雲山峰 夕日と夜景 四国の剣山や三嶺を和歌山から遠望

2012年(平成24年)12月、心せわしい年末の話。
この日は和歌山県と大阪府の府県境に所在する紀泉アルプスの山々を縦走登山。
やや霞んだ空とはいえ、どちらかと言えば空気は澄んでおり、紀泉高原からは遠くの山や島嶼まで条件よく見えていました。
俎石山からは関西国際空港や明石海峡大橋、それに大阪の「あべのハルカス」を、大福山からは瀬戸内海に浮かぶ小豆島や家島諸島を、懴法ヶ嶽からは紀伊水道に浮かぶ伊島を見通すことができ、これは期待が高まります。

雲山峰から大峰山脈は八経ヶ岳、弥山を望む 紀泉アルプス 2012年12月

紀泉アルプス 雲山峰から積雪する大峰山脈を望む 和歌山の夕景

2013.02.11

紀泉アルプスの最高峰である雲山峰から奈良県最高峰や和歌山県最高峰を眺望した話は前回の記事に。
今回はその続きで、このシリーズの最終回です。

最後に訪れた雲山峰からは雪積もる大峰山脈の山々や紀伊水道の夕景が綺麗に見えていました。
これほどの条件であれば、和歌山から海を越えた向こう、四国山地の高峰まで望むこともできそうです。

和歌山市 雲山峰「青少年の森」広場の景色

四国の剣山地を遠望

雲山峰「青少年の森」広場から沼島、遠く四国は剣山地と夕日を望む 2012年12月
雲山峰「青少年の森」広場から沼島の向こうに遠く四国は剣山地と夕日を望む。
撮影地点から高丸山(徳島県勝浦郡上勝町、那賀郡那賀町)まで95.1km。

俎石山から「あべのハルカス」、「りんくうゲートタワービル」を望む 2012年12月

桃の木台~俎石山を登山 関西国際空港、あべのハルカスを遠望

2013.01.14

紀泉アルプス縦走シリーズの初回の記事、つまり、俎石山の記事でも述べましたが、私には「紀泉アルプスの中央部から明確に分かる形で剣山を撮影してみたい」という夢がありました。

頻繁に紀泉アルプスを歩いていらっしゃる方……、その方は手描きによる紀泉アルプス周辺の地図を作成していらっしゃる方です……、と、数年前、この場所でお会いし、お話を伺う機会がありました。
「ここから四国を望むことは可能でしょうか?」という私の問いに対し、その日は見えていなかった剣山地の方角を指差し、「四国はあちらですが、ここからではまず見えません」とのお答えが。
「飯盛山(和泉飯盛山、泉南飯盛山)のほうが少しは見えやすいでしょう」とも。
その際のやり取りからも、地元の方でもないかぎり、剣山の撮影が困難であろうことは分かっていましたが、京都から何度か足を運んだ結果、念願かない、ようやく雲山峰から撮影することができました。
より西側の山域……、それこそ、その方がおっしゃる飯盛山より西の山々からは、過去に何度も撮影しています。

江戸時代後期に編纂された『紀伊續風土記』(紀伊続風土記)には、雲山峰の展望について、「河泉摂丹播淡阿の諸山眼底にあり」「眺望絶景なり」とあり、河内、和泉、摂津、丹波、播磨、淡路、阿波の山々が見渡せるとしています。
昔は今よりも四国まで見通せる機会が多かったのかもしれません。
この『紀伊續風土記』の描写は記事下部の「余談・追記」でも取り上げています。

沈む夕日と剣山、三嶺

雲山峰から剣山地に沈む夕日、剣山、三嶺を望む 和歌山市 2012年12月
雲山峰から剣山地に沈む夕日を望む。剣山、三嶺を遠望。
撮影地点から高知県最高峰の三嶺(高知県香美市、徳島県三好市)まで125.5km。
徳島県最高峰の剣山(徳島県三好市、美馬市、那賀郡那賀町)まで115.8km。

とくに山名を表示していませんが、夕日が沈みゆく山は高丸山です。
剣山までせいぜい120km程度、遠望としては大した距離ではありませんが、紀伊水道を越えての撮影はとにかく難しいものがあります。
これは気象条件によるものでしょうが、経験上、同等の距離であれば播磨灘を越えるほうが容易だと感じます。

神戸市 菊水山から四国の剣山や三嶺、淡路島北部、明石海峡大橋を観望 2013年12月

神戸市 六甲 菊水山から明石海峡大橋と四国の剣山、三嶺を遠望

2014.01.20

播磨灘越しの剣山との構図の比較は上の記事をどうぞ。
六甲山系に属する菊水山からの撮影例を掲載しています。

沼島を越えて阿波矢筈山を遠望

日没後、雲山峰から沼島灯台、阿波矢筈山を望む 和歌山市 2012年12月
日没後、雲山峰から沼島灯台、阿波矢筈山を望む。
撮影地点から矢筈山(徳島県三好市、美馬郡つるぎ町)まで123.0km。
沼島灯台(兵庫県南あわじ市)まで39.8km。

灯台は点滅している(ように見える)ため、光った瞬間を撮影するのが難しいです。
昨年の秋、淡路島最高峰の諭鶴羽山(兵庫県南あわじ市)を登ったとき、諭鶴羽神社さんの展望地から眼下に沼島が見えていました。
計算上、「あべのハルカス」が見える島ということもあり、いつかは渡ってみたい島です。

祖谷山系最高峰の矢筈山(阿波矢筈山)は過去にもこの場所から撮影に成功している、とは申し上げても、かろうじて写っていた程度ですが……、その日でも、雲が出ていたため、剣山はさっぱり見えずじまいでした。

阿南市の伊島灯台を遠望

和歌山市の雲山峰から徳島県阿南市の伊島灯台を遠望する 2012年12月
日没後、和歌山市の雲山峰から阿南市の伊島灯台を遠望する。
撮影地点から伊島灯台(徳島県阿南市)まで63.0km。

上の写真も同様で、灯台が点灯する瞬間を見計らって撮影しています。
このコツ、タイミングの計り方は過去にAさんから教えていただきました。
思えば多くの灯台の明かりを遠くから撮影してきたものです。

剣山と小松島灯台を遠望

日没後、雲山峰から徳島県最高峰の剣山、小松島灯台を遠望 2012年12月
日没後、雲山峰から徳島県最高峰の剣山、小松島灯台を遠望する。
撮影地点から高城山(徳島県那賀郡那賀町)まで101.9km。
小松島灯台(徳島県小松島市)まで66.2km。

撮影については同じく。
ただし、沼島や伊島と異なり、小松島灯台については、あらかじめ方角や場所を把握していないかぎり、撮影は困難だと思われます。

以前、和泉山脈の西端部から「剣山の向こうに沈む夕日」を撮影した日も双眼鏡越しに見えていましたが、上の写真でも高城山のレーダ雨量観測所らしき建造物が写っています。
このレーダ雨量観測所は本州の多くの地点から遠望できますが、明確に分かる形で撮影する機会は少ないでしょう。

大文字山から「あべのハルカス」全面開業カウントダウン「61」と通天閣を遠望 1月5日

大文字山の夜景 四国や通天閣、あべのハルカスを京都から遠望

2014.01.10

なお、後年、京都市内の山から高城山の山影を撮影する機会が訪れました。
その話は上の記事に。

和歌浦湾の夕景を眺望

雲山峰から紀伊宮崎ノ鼻灯台、和歌浦湾、章魚頭姿山を望む 和歌山市 2012年12月
日没後、雲山峰「青少年の森」広場から和歌浦湾、新和歌浦の章魚頭姿山(高津子山)を望む。
撮影地点から紀伊宮崎ノ鼻灯台(和歌山県有田市)まで28.2km。

和歌浦湾方面、紀伊水道でも本州側の灯台は距離が近く、撮影そのものは容易ですが、この日は風が強かったこともあり、どうしてもぶれてしまいます。
章魚頭姿山(高津子山)の展望台も明瞭に写っていますね。
夕日や夜景の名所ということもあり、章魚頭姿山も過去に何度か訪れていますが、山上の遊園地やロープウェイ運行時の姿は知りません(ロープウェイは1996年休止、1997年廃止)。

雲山峰から六十谷橋と水管橋、紀の川大堰、沖ノ島、地ノ島などを望む 2012年12月

章魚頭姿山(高津子山) 山名の由来 新和歌浦 和歌山市

2022.02.09

章魚頭姿山の山名についての考察は上の記事に。

和歌山の夕景・夜景を一望

雲山峰から和歌山の夕景、夜景、紀ノ川、紀伊水道を一望する 2012年12月
雲山峰から和歌山の夕景、夜景、紀ノ川、紀伊水道を一望する。
撮影地点から四国本土東端の山である入道丸(次郎峰山)(徳島県阿南市)まで69.7km。

夕景から夜景へと移りゆく和歌山を眺望します。紀ノ川の水面に写る夕焼けが美しく。
たまたまですが、伊島灯台の光もとらえていますね。

名残惜しいですが、いよいよ紀泉アルプス、そして、遠くに見ゆ四国の山々ともお別れ。
あたりはすでに真っ暗、ナイトハイク……、ナイトトレッキングでしょうか。

下りは四つ辻から紀伊駅道を経て、JRの紀伊駅への道を取ることにします。
道中、「国鉄紀伊駅へ」の古い道標が残っているコースです。
四つ辻のあたりから紀伊駅へと下るコースは他にもありますが、夜間はこちらのコースを利用するのが無難でしょう。
過去に他の山々から撮影した日のように、いずれ、雲山峰からも「剣山の向こうに沈む夕日」の構図で写真を撮影したいものだと考えながら、急ぎ山を駆け下りました。

余談ながら、この下りの道中で、三等三角点276.3m(点名「弘西」)の小ピーク付近を通過しましたが、三角点はコースから少し外れていたような?

余談・追記

雲山峰と天下森の読みについて

雲山峰の読みについて、1906年(明治39年)の『日本山嶽志』では「雲山峰(ウンセンガミネ)」と振り仮名を振っています。
現代においては当たり前のように「うんざんぽう」と呼ばれていますが、本来は「うんせんがみね」とも呼ばれていたのかもしれません。

江戸時代後期に編纂された『紀伊續風土記』(紀伊続風土記)に「雲山峯」の山名が見えます。
『紀伊續風土記』では「雲山峯」そのものには振り仮名は振られておらず、読みは伝わりませんが、「大福山」の項で「雲山の峯」を引き合いに出しています。
山名に「が」なり「の」なりの助詞を含んでいた可能性を考慮すると、たしかに「ウンセンガミネ」と呼ばれていた可能性は捨て切れません(山名において、格助詞「が」「の」は同義と見ませます)。
少なくとも、「ウンザンポウ」の読みでは「雲山の峯」とはなりません。

名草郡第四
直川荘
直川村

雲山峯
坂道五十町葛城の峯通りにあり此邉の高峯なり又雨か森といふ
西北は河泉摂丹播淡阿の諸山眼底にあり
近國渡海の舩此嶺を望みて方角を知るといへり眺望絶景なり
頂上松樹一簇の中八大龍王の社あり境内周百四十間修驗者の行所なり
此森の西北の出﨑に高つ(ふ)といふ所あり紀泉の堺なり

『紀伊續風土記』

※「高つ(ふ)」の箇所は、私には「ふ」のくずし字のように見えますが、誤りがあるかもしれません。他に私による翻刻ミスは無いと考えます。後年、刊行された翻刻本は目を通していないので分かりません。「紀泉の堺」としていますので、紀伊和泉の国境線上だと考えられますが、どこを指しているのでしょうね。少し長くなるので、下の「ホウギ松? 一休山?」の追記に分けます。

『紀伊續風土記』では、雲山峰の山名について、「また雨ヶ森と言う」と別称を示しています。
現在、雲山峰の山頂に設置される三等三角点の点名「天下森」は、この「雨ヶ森」(雨か森)に由来すると考えられます。
雲山峰の頂上に「八大龍王の社あり」と見えますが、八大龍王は法華経における仏法の守護尊であり、大峰や葛城の山々でお祀りされるケースが見受けられます。
たとえば、和泉山脈では宿山(七越峠)で七大龍王社が、和泉葛城山でも龍王神社(八大龍王社)がお祀りされていますね(いわゆる「葛城二十八宿」の第九番経塚)。
他の和泉葛城の山々と同様、当地も修験者さんの行場だったことが伝わります。

当地の八大龍王社は「雨ヶ明神」とも呼ばれていたそうで、今も山頂には名残のようなものがあります。
「雲(山峰)」と「雨(ヶ森)」、日本において、八大龍王は雨水の神様(雨乞いの神様)です。

熊尾寺山「森林公園 雨の森」展望台から雲山峰の向こうに六甲山を望む 2013年5月

熊尾寺山ハイク 雨の森展望台から淡路島を遠望 海南市 藤白山脈

2013.05.05

これは、海南市の熊尾寺山の上でお祀りされる「雨の大明神」(雨の森大明神)さんを思い起こします。
滋賀県の湖東や湖南に「竜王山」を称する雨乞山が多いのと同様のケースでしょうか。
また、雨乞いの儀式の場が修験者の行場であるケースは珍しいものではなく、他地域、どこでも構いませんが、たとえば、京都大原の金毘羅山の山上でも見られます。
当地がどうであったかまでは分かりかねますが、火を焚く行為は行者さんとは関わりが深いです。
もちろん、法華経を重視なさる方々が各地で八大龍王や龍神をお祀りなさっていることは存じ上げています。

「点の記」によると、「天下森」の読みは設置時から今に至るまで一貫して「てんかもり」です。
三角点所在地の所有者について、明治期の三角点設置時は海草郡直川村の村有地としていますが、昭和期には直川の丹生神社さんに替わっています。
以降の「点の記」では、わざわざ、「本点周辺の立木は紀泉高原国有林」と特記しているところを見ると(つまり、三角点設置点は丹生神社さんの所有地であるが、三角点周辺の木の所有者は国であるとしている)、詳しい事情は分かりかねますが、周辺山域が国有林に指定された際、山頂域だけ丹生神社さんに所有権が移ったのだろうと推測しています(そういったケースじたいは珍しくありません)。
なお、村有地だった時代から、地目としては「社寺地」とされており、雨ヶ明神さん(八大龍王社)がお祀りされていたのでしょう。

その後、森林基本図を確認してみましたが、現代において、雲山峰の周辺山域、山頂を含み、主に南面は紀伊(かつての名草郡府中村→明治の町村制施行で他村と合わさり名草郡紀伊村→海草郡紀伊村)に属しています。
同様に、山頂より東面の山域は山口(かつての名草郡落合村→明治の町村制施行で他村と合わさり名草郡山口村→海草郡山口村、余談ながら、私の友人のご先祖さんがこの山口村出身だそうで、親戚の方々は今でも「山口村」とおっしゃるとか)に属しています。
しかしながら、『紀伊續風土記』で直川村の山としていること、「点の記」で三角点所在地を直川村の村有地としていること、地目が「社寺地」であることも考慮すると、やはり事情は分かりかねますが、山頂の周辺は直川村の飛び地的な扱いを受けていたのかもしれません。
雨ヶ明神さん(八大龍王社)は直川村の方か、あるいは丹生神社さんが管理なさっていたのでしょう。
直川の丹生神社さんの祭神は、他の多くの丹生神社と同様、やはり丹生津姫神(丹生都比売神)(昔は丹生明神)とされます。
また、和泉葛城山の山頂付近、和泉国側(大阪府側)では高龗神社(葛城神社)がお祀りされており、紀伊国側(和歌山県側)では、上でも触れましたが、龍王神社(八大龍王社)がお祀りされています。
丹生都比売神も高龗神(たかおかみのかみ)も水神です。

ホウギ松? 一休山?

1910年(明治43年)測図、1914年(大正3年)発行の正式二万分一地形図「山中」を確認してみると、現在の「雲山峰」の漢字表記ではなく、当時は「雲山峯」の表記を採用しています。
雲山峯の西0.94kmの小ピーク(現代における鳥取池~紀泉高原キャンプ場跡地からの尾根コース上)には418.7mの基準点が描かれており、「ホウギ松」の地名が表示されています。
現代においては完全に失われた呼称のようですが、ホウギ松はおそらく紀泉国境の上に所在しますので、先に触れた『紀伊續風土記』の描写と関係があるかもしれません。
昭和期以降の地形図からは「ホウギ松」が消えましたが、戦後の地形図では標高点422mが表示されています。
ごく近年になり、そのホウギ松の地に「一休山」とする山名標が設置されましたが、おそらく明治・大正時代頃は「ホウギ松」と呼ばれていたと考えられます(ただし、ホウギ松は山名ではなく諸地名の扱いです)。
「一休山」とする根拠はよく分かりません(「いっきゅうさん」ではなく、「ひとやすみ」?)。

「ホウギ」の由来は分かりかねますが、和泉葛城の山々には修験や仏教由来の地名が多々見受けられますので、たとえば、法儀や法義など(適当に書いているだけですので根拠はありません)。
かつて、遠くからでも目立つような巨大な一本松でも立っていたのでしたら、宝の木の松、「宝木松」かもしれません(もちろんこれも根拠はありません)。
当地に詳しい方でしたら、なにかご存じかもしれませんね。

追記。
本記事をご覧になられた方によるものでしょうか、後年、「一休山」とする山名標とは別に、「ホウギ松」とする標も併せて設置されました。
ネット上で「ホウギ松」について最初に指摘したのは間違いなく私ですが、現代における当地の呼称について、(一休山か、ホウギ松か、)必要以上に介入する気はないので、今後の経緯を見守りたいと思います。
追記終わり。

「剣山 見える」の検索結果からいらっしゃった方へ

本記事を公開してから6年以上が過ぎて、今さら気付きましたが、どうやら「剣山 見える」の検索結果から本記事にいらっしゃる方も少なくないようですね。

神戸市 菊水山から四国の剣山や三嶺、淡路島北部、明石海峡大橋を観望 2013年12月

神戸市 六甲 菊水山から明石海峡大橋と四国の剣山、三嶺を遠望

2014.01.20

上の記事に兵庫県の六甲山系から剣山の写真撮影例を掲載しています。
私事、過去には滋賀県の山から剣山の山頂域を撮影したこともありますが、今のところ、インターネット上では公開していません(学術関係にのみ提供しました)。
私の手元にあるかぎりでは、それが最遠の撮影例です。

関連記事 紀泉アルプス(紀泉高原)を縦走

すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。

雲山峰(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「雲山峰」周辺の地図を表示
「雲山峰(ウンザンポウ)(うんざんぽう)」
標高489.9m(三等三角点「天下森」)
和歌山県和歌山市(山体は大阪府阪南市に跨る)

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!