「丹波富士」白髪岳から三嶽、多紀連山を望む 丹波篠山市

2015年(平成27年)3月2日の話。この日はAさんと兵庫県は丹波篠山へ。
天気予報では「曇のち晴れ」の見込みでしたが、京都市を出る頃には雨が降り始め、亀岡市ではやがて土砂降りに。
雲の流れを見て、そのうち晴れるだろうと予想し、ひとまず目的地とは異なる山を散策しながら様子を窺います。

お知らせ
2019年(令和元年)5月1日付で兵庫県篠山市が丹波篠山市に改称されました。
本記事のタイトルや本文中、初稿時に「篠山市」としていた箇所について、この市名変更に伴い、「丹波篠山市」と置き換えています。
丹波篠山市を読めない方が少なからずいらっしゃり、市が対応に苦慮なさってる云々といった報道も目にしましたが、丹波篠山市の読みは「たんばささやまし」です。

セツブンソウ(節分草)の花 早春植物 兵庫県 2015年3月
早春植物として知られるセツブンソウ(節分草)のお花。
気温が低く、他の山野草はお花を大きく開いてくれず。

丹波篠山市 白髪岳登山

午後には雲間に青空も覗き、予定どおり、篠山口駅の西、あるいは古市駅の北にあたる「丹波富士」白髪岳(しらがたけ)を登ることにしました。
いわゆる「郷土富士」(ふるさと富士)でも、とくに「丹波富士」を称する名峰は多く。
京都市在住の私としては、牛松山や半国山といった亀岡市に所在する「丹波富士」の名や姿が先に思い浮かびますが、丹波国でも兵庫県側における「丹波富士」としては白髪岳の名が知られています。

白髪岳へ向かう道中、車窓からは興味を惹かれる姿かたちをした山々が次々と目に入り、篠山らしさを感じます。
丹波篠山市やその周辺地域には、多紀連山(多紀アルプス)、弥十郎ヶ嶽、白髪岳といった有名な山に限らず、ちょっとした無名の低山に至るまで険しく特異な山容の峰が多く、山好きの心を惹きつけて止みません。
なだらかで優しく、さほど富士山らしさは感じない半国山と異なり、白髪岳は遠目にも鋭い山姿を誇っています。

白髪岳や、併せて語られることが多い松尾山(高仙寺山)を登るコースは多々ありますが、この日は最短となるワン谷林道からの登山道を選びました。
天神川沿いの道を遡り、住山の集落を通過、未舗装で荒れたワン谷林道を進みます。
林道の奥に四阿と少々の駐車スペースが見えると白髪岳の登山口。

住山登山口

白髪岳 住山登山口 ワン谷林道の奥 兵庫県丹波篠山市
ワン谷林道の奥、白髪岳の住山登山口。
そこそこ運転に自信がある方でないと、季節によっては、ここまで自家用車で入ってくるのは難しいかも?

このコースは白髪岳を短時間で登頂できますが、わずかな距離で330mの高度を稼ぐため、急傾斜の登りが続く道のりです。
登山口からは左に谷が見えますが、いくつかの堰提が整備されたため、谷の上に道が付いており、現在はそちらがメインコースです。
堰堤を横目に沢に沿って旧道を登る、あるいは下ることもでき、谷の奥には古い銀鑛穴(銀鉱穴跡)が残されています。
下山時の話ですが、Aさんが「穴」を見付けていらっしゃいました。

沢を渡ったあたりで炭焼窯の跡を過ぎ、つづら折りの階段道をぐいぐい登っていけば、標高610m付近に最初にして最後の休憩地点。
ベンチもあり、眼前には松尾山(高仙寺山)の姿が見え、覗き込むように左手には白髪岳の姿が見えます。
この地点から見る白髪岳は富士というより劔岳といった印象を受けます。
もちろん、スケールの点では比較になりませんが、あくまでも受ける印象の問題です。

1911年(明治44年)の『多紀郡誌』に、

高城山(四五九米) ハ朝路山又八上ノ城山トモ云フ。日置村ノ内八上々村ノ東南ニアリ。往昔八上城ノアリシ處ナリ。其形稍富岳ニ似タリトテ人呼デ丹波富士ト云フ。
(後略)
『多紀郡誌』

と見えるように、波多野秀治ゆかりとされる、同じ篠山の高城山(朝路山)も「丹波富士」を称しており、そちらのほうが富士のような印象を受けるでしょうか。
高城山は古くから「丹波富士」と呼ばれていたようですが、『多紀郡誌』や『多紀名勝志』といった、明治・大正期の地誌・郷土史では白髪岳を「丹波富士」としておらず、白髪岳がそのように見なされるのは、より後世の話のようです。

休憩地点を過ぎ、私好みな雑木の尾根道を少しばかり登ると、いよいよ南尾根コースの核心部、山頂の南の岩稜へ。
大した距離ではないとはいえ、これから山頂まではやや険しい道のりです。

雨上がりの岩場歩き

白髪岳の南稜 岩場を軽々とよじ登るAさん 2015年3月
白髪岳の南稜。
岩場を軽々とよじ登り、尾根に取り付く「石や高いところが好き」なAさん。

撮影地点、私の立ち位置からは見えませんが、上の写真の岩場を登った先には左右が切り立った痩せ尾根が続きます。
エッジが鋭い岩稜の上を歩くのは嫌だという怖がりさん、つまり、私のことですが、そういった人は岩場の右(東)をトラバース気味に巻きながら登ることになります。
もっとも、こちらはこちらで崖上のロープ場を「横ばい」で抜けることになります。
私は無駄に重い荷物……、主に撮影機材ですが、この日は使わずじまいだった三脚等を背負っており、ロープ場で手間取ります。
岩の上から私の様子を見ていらしたAさん、よほど見かねたのか、ひょいひょいと下りていらっしゃり、私の荷物を軽々と担いで先導してくださいます。
身軽になれば私でも渡ることができますが、次は鎖場から岩場を登るか、そちらもさらに巻くかの二択。
極度の高所恐怖症の私、上の痩せ尾根を歩くのは厳しいと判断して、次も巻いて崖上の道を慎重に進みます。
しかしながら、いずれは岩をよじ登る必要があるため、嫌なことを先送りにしているだけにすぎず、最後は岩場の上に立ちます。
少し道を戻り、Aさんがすいすい歩いていらした尾根を恐る恐る覗き込んでみると、ナイフリッジな岩稜が見えています。
大した距離、難度ではありませんが、この馬の背は私には無理でしょうとAさんが笑いながらおっしゃり、結果的に「先送り」は正しかったと確信します。
Aさんはどこぞの吊尾根を走り抜けるような方ですので、その高所耐性は私などとは比較にすらなりません。

さておき、この南稜をクリアすれば山頂です。
この地点はロープ場から登る方が大多数で、巻けば大した問題ではないというのが一般的な評価ですが、私たちが訪れた日のような雨上がりはやや厳しく、雪が凍結していれば難所となるでしょう。

「丹波富士」白髪岳を登頂 白ヶ嶽?

「丹波富士」白髪岳の山頂 標高721.5m 兵庫県丹波篠山市
「丹波富士」白髪岳(兵庫県丹波篠山市)の山頂。標高721.5m(721.8mから改定)。
道標には「ワン谷林道まで0.75km」と見えますが、実際の歩行距離としては約1.3km程度でしょうか。

「白髪岳」の山名もなかなか興味深いところですが、よく言われる説は別として、1906年(明治39年)の『日本山嶽志』には「白ヶ嶽」の山名で収録されており、「しらがたけ」の「が」は格助詞の可能性もあります。
篠山尋常高等小學校鄕土教育研究會(篠山尋常高等小学校郷土教育研究会)による、1936年(昭和11年)の『鄕土事典』(郷土事典)では、章ごとに執筆担当者が異なるのでしょうか、同じ郷土史の中で「白髪嶽」と「白ヶ嶽」の表記が混在しています。
また、白髪岳の南西面~西面の住所地名は丹波篠山市今田町四斗谷字白ケ嶽で、小字としては「白ケ嶽」です。

今田町四斗谷は、かつての多紀郡今田(こんだ)村の内、大字の四斗谷(しとだに)で、1916年(大正5年)の『多紀名勝志』によると、

「會嶺」
今田村の内四斗谷村に妙見山といふ山がある。一に是を會嶺(あつまりみね)ともいふ。全山樹木欝叢として東は白髪嶽に連つて居る。元暦の役に源義経が小野原に來た時、夜三草山を攻めようとして先づ兵を此地に屯集せしめたので此名がある。
『多紀名勝志』

と、源義経ゆかりの「会嶺(あつまりみね)」なる山が白髪岳の西に連なる、としています。
四斗谷の範囲内ですので、この会嶺は、山中に妙見宮跡が残る、現在、「とんがり山」や「四斗谷妙見山」、あるいは「丹波槍」と呼ばれる標高点620m峰でしょう。
三草山(加東市)の西方に陣取る平資盛を義経が夜襲した三草山合戦は、『平家物語』の「三草合戦」の段で知られますが、義経は丹波の小野原を経て播磨の三草へ向かいました。

少しばかり追記しておきますと、山の北面~北東麓にあたる味間南にも白ケ嶽の小字があるらしい(丹波篠山市味間南字白ケ嶽)。
となると、残す東面~南麓にあたる住山にも白ケ嶽の小字があるのでしょうか。
興味深いことに、1897年(明治30年)の『第一回 兵庫縣々勢要覽』(兵庫県々勢要覧)では、白ヶ嶽を味間村の山として掲載しています。
『日本山嶽志』でも「味間村ヨリ一里九町ニシテ其山頂ニ達ス」と見えますので、当時の登路の関係かもしれません。
すでに外れていますが、山頂に設置される山名標の柱部にも、「味間南十五日会」と、おそらく団体名が書かれています。

白髪岳の景色

白髪岳の山頂 岩の上から播磨、但馬の高峰を眺める 兵庫県丹波篠山市
白髪岳の山頂から播磨、但馬の高峰を眺めるAさん。
三角点の標高は約722mですが、三角点の設置地点より、Aさんがいらっしゃる岩の上のほうが明確に高いです。

白髪岳の山頂部は見晴らしがよく、360度の広く雄大な視界を誇ります。
南の彼方には六甲山、南東には宝塚の大峰山が見えていましたが、その両者の合間、遥か遠くにビルの上部のみ見えるはずの「あべのハルカス」の姿は確認できません。
西には北播磨の山々がうっすら見えており、とくに「播磨富士」笠形山の姿が目立ちますが、その右に見える千ヶ峰や、それより遠く、氷ノ山など但馬の高峰は山頂付近が霞んで見えるのみ。
風雨で塵芥は落ち、それなりに遠くまで見えてはいるものの、雨上がりに気温が大きく上昇した影響も大きく、遠見が利く日ではありません。
ですが、北東向き、眼下には篠山盆地、その背には三嶽(御嶽)を盟主とする多紀連山の山々が美しく。

「多紀連山」の呼称は現代のものですが、1894年(明治27年)の『兵庫縣地誌歴史考』(兵庫県地誌歴史考)には、

(八ヶ尾山小金岳三岳西ヶ岳)の四山は東北より遞次して多紀郡中に峙つ
『兵庫縣地誌歴史考』

と見え、古くより同じ連なりのうちにあると見なされていたことが分かります。
大正時代のハイキングガイドブックに「多紀アルプス」の名前が見えることから、実は「多紀連山」より「多紀アルプス」の使用例のほうが古いようです。
「多紀アルプス」はより広い範囲を指しているようで、この時代の書に目を通すと、多紀アルプスでも栗柄峠より西の山域に、「蝋燭岩」や「獅子ケ鼻」などの岩場、クライミングスポットがあると見えます。

余談ながら、『兵庫縣地誌歴史考』でも名前が挙がる八ヶ尾山や、その周辺峰はヒカゲツツジの名所としても知られます。
現地で確認するかぎり、京都府側の山域にもヒカゲツツジの分布域が広がっており、春に登れば淡いクリーム色のお花を楽しめるでしょう。

多紀連山の三嶽を眺望

「丹波富士」白髪岳の展望 三嶽(御嶽)など多紀連山、篠山盆地、西紀大橋を一望
白髪岳から北東向きの展望。三嶽(御嶽)など多紀連山、眼下に篠山盆地、篠山川を一望する。

主な山距離標高山頂所在地備考
高王山14.3km543.1m兵庫県丹波篠山市
岩谷山
(岩屋山)
9.9km589.2m
盃ヶ岳8.5km497m
西ヶ嶽12.5km727m
三嶽
(御嶽)
13.5km793.2m多紀連山最高峰
小金ヶ嶽15.0km725m
八ヶ尾山19.4km677.5m
雨石山21.8km611m兵庫県丹波篠山市
京都府船井郡京丹波町

篠山盆地でも丹波大山駅、丹南篠山口IC、篠山川に架かる西紀大橋、住吉台の周辺、右端に権現山のあたりが見えています。
丹波篠山の中心にあたる篠山城跡のあたりは右に見切れています。

雨後でシャープさに欠けますが、多紀連山は明瞭に見えていました。
三嶽は古くは「藍婆ヶ峰」や「畑山」とも称しましたが、遠くからでもよく目立つ美しい山容を誇ります。
京都北山の高峰から三嶽が見えることは昔から知っており、過去に何度も撮影していますが、京都東山にあたる大文字山や比叡山からは見えないため、漠然と醍醐山地からも見えないものだと思い込んでいました。
ところが、先月、遠くまで見えやすい日にAさんと音羽山を登った日、愛宕山の山肩の遠方に特徴的な山の姿が目に入り、すぐにそれが三嶽だと気付きました。
それも、うっすら見える程度ではなく、浮かび上がるような見え方で、そういった条件の日であれば三嶽だと分かる方もいらっしゃるでしょう。

空気が澄んだ日であれば、白髪岳から見て西ヶ嶽の向こうには口丹波の長老ヶ岳、さらに八ヶ峰や頭巾山といった、私にとっては馴染みがある若丹国境の山々まで遠望できます。
上の写真では左端の遠方に綾部市と京丹波町の境あたりの山がうっすら写っています。
この日は北や北東に向かうほど悪天候で、そちら向きはなおさら遠くが見えにくく。

暗くなるのが遅くなったとはいえ、下山や帰りの道のりを考えると、これから鞍部まで下り、松尾山(高仙寺山)を登り返そうという気は起きません。
空は晴れて気温も上がり、すっかり暖かく快適な環境となりました。
Aさんからお茶をいただき、山頂で遠く近くの山並みを眺めながらゆったり過ごすことにします。

大船山を遠望

白髪岳(丹波篠山市)から南東向きの展望 大船山(三田市)を望む
白髪岳から南東向きの展望。特徴的な大船山の姿を望む。
撮影地点から大船山(兵庫県三田市)まで16.6km。

南東には三田市の大船山が、南には丹波篠山市と三田市の市境にあたる虚空蔵山の姿がとくに目立っていました。
白髪岳や大船山、虚空蔵山といった山々は、摂丹国境付近や丹波周辺から遠く大阪のハルカスさんまで見える山です。
いわば、北摂山系と六甲山系の合い間を縫って見通すことになります。

「銀鉱穴跡」に寄り道したことを除き、登りとおおむね同じコースで下山することにします。
登りで手間取った岩稜ではAさんに荷物を肩代わりしていただき、気軽、身軽に問題なく通過できました。
ありがとうございました。

白髪岳(地理院 標準地図)

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「白髪岳(シラガタケ)(しらがたけ)」
標高721.5m(721.8mから改定)(二等三角点「白髪岳」)
兵庫県丹波篠山市(山体は兵庫県丹波市に跨る)

※かつての篠山市は2019年5月1日付で丹波篠山市に市名変更(改称)されました

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!