丹波 向山連山 水分れ公園 いそ部神社の桜 附・清水山と珪石山

2013年(平成25年)4月の話。
この日は午後から兵庫県丹波市氷上町へ。
ヒカゲツツジ(日陰躑躅)の名所として知られる向山連山を縦走しました。

満開の時期はまだ先ながら、みずみずしいヒカゲツツジのお花が私を出迎えてくれます。
のんびり写真を撮影しながら向山(むかいやま)の三角点峰へとやってきました。

向山連山 四の山のヒカゲツツジの花 日陰躑躅 2013年4月

向山連山のヒカゲツツジ 石生駅~松の台展望所 兵庫県丹波市

2013.04.11

JR石生駅を起点として向山を登頂した話は前回の記事で。
今回はその続きです。

向山連山ハイキング 兵庫県丹波市

向山連山の最高標高地点(向山最高点)は三角点の南東に所在する約580m小ピーク(現地の表記では「五の山」)ですが、一般的なハイキングマップなどでは三角点峰を「向山の山頂」と見なしており、「向山を登頂した」と見なして差し支えないでしょう。
三角点峰は向山連山の主峰ではありますが、どこが連山の最高点か、厳密に指定するのであれば、それは「五の山」だと考えられます。

向山 三角点の展望

向山三角点からの展望 兵庫県丹波市 2013年4月
向山三角点(山頂)からの展望。北東方面。眼下に春日町黒井を中心とした街並み。
撮影地点から長老ヶ岳(京都府船井郡京丹波町、南丹市)まで約39km。

とくに示していませんが、高谷山の手前には城山(黒井城跡の山)。
左の街並みがJR福知山線の黒井駅周辺で、右寄りに春日JCT・IC周辺。

弥仙山、長老ヶ岳はうっすら見えていたものの、遠くは霞んでおり、残念ながら肉眼では青葉山や多祢寺山を確認できません。
もっとも、春という季節であることを考えると、これでもましなほうでしょう。

向山三角点~五の山(現地表記591m、向山連山最高峰)~

五の山 向山連山最高峰

向山連山 ミヤマシキミ(深山樒)の雄花 2013年4月
ミヤマシキミ(深山樒)の雄花。
山にはヤブツバキ、コバノミツバツツジ、アセビ、ヒサカキ、シキミなども咲いていました。

「五の山」は向山連山の最高地点で、現地では標高591mとしていますが、国土地理院が提供する「基盤地図情報(数値標高モデル)10mメッシュ」を見るかぎり、実際の標高は約580m~でしょうか。

五の山(現地表記591m)~蛙子展望所~蛙子峰(現地表記562m)~公園分岐~

ヒカゲツツジ(日陰躑躅)

向山連山 ヒカゲツツジ(日陰躑躅) 2013年4月
この日は清水山方面へ向かわなかったため、このあたりでヒカゲツツジも見納めとなりました。
明るさを放つかのような鮮やかさ、「サワテラシ」の別称も頷けます。

私が登った4月8日の時点で、向山のヒカゲツツジはぼちぼち咲いていましたが、未開花の木も多く、全体的な見頃はもう少し先だと感じました。
やや気温が低い日が続いているものの、あれから4日、そろそろ見頃を迎えているかもしれません。
前回の記事でも申し上げましたが、年々、花期が早まっていますので、今後は4月半ば頃が盛りとなる年が増えるだろうと予想しています。

蛙子峰を過ぎ、清水山(~剣爾山~領家の頭展望所~鳳翔寺登山口)と珪石山(~水分れ公園登山口)の分岐、いわゆる公園分岐まで来たところで、これからどうするか思案します。
反射板がある清水山まで縦走するコースが選ばれやすいですが、日没も近く、少しでも早く下山しようと珪石山方面へ道を取ります。
こちらのコースを利用するのは初めてです。


ここに差していた「清水山の読み」の件は、長くなり過ぎたので記事下部の「余談」に移動しました。
ハイカーの間では「きよみずやま」や「きよみずさん」の読みが通例となっていますが、国土地理院によると、新設された三角点545.3m「清水山」の読みは「しみずやま」である、といった話です。

珪石山

露天掘りの跡が目立つ鉱山跡周辺を通過し、珪石山の山頂へ。
当地の珪石は耐火レンガ(珪石質煉瓦)などの原料とされたそうです。

公園分岐~珪石鉱山跡~珪石山(現地表記557m)~

向山連山 珪石山の痩せ尾根 2013年4月
珪石山。このあたりの痩せ尾根は崩落気味。

珪石山(現地表記557m)~分水界展望所~
しばらく写真がありません。

この先は直下の道のり。
「急傾斜、下山時注意」と注意書きがあり、固定ロープが張られています。
とくに、下り始めから展望所の手前でなだらかになるあたりまで、比高にして約200mほどを一気に下ることになります。
正確性は保証しませんが、私のログによると、この区間の勾配は600‰(俯角で31°)を超えており、なかなかの険しさ。

急傾斜は軽便索道の名残?

追記。
終戦直後に発表された炉材珪石鉱床についての調査記録に目を通すと、どうやら鉱山から山麓まで架空索道(軽便索道)を設けて珪石を搬出していたようで、「軽索の傾斜は15°乃至30°」としています。
詳しいことは分かりませんが、とても登山道とは思えない急傾斜は、これ(軽索)の名残かもしれません。
追記終わり。

この激しい下りの途中、木々の合間にタムシバやヤマザクラなどが見えており、なんとか撮影できないか調べてみましたが、遠くの斜面で咲いている個体ばかりで近寄ることすら難しく。
蛙子展望所から眺めれば、このあたりの山肌を彩っていた、はず、です(が、やや急いでいたこともあり、写真を撮影していません)。

分水界展望所(石生西河原城跡)

下りもひと段落。
なだらかになったあたりから、さらに50mほど下り、分水界展望所へ。
散りが進むヤマザクラが夕日に映えて美しかったものの、今となっては木々が伸びており、展望地の視界そのものは狭くなっています。
いちおう写真も撮影しておきましたが、中途半端な薄暗さで、掲載意欲が湧きません。
兵庫県によると、この周辺は「石生西河原城跡」のようで、山麓の案内でも展望所と城跡を関連付けて紹介しています。

分水界展望所からは南に下るのが一般的なコースのようでしたが、北に旧道らしきコースもあり、興味が湧いたため、そちらから下山。
時おり、足元に古い木階段が見えていましたが、このコースを歩く人は少ないようで、崖道には落ち葉が何重にも積み重なってふわふわ、足を踏み外しそうになります。
思いのほか傾斜も急なため、最後の最後、気を引き締め直し、慎重に下ります。

分水界展望所~水分れ公園登山口~水分れ公園

水分れ公園 中央分水界

水分れ公園の奥(水分れの杜)に下り立った頃には日も隠れていました。

水分の水

水分の水(みわかれのみず) 兵庫県丹波市 2013年4月
この日は水量豊かだった「水分の水」を少しいただき、顔と手を洗います。
「水分の水」は「すいぶんのみず」ではなく「みわかれのみず」です。

この沢は、これより少し下流、水分れ公園の下で、本流たる高石川と、分流たる用水路に分かれ、用水路は黒井川となります。
高石川はやがて加古川と合わさり瀬戸内海へ流入し、黒井川はやがて由良川と合わさり日本海へ……、つまり、この水は瀬戸内海と日本海、両方へ流れ出る可能性がある水です。

ケモノ避けのゲートを通り、水分れ公園の中心部へ。

水分れ公園の桜

「本州一低い谷中分水界」 水分れ公園の桜 丹波市 2013年4月
水分れ公園の桜。
本州一低い中央分水界の付近に造られた親水公園です。

公園の下流、高石川と黒井川を分ける道路が中央分水界となり、中央分水界としては本州で一番標高が低い地点となります。
案内看板の見出しにある「日本一低い谷中(こくちゅう)中央分水界」はともかくとして、本文の「日本一低い分水界」については諸説あるので、私からはなんとも言えません。
現状、末端域と北海道を除けば最も低いのは確かだと考えられます。

𡶌部神社(いそ部神社)

水分れ公園 いそ部神社の桜 兵庫県丹波市 2013年4月
いそ部神社さんの桜。「いそ」は山偏に石と書く「𡶌」の文字。兵庫県丹波市。

いそ部神社さんは式内社「𡶌部神社」の比定社。
明治政府(内務省考証)による「延喜式神名帳」の論考・調査史料である『特選神名牒』には「丹波国氷上郡 𡶌部イソベノ神社 所在 石負村字けんじ山(氷上郡生郷村大字石負)」と見え、元の字名である「けんじ山」も興味を惹かれるところです。
この「けんじ山」は、漢字で表記すると「剣爾山」で、山としてはいそ部神社さんの南、あるいは清水山の西の標高点416m峰を指しており、いそ部神社さんの磐座(岩座)があります。
昔はこのあたりの山域全体を指して「剣爾山」と呼んでいたとも?
清水山の山頂にも「清水山(剣爾山)」とする山名標が設置されており、見解が分かれるようです。

現在は八幡大神も祭神となさってますが、いそ部神社さんの本来の祭神は奇日方命(天日方奇日方命)で、各地の式内社「石部神社」や「礒部神社」で祭神とされました。
つまり、「いそ」は「石」や「礒」に通じると察せられますが、「礒(いそ、いわお)」の漢字は、いわゆる「いそ(磯)」の意味だけではなく、「いわお(巌)」、突き出た大きな岩石の意味もあります(『康熙字典』で「礒」について「石巖也」と見えます)。
古代、石製品にまつわる品部(職能集団)であった石部(いそべ)にも通じています。

「𡶌」(いそ)の字について

いそ部神社さんについて、「山」偏に「石」の「𡶌」の文字は、縦に積めば「岩」の漢字となるので、史料によっては「岩部神社」の表記も見られます。
漢字(中国の文字)としては、清代の漢字字典(字書)である『康熙字典』によると、「𡶌」について、明代の漢字字典『字彙』に「山再成也」とあるが、明代末に編纂された(刊行は清代のはじめ)漢字字典『正字通』では、中国最古の漢字字典・類語辞典『爾雅』と照らし合わせて考えると、「𡶌」は「岯」の譌字(存在しない誤字、嘘字)だろうと指摘している、とあります。
これを裏付けるように、個人的に調べたかぎり、唐代初期に成立した類書『藝文類聚』(芸文類聚)などでの用例がある「岯」と異なり、「𡶌」は漢籍での用例が見当たりません。
北宋代の韻書『廣韻』や『集韻』でも「岯」を「山再成也」としており、確かに『字彙』は誤りのような印象を受けます。
その影響か、「𡶌」の文字は日本の文字情報基盤や戸籍統一文字から外れており、基本的には読み仮名に置き換えるのが望ましいとされます。
ただし、日本における国字的な「𡶌(いそ)」と、「岯」の譌字扱いされた漢字の「𡶌(pí, pēi)」は別に生じた可能性もあると個人的には考えています。

「岯」の漢字についても、歴代の字書で「或作坯」や「字亦作坯」(または坯とする)などとしています。
漢籍では「坯」の用例のほうが明らかに多く、『藝文類聚』由来の秋の暦「蟄虫坯戸」(蟄虫戸を坏ぐ)(ちっちゅうこをふさぐ)(虫が冬ごもりの準備を始める時節の意)などが日本でも知られます。

ポンポン山から「あべのハルカス」、和泉葛城山を望む 2014年10月

ポンポン山の由来 ハルカスを遠望 琵琶湖は見える? 加茂勢山

2014.10.12

中国の漢字字典で譌字と扱われた文字が、日本の文字情報基盤や戸籍統一文字から外れるケースとして、たとえば、「𩭓」の字があり、上の記事で少し取り上げています。
「𩮈」の漢字は戸籍統一文字に含まれますが、譌字扱いされた「𩭓」の字は外れています。

春の丹波ともお別れ

いそ部神社さんをはじめ、水分れ公園や、その周辺のソメイヨシノはなかなかのもので、もう少し早い時期に訪れていれば満開の桜を楽しむこともできたでしょう。
分水界の桜並木も楽しむことができ、ヒカゲツツジも楽しむことができる、こちらの地元にお住まいの方々を羨ましく思いながら、この地を後にしました。

…時間が足りず、清住のカタクリ は諦めることに。

余談

氷上町はカタクリの南限?

上記リンク先に「氷上町は、かたくりの南限と言われており」と書かれていますが、これはどこでそのように言われてるのでしょうね。
カタクリは四国の山々や、残存するのは熊本県に限定されますが、九州にも自生しますので、「南限」が単純に緯度を指しているのでしたら、記事の内容に誤りがある可能性があります。
記事の内容を改めてはどうか、という話ではなく、「カタクリの南限が氷上町」説がどこから出てきたのか気になるだけです。
仮に本州に限定したとしても、たとえば、私が暮らす京都市内の山にも分布しており、緯度としては京都市の自生地のほうが南ですから、やはり当てはまらないと考えます。
私は気になることがあると、ついつい調べてしまう癖があるので(笑

千葉県、広島県、熊本県など、他県の地方公共団体(自治体)の公式サイトでも、それぞれカタクリの分布の南限を主張なさっています。
地図を広げて、それぞれの緯度を調べてみるのも面白いかもしれません。

清水山の読みは「しみずやま」? 「きよみずやま」?

この記事の公開から約半後の2013年11月、清水山に四等三角点545.3m(点名「清水山」)が新設されました。
京都東山の清水山と同様、丹波柏原(かいばら)の清水山もハイカー間では「きよみずやま」と呼ばれているようですが、国土地理院による「点の記」では点名の「清水山」に「しみずやま」と振り仮名を振っています。
一部の例外を除き、三角点の点名の読みは正確な例が多いうえ、現代に新設された三角点の点名の読みを誤るとは考えにくいです。
「点の記」によると、三角点の所在地は丹波市柏原町柏原字藤ノ目で、山の南西麓には柏原中学校さんが、同じく南麓には柏原高校さんが所在します。
江戸時代後期、谷文晁の『名山圖譜』(名山図譜)、後の『日本名山圖會』(日本名山図会)に「在丹波州氷上郡」の山として「清水山」と「矢谷山」の山姿が描かれており、おそらく柏原の清水山だろうと考えられますが、山名の読みは伝わらず、矢谷山がどの山を指すのかもよく分かりません。
1906年(明治39年)の『日本山嶽志』に「清水山 丹波國氷上郡南ノ東方ニアリ。柏原町ヨリ十八町ニシテ其山頂ニ達ス」とあり、本文では振り仮名が振られていないものの、称呼索引では「キ之部」ではなく「シ之部」に山名が見え、『日本山嶽志』では「し」で始まる山名だと見なしています。

他にも探してみると、1875年(明治8年)の『袖珍日本地名字書』で丹波国の「清水山」に「シミツ山」と、同年の『日本地名字引』などで丹波の「清水山」に「シミヅヤマ」と振り仮名を振っており、やはり、明治時代頃は「しみずやま」と呼ばれていた可能性があります。
ただし、これらの読みが正確とも限らず、他の清水山を指している可能性もあります。
西国三十三所の播州清水寺で知られる御嶽山(清水山)は、播磨国(加東市)の山ではありますが、山の東麓は丹波国(篠山市→丹波篠山市)に跨っています。
この地域では過去に国境の紛争も起きています。
播州の清水寺さんは、京都東山の清水寺さんと同様、現代においては「きよみずでら」の訓読みです。
すべて訓読みの寺名は珍しいですが、「現代」と限定しているのは、京都の清水寺さんは古い史料や縁起では「せいすい」と振り仮名を付けているからです。
あるいは、兵庫県下には摂津国(三田市)にも「清水山」があり、こちらの読みは「しみずやま」です。


「すべて訓読みの寺名は珍しい」について要点だけ。
京都市内に所在するお寺さんであれば、清水寺(きよみずでら)、善峰寺(よしみねでら)、鞍馬寺(くらまでら)が「現代において、訓読みのみで構成される寺名」とされますが、いずれも過去には音読みの振り仮名が確認されています。
これは話が長くなりすぎますので、興味が湧いた方はご自身でも調べてみてください。

丹波柏原の読みが「かいばら」ではなく「かしわばら」だった時代が?

明治時代初期頃の地名辞典には、氷上郡の柏原の読みを「かいばら」ではなく「かしはばら」(かしわばら)としている例が見受けられます。
これは誤りなのだろうかと考えていましたが、柏原出身の女性俳人・歌人、江戸時代前期~中期の田捨女(田ステ女)について学ぶ機会があり、1928年(昭和3年)の『田捨女』に目を通していたら、興味深い記述がありました。
なお、捨女(ステ女)の本名は捨(ステ)で、出家後は京都千本で庵を結んで妙融を号し、さらに貞閑と改め播州網干に移りましたが、本記事では若き柏原時代の歌号である捨女で統一します。

小傳
(一)出生地柏原
 丹波國氷上郡柏原は、稱呼を「かいばら」といひ、山陰線鐵道沿線の一驛として、福知山を距ること七里、戶數一千餘、人口五千餘を數へ、今、町制を布き、四五の官公署、男女中等學校存在し、相當の殷盛を示してゐる。柏原は元と「かやはら」といひ、俗間之を「かいばら」と呼び、明治維新後舊藩にて、之を「かしはばら」と改めたが、實用するものなく、今は「かいばら」を唱へてゐる、書中往々「萱原」の字を用ふるは「かやはら」に出る所以である。
(後略)
『田捨女』(森繁夫)

元は「かやはら」だったが、世間で俗に「かいばら」と呼ばれるようになり、明治維新後に柏原藩(→柏原県)で「かしわばら」と改めたものの、実際に用いるものがいなかったので、けっきょく、「かいばら」に戻ったらしい。
それで、明治時代初期頃の辞典では「かしわばら」となっているのですね。
同じ丹波でも、かつての桑田郡柏原村(→明治の町村制施行で南桑田郡篠村大字柏原→現在の京都府亀岡市篠町柏原)は「かせばら」と読み、かつての桑田郡栢原村(→南桑田郡東別院村大字栢原→京都府亀岡市東別院町栢原)は「かいばら」と読みます。
前者の篠村柏原は1951年(昭和26年)の平和池水害で被害を受けた土地(→地元小学校の郷土教育 )。
後者は漢字の表記こそ柏原ではなく栢原ですが、その読みは氷上郡の柏原と同じですね。
河内の柏原(かしわら)や、近江の柏原(かしわばら)と異なり、丹波では「かいばら」と読む風習があったのかもしれません。
栢原姓で「かやはら」読みの方もいらっしゃるので、昔は柏原も「かやはら」と読んでいたのでしょう。

柏原(かやはら)におしや捨て置く露の玉

信包流織田家丹波柏原藩の第3代藩主、織田信勝が捨女を詠んだと伝わる句。
捨女や、彼女にまつわる句や歌は後世に附会されたと思わしきものが混在しており、上の句も他の大名が詠んだとする説や、別の歌からの訛伝とする説があります。
世嗣断絶により、この系統の柏原藩は信勝の代で改易となりましたが、その後、天領(江戸幕府直轄領)の時期を経て、信雄系高長流の織田信休が柏原藩に入り、幕末まで存続しました。

関連記事 丹波 向山連山ヒカゲツツジハイク

すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。

向山(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「向山」周辺の地図を表示
向山連山
「向山」 標高569.0m(→568.8m)(三等三角点「向山」)
「五の山」 標高591m
「蛙子峰」 標高562m
「硅石山」 標高557m
兵庫県丹波市

三角点峰以外の標高の値は現地表記によります。
国土地理院の成果とはずれが見られ、正確な値を示していないと考えられます。
向山連山の山頂(ピーク)である「五の山」の実質的な標高は約580m~。
周辺山域では譲葉山(標高594m)が「五の山」の標高を上回ります。

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ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!