2023年2月23日の時点では、同じような質問に対して、
- 山に登ると、人生が見える
- 花鳥風月を楽しむことは、心を豊かにすることだ
- 京都は歴史と自然の宝庫だ。その中で暮らすことは幸せだ
- 写真は言葉よりも強い力を持つ。写真で伝えたいことがある
と返答してきました。
4日間で大きく変化していますね。
自身では、私はこのようなことは言わないだろうと考えますが、これはいかにも私が言いそうだと何人かの方がおっしゃるので、私が言ったことにしておきます。
※2023年3月3日、追記。
Googleさん等の検索エンジンで検索するかぎり、3月3日の時点で、記事冒頭の3つの名言と、上の4つの名言は、本記事と私のTwitter 以外、インデックス登録されていないことを確認済です。
したがって、少なくともネット上では私が発祥と考えられ、他者によるものではありません。
仮にですが、この状況で、これらは私が創作したものだと主張した場合、その著作者は誰となるのでしょうね。
これらは当サイトの適当な記事から引いてきたであろう、簡単なフレーズを組み合わせたものに過ぎず、独創性・独自性はないとも考えられますが、さらなる長文となった場合はどうでしょうか。
本記事は、あくまでも実験を目的としたお遊びです。
追記終わり。
続けて、提示された選択肢から選びます。
琵琶湖から富士山は見えませんね。
日本百名山はともかくとして、「近江富士」三上山や、「都富士」比叡山のことを指しているのでしょうか。
続けて、提示された選択肢から選びます。
自画自賛したいわけではなく、結果を確認したいだけでしたが、面白みがありません。
「面白み」と変換して思い出しましたが、「~み」は接尾語だから、「うまみあふれる」や「うまみたっぷり」の「うまみ」は原則として「うまみ」であって、(調味料を除き、)「うま味」や「旨味」と書くことはできない、といった内容の記事をNHK放送文化研究所さんのサイトで目にしました。
なるほど、と思いましたが、江戸時代中期の『見た京物語』では、「噛占て美味なし」の「美味」に「うまみ」と振り仮名を振ってるのですよね。
(損得的な)「うまみがない」の意と掛かってはいるものの、この「美味」は味の表現ですので、誤りとはいえないケースなのでしょうか。
ここでリセット。
展望
「見えるもの」に「観察できるもの」の意も含んでいるようですね。
それはそれとして、展望については、現状では当サイトを最初に参照しており、正確性がある(と自負している)記事を優先しているのは良いですが、いつまで維持できるかは分かりません。
学習しだいです。
ここでリセット。
短歌
- 大文字や 夏の終わりを 告げるかと 思いきやまだまだ 暑い日が続く
これは2023年2月23日に同じ質問をした際、私の作品としてAIさんが提示してきた歌です。
それをAIさんの創作として他所で紹介したので、このような結果となったのでしょう。
その時点では「季節感と皮肉」の部分はなく、今回、新たに追記してきました。
ここでリセット。
参照しているのは当サイトや私のTwitter ですね。
- 送り火や 京都の夜空に 燃える思い あなたと見たかった 大文字の灯火
どうやら、これも私の作品らしいので、そういうことにしておいても構いません。
2023年2月22日に同様の質問をした際、AIさんは「藤原定家が大文字山や五山送り火に関する歌を多く詠みました」と主張していました。
弘法さんの創始とする伝説はともかくとして、藤原定家の時代に大文字山の送り火が歌に詠まれる可能性はありません。
もし、ある時代に、都から目立つ山で字跡を描くような送り火を行っていたとすれば、誰かしら歌なり日記なりに記録を残すでしょう。
定家は他の人から伝え聞いた世間の出来事や噂話も自身の日記に細かく記録しています。
続けて、提示された選択肢から選びます。
- 大文字や お盆の終わりを 告げる夜に 涙ぬぐう人も あるやらなしやら
- 大文字の 火が消えても まだ燃えてる 心の中で 見つめ合う二人
京都市公式などに対してもリンクしていますが、歌については全て当サイトを参照していますね。
当サイトの記事から引用したとAIさんが主張している以上、そうなのでしょう。
上の記事で紹介している吉井勇の歌をベース(本歌)として、AIさんが派生歌を創作しているようにも思えますが、いかがでしょうか。
ひとまずここまで。
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