昨年末、2012年(平成24年)12月27日の話。
この日は南海電鉄南海本線の箱作駅を起点として、阪南スカイタウン桃の木台から「紀泉アルプス」と呼ばれる山地を縦走しました。
和歌山県と大阪府の府県境、令制国で申し上げれば紀伊国と和泉国を分ける和泉山脈の山々でも、とくに西部にあたる山域です。
「紀泉アルプス」の呼称は戦前のハイキングガイドブックには見えますので、近年になり命名されたものではありません。
目次
和泉山脈の西端部からは何度か撮影していますが、私には紀泉アルプスの中央部にあたる山域から遠く四国は徳島の剣山を明確に分かる形で撮影したいという数年越しの夢があります(ありました)。
さらに、私にとって馴染みがある、京都の大文字山から見える山域であるという点でも紀泉アルプスの山々に惹かれるものがあり、定期的に足を運んでいる次第です。
箱作~桃の木台から俎石山を登山
紀泉アルプスには過去に何度も訪れていますが、JR阪和線の山中渓駅を起点として、銀の峯第1パノラマを経て雲山峰を登頂し、さらに青少年の森を経て、四つ辻からJR阪和線の紀伊駅へと下るコースを取ることが多く。
この日は気分を変え、桃の木台から俎石山、大福山、懴法ヶ嶽といった山々を縦走し、井関峠、青少年の森を経て、四つ辻から紀伊駅へと下りました。
まずは、南海電鉄の箱作駅から桃の木台へ向かい、桃の木台三丁目や四丁目、あるいは七丁目の東の奥に見える飯ノ峯川の谷間から俎石山(まないたいしやま)に取り付きます。
こちらが昔のメインコースでしたが、自家用車駐車の都合もあり、近年は桃の木台八丁目の南、サンヒル都の裏、阪南スカイタウン展望緑地の道から分かれて取り付くコースが選ばれやすいようです。
桃の木台から登山口に至るまでの道すがら、ニュータウンの高台からは明石海峡大橋が条件よく見えており、これは遠くまで見通せるのではないかという期待に胸が膨らみます。
「見晴し」から泉州や桃の木台の街並みを望む
俎石山の第1休憩所と第2休憩所の間にある展望地からの眺め。
この展望地は、通称「見晴し」(見晴らし)と呼ばれています。
関西国際空港連絡橋、りんくうゲートタワービル(→SiSりんくうタワー)、眼下には桃の木台の街並みが見えています。
上の写真には写っている、つまり、この撮影地点から見えている登山口ですが、山頂の北展望台まで登ってしまうと見えなくなってしまいます。
分かりにくいですが、「登山口」としている地点から右手の谷間に入ります(桃の木台三丁目や四丁目・七丁目を起点とする場合)。
大阪府/泉州地域近畿自然歩道マップ
https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/24913/0229sennshuutizuura.pdf (pdfファイル)
参考用に。
上のマップでは、「桃の木台4」バス停留所を起点とするコースです。
「桃の木台4」は、阪南市コミュニティバス(さつき号)桃の木台・万葉台コースや、南海ウイングバス阪南スカイタウン線の「桃の木台4丁目」停留所。
さておき、第2休憩所の手前あたりで、先行なさっていた女性2人に追いつきます。
第2休憩所からは雪を被った大峰山脈の山々が見えており、彼女らにそのように申し上げましたが、急な登りにお疲れのご様子。
とても展望どころではなさそうです。
第2休憩所から木々の中を登り、やがて北展望台へ到着します。
俎石山の北展望台からの眺め・景色
大阪湾を一望
俎石山の北展望台(大阪府阪南市、泉南郡岬町)から大阪湾、関西国際空港、明石海峡大橋、六甲山系、淡路島などを一望する。
撮影地点から六甲山最高峰(六甲最高峰)(神戸市北区、東灘区)まで52.2km。
明石海峡大橋の舞子側主塔(北主塔)(神戸市垂水区)まで38.6km。
写真に写る「北展望台」を示す標、過去に何度か訪れたときは別の位置に付けられていました。
この展望地は2001年(平成13年)頃に切り開かれたもので、主に大阪湾方面に対して広い眺望を誇っています。
俎石山は大阪府下に所在する数少ない一等三角点峰(点名「俎石山」)で、とくに本点に限定すれば俎石山のみ。
他に補点として葛城山(和泉葛城山)、石堂ヶ岡、蘇鉄山が一等三角点を有します(生駒山や金剛山の一等三角点は奈良県に所在します)。
かつて、大阪城にも一等三角点「天守臺」(天守台)がありましたが、そちらは昭和初期に廃止(廃点)となりました。
※
ここに差していた蘇鉄山や大阪城の一等三角点についての補足は、記事下部の「余談」に回しました。
俎石山(まないたいしやま)の読み方について
「俎石山」の読みについては、国土地理院の「電子国土基本図(地名情報)」では「そせきざん」と表示されますが、その一方で、地方公共団体(阪南市)の公式サイトでは「まないたいしやま」と紹介しています。
俎石山(まないたいしやま)ハイキングコース/阪南市ホームページ
https://www.city.hannan.lg.jp/kankou/kankospot/asobu/1336443093840.html
また、山でお会いした方の中には「まないた(やま)」と口にする方もいらっしゃるので、なかなか一定しません。
地形図を見てみると、現行の地理院地図に振り仮名は見えませんが、初期の正式図では「俎石山」の「俎」にのみ「マナイタ」と振り仮名が振られているのが確認できます。
次に、過去に遡って「点の記」に目を通してみると、陸軍省の時代から「俎石山」に「マナイタイシ」と振り仮名を振っており、もっとも新しい「点の記」でも「まないたいしやま」としていますので、読みとしては「まないたいしやま」が適切だと考えられます。
ただ、「マナイタイシヤマ」と口にすると長く感じるので、略して「マナイタ」と呼ぶ方もいらっしゃるのでしょう。
「電子国土基本図(地名情報)」は国の基幹となるデータソースですので、長らく鵜呑みにしていましたが、読みについては、どうも怪しいものが(かなり)混ざっているようです。
民間企業の成果で、読みを「ソセキザン」としている地図については、おそらく、「電子国土基本図(地名情報)」の読みをそのまま採用しているだけでしょう。
その後、俎石山の南に所在する大福山でも同様の事例が生じている可能性があることが分かりました。
この山の読みについて、「電子国土基本図(地名情報)」では「だいふくやま」としていますが、地元の方によると「おおふくやま」が正しいとご指摘いただきました。
その件を上の記事で取り上げています。
俎石山の件で追記。
国土地理院が公開する「日本の主な山岳標高」の「和歌山県の山」 では、「俎石山」に「そせきざん」と振り仮名を振っています。
さらに、この「日本の主な山岳標高」をソースとした、「和歌山県統計年鑑」 でも、やはり、「俎石山」に「そせきざん」と振り仮名を振っています(「刊行年度別電子版データ」→適当に年度を選ぶ→「A県土・気象」のxlsxファイルをダウンロードすれば確認できます)。
国土地理院では「読み」を「電子国土基本図(地名情報)」に頼っていらっしゃるので仕方ありませんが、阪南市の対応であったり、「点の記」や旧版の地形図から見て、それが正しい読みかは疑問が残るところです。
箱作(かつての泉南郡下荘村大字箱作)の周辺は古くより和泉石の産地として知られていますが、「俎石」の呼称と関係があるのでしょうか。
俎石山の山名の由来も気になりますね。
現代における阪南スカイタウン桃の木台7丁目の山手あたりに、かつて、大規模な石切り場が所在したらしい(ミノバ石切場跡)。
桃の木台の地区外ですが、その西に箱作細谷石切場跡、さらにその南西に箱作谷川石切場跡も。
あべのハルカス、りんくうゲートタワービルを遠望
俎石山から「あべのハルカス」、りんくうゲートタワービル、関西国際空港連絡橋、大観覧車「りんくうの星」などを望む。
撮影地点から超高層ビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)まで46.8km。
りんくうゲートタワービル(大阪府泉佐野市)まで14.1km。
「あべのハルカス」は手前のビルではなく、遠くに見えているビルです。
手前は「りんくうゲートタワービル」、ならびに、大観覧車「りんくうの星」。
俎石山の北展望台から眺めた場合、両ビルはほぼ一直線上に並ぶ形となります。
京都市の東部に所在する大文字山から「あべのハルカス」までの距離は約50km。
俎石山から「あべのハルカス」までの距離は約47kmで、意外にも、京都市の大文字山から「あべのハルカス」までの距離と大差ありません。
いかに大阪府が南北に長いか分かりますね。
明石海峡大橋を遠望
俎石山から明石海峡大橋、関西国際空港へ向かう飛行機を望む。
撮影地点から志方城山(中道子山)(兵庫県加古川市)まで66.4km。
一等三角点峰だけあって、志方城山(中道子山)も標高のわりには遠くからでもよく目立つ山です。
1916年(大正5年)に発行された『増訂印南郡誌 後編』の「第七章 旗振り信號」に、「而して最も長く續きしは魚橋山にして維新前より繼續し大正三年十二月に之を止めたり」「此他東志方村城山、東神吉村桝田山、神吉村東裏の山等にても旗振信號をなせしことあり、此等は魚橋山の信號を見て之を更に加東郡方面に信號せしものなりといふ」と見え、この山もいわゆる「旗振り通信」の中継点にあたる山だったようですね。
志方の城山はいかにも見晴らしが良さそうな立地条件にありますので、それも頷けます。
脱線ついでに余談、「東神吉村の桝田山」は現在の升田山でしょうが、「神吉村の東裏の山」はどこでしょうね……、古い地形図を眺めてもよく分かりません。
明石海峡大橋より後方に所在する山々については、加古川市や小野市、三木市あたりの低山まではうっすら見えていましたが、それより遠く、播磨や但馬の高峰は肉眼では見えないに等しく。
山頂のみとはいえ、計算上では兵庫県最高峰の氷ノ山を望むことも可能です。
氷ノ山は展望愛好家の間では遠望の山として知られていますが、これは逆もまたしかりで、多くの山々から氷ノ山まで見通せるということです。
京都市在住者のわりには紀泉アルプスの山々をよく訪れているのではないかと考えていますが、こちら方面が開けている俎石山の北展望台や銀の峯の第1パノラマからであれば、必ずしも明石海峡大橋を望めるわけではない……、むしろ、見えない日のほうが多く、大橋を望めただけでも満足です。
関西国際空港の遠くに神戸三宮、摩耶山
俎石山から関西国際空港に着陸する飛行機と、対岸にポートアイランド、神戸三宮方面を望む。
撮影地点から摩耶山(神戸市灘区)まで47.0km。
先ほどの写真で明石海峡大橋の前を通過していた飛行機ですね。
六甲山系でも摩耶山は俎石山から見て真北に近く。
大阪湾の対岸に神戸北西部
俎石山から大阪湾の対岸に鈴蘭台方面、丹生山系の山々を望む。
丹生山系最高峰の稚子ヶ墓山(稚児ヶ墓山)(神戸市北区)まで53.0km。
菊水山(神戸市北区)まで44.6km。
この後、年が明けてすぐに、向こうの菊水山の上から、こちら、和泉山脈や紀泉アルプス方面を望むことになろうとは、このときの私は知る由もなく。
整理の都合で記事を分けます。
続きは上の記事に。
俎石山の北展望台の眺望は素晴らしく、どれだけ眺めていても飽きません。
京都の盆地で生活していることもあり、海を近くに感じる風景に憧れる、というのもあるでしょう。
大阪府は海に接する山域が紀泉アルプスから和泉山脈西端部に限られています。
余談
記事本文で「俎石山は大阪府下に所在する数少ない一等三角点峰で、とくに本点に限定すれば俎石山のみ」としましたが、その件について補足しておきます。
当初は記事本文に記していましたが、さすがに長すぎるので、こちらに分けておきます。
俎石山と直接的な関係があるとは言えない話ですが、だからといって、改めて個別の記事にするほどの内容でもありません。
お蔭山(点名「御影山」)→蘇鉄山(点名「大浜公園」)の一等三角点
俎石山以外、大阪府には蘇鉄山(点名「大浜公園」)にも本点があるといった話を(インターネット上で)目にしましたが、それは誤りだと考えられます。
明治時代に実施された一等三角測量において、まず、約45km間隔で選点・設置された一等三角点の本点を測量し、それを補う形で(本点を含めて)約25km間隔で選点・設置された補点を測量することで、一等三角網を築きました。
大阪湾や大阪平野の周辺(外縁)であれば、釜口山、諭鶴羽山、俎石山、金剛山湧出岳(点名「金剛山」)、六甲山最高峰(点名「六甲山」)の一等三角点が本点です。
釜口山と諭鶴羽山は、それぞれ淡路島北部と南部を代表する高峰で、金剛山や六甲山は改めて申し上げるまでもないでしょう。
これらを踏まえ、一等三角点「大浜公園」の「点の記」に目を通してみると、1885年(明治18年)の選点時は現在地と設置点が異なり、点名も「御影山」だったことが分かります。
当時の「点の記」では、「地名 堺區大濱通リ三丁目字御影山(俗称 困窮山)ノ頂上ニシテ海岸砲臺ノ南方」「點ノ名稱 補點 御影山」「三角網ニ屬する補點」と明記されており、また、本点たる六甲山との距離関係(約28.8kmの距離で近すぎる)から見ても、これが補点であることは明らかです。
その後、御影山の消滅に伴い、1939年(昭和14年)に現在地へ移設され、点名も「大濱公園」(大浜公園)と改称されました。
「堺区」は堺市の前身にあたります(1880年4月15日~1889年3月31日まで、堺県堺区や大阪府堺区でした)。
蘇鉄山(点名「大浜公園」)の三角点7.0mは、現在のところ、日本一低い一等三角点(日本で最も標高が低い一等三角点)となっています。
堺市による現地の案内板には、「この蘇鉄山の約300m東南にあった御影山(おかげやま)の頂に近代地図作成のための基準点となる一等三角点が明治18年(1885年)に設定されました」と記されています。
蘇鉄山の南東、現代における南海本線の高架付近、御影山の跡地を訪れてみると、「お蔭山跡」碑と、こちらは堺市教育委員会による案内板が立っていました。
そちらによると、「お蔭山」とする場合は「おかげやま」、「御影山」とする場合は「みかげやま」と読むそうで、蘇鉄山の案内板における「御影山」の読みと齟齬が生じています。
また、「点の記」に記載される「困窮山」以外の俗称として、「天保山」「茶粥山(ちゃかいやま)」の呼称を挙げています。
由来は同じ(天保年間に築かれた意)ながら、大阪には安治川河口の有名な天保山以外に、堺にも「天保山」があったのですね。
陸地測量部時代の正式図を見てみると、大濱公園(大浜公園)の南東に小丘と標高14.3mの三角点が描かれています。
堺水族館や、あるいは旧堺燈台も地図上に見えますね。
大阪城の一等三角点「天守台」と二等三角点「大阪城」
補点として、かつては大阪城に一等三角点「天守臺」(天守台)も設置されていましたが、天守閣の再建工事に伴い、1931年(昭和6年)に廃止(廃点)となっています。
1929年(昭和4年)には二等三角点「大阪城」も選点されており、この三角点は天守閣の北東端の広場に現存しますが、等級や選点年を見ても分かるように、これは一等三角点「天守台」を移設したものではなく、一等三角点「大浜公園」の移設や改称とは経緯が異なります。
少しややこしいので、当時の状況を伝える二等三角点「大阪城」の「点の記」から引いておくと、「本点を昭和四年度一等三角点天守台の補助点として新設したるも昭和五年度に至り、大阪市の請求により更に本点を一等三角点生駒山、二等三角点庭窪、二等三角点三本松の三点より観測して本位置を決定して一等三角点天守台は昭和六年二月七日廢点と決定仝二月二十二日標石を抜取り廢点了。よつてこの補助点を二等三角点大阪城となす」とのことで、1929年(昭和4年)の時点では、二等三角点ではなく一等三角点「天守台」の補助点として新設されたことが分かります。
その後、大阪市の求めに応じて1931年(昭和6年)に一等三角点「天守台」を廃点とし、同時に補助点を二等三角点「大阪城」としました。
したがって、二等三角点「大阪城」は一等三角点「天守台」の後継とも言える立場にあるのは確かですが、同一の点(移設した点)ではありません。
そもそも現状では「天守台」の三角点について詳しい記事は(インターネット上に)見当たりませんが、もし、今後、三角点「大阪城」は三角点「天守台」を移設した、といった記事が出たとしても、それは誤りです。
関連記事 紀泉アルプス(紀泉高原)を縦走
すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。
- 桃の木台~俎石山を登山 関西国際空港、あべのハルカスを遠望
- 俎石山 北展望台 明石海峡大橋、淡路島観音を遠望 阪南市
- 大福山から大阪湾を展望 小豆島や淡路島を遠望 紀泉アルプス
- 懴法ヶ嶽から四国の伊島を遠望 紀伊水道の夕景 紀泉アルプス
- 紀泉アルプス 雲山峰から積雪する大峰山脈を望む 和歌山の夕景
- 雲山峰 夕日と夜景 四国の剣山や三嶺を和歌山から遠望
俎石山(地理院 標準地図)
「俎石山(マナイタイシヤマ)(まないたいしやま)」標高419.9m(一等三角点「俎石山」)
大阪府阪南市、泉南郡岬町(山体は和歌山県和歌山市に跨る)
最近のコメント