すでに1ヶ月以上前の話となりましたが、2014年(平成26年)11月22日に滋賀県近江八幡市を訪れました。
近江八幡の山といえば、私の中では津田山(奥島山)や長命寺山の名が真っ先に挙がりますが、この日は鶴翼山(かくよくざん)を登ることに。
一般的には「八幡山(はちまんやま)」と呼ばれることが多く、これこそ正しく近江八幡を代表する山と言えるでしょう。
八幡山の山麓と山上を結ぶ「八幡山ロープウェー」さんでは、2014年(平成26年)10月18日から12月28日までの期間中、TVアニメ「ヤマノススメ」とのコラボレーション企画を実施しており、ロープウェイの搬器も特別なラッピング仕様となっていました。
紅葉シーズン真っ盛り、この日は土曜日ということもあり、下の駐車場も混雑しています。
ラッピングされた搬器を下から望遠レンズ越しに撮影しようと考えていましたが、撮影適地だと考えていた地点は車の往来が激しく、写真撮影は早々に諦めることに。
撮影は諦めたものの、特別乗車券(放送記念乗車券)が欲しかったので、歩いてではなく、ロープウェイを利用して山を登ることにします。
ロープウェイ乗り場も人が多く、これではカメラを構える気が起きません。
下山時も撮影しなかったため、けっきょく、ロープウェイの写真は諦めました。
目次
鶴翼山(八幡山) 滋賀県近江八幡市
展望資料館から鈴鹿山脈を望む
鶴翼山(八幡山)の展望資料館から鈴鹿山脈、湖東平野、西の湖を望む。近江八幡市。
| 主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 霊仙山 | 31.0km | 1094m | 滋賀県犬上郡多賀町 | |
| 三国岳 | 31.3km | 894m | 滋賀県犬上郡多賀町 三重県いなべ市 (岐阜県大垣市) | |
| 御池岳 | 30.4km | 1247m | 滋賀県東近江市 | 鈴鹿山脈最高峰 |
| 日本コバ | 24.0km | 934.1m | 滋賀県東近江市 | |
| 雨乞岳 | 30.6km | 1237.6m | 滋賀県東近江市 滋賀県甲賀市 | |
| 綿向山 | 27.6km | 1110m | 滋賀県甲賀市 滋賀県蒲生郡日野町 | |
| 安土山 | 5.3km | 198m | 滋賀県近江八幡市 滋賀県東近江市 | |
| 繖山 (観音寺山) | 6.9km | 432.5m | 滋賀県東近江市 滋賀県近江八幡市 | 最高点は約440m |
| 箕作山 | 9.1km | 372m | 滋賀県東近江市 滋賀県近江八幡市 |
やや霞んだ空でしたが、鈴鹿山脈の連なりを北端から南部に至るまで見渡せました。
もっとも、湖東の低山から鈴鹿山脈でも三重県側に所在する主だった山々を明確に望むのは困難です。
左端で見切れている湖沼は、琵琶湖の内湖である「西の湖」で、箕作山や繖山(観音寺山)、安土山といった、六角や織田ゆかりの山も紅葉が色付いていることが見て取れます。
上の写真は展望資料館の外に見える開けた展望地から撮影しています。
「八幡山山頂 展望館」を称していらっしゃいますが、いわゆる頂(ピーク)ではなく、ロープウェー八幡城址駅(山頂駅)の上にあたります。
展望資料館ではTVアニメ「ヤマノススメ」とのコラボレーション企画として、アニメ2期の作品パネル展が催されていました。
私は「ヤマノススメ」の原作者さんである「しろ」さんのことを以前より存じ上げている、また、アニメで主役を演じていらっしゃる井口裕香さんの古くからのファン……、と言えるほどのものかどうか分かりませんが、個人的に応援していることは確かであり、この作品も注目していました。
今回の話とは関係ありませんが、井口裕香さんの直筆サイン。
これは過去に限定1名でいただいたものです。画像は加工処理済。
「ヤマノススメ」という題名が示すように、この作品は「山」を勧める内容ですが、山登りは楽しいことばかりではないといった話や、山行は準備期間やインターバルのほうが長く、それもまた重要であるといった話も伝えようとなさっているのは評価に値するでしょう。
この作品をきっかけとして山歩きを始めた方もいらっしゃると聞き及んでいます。
ヤマノススメ展
八幡山の展望資料館で催されていたTVアニメ「ヤマノススメ」2期の作品パネル展。
パネル展のことを知らずに八幡山を訪れた方々、若い方から年配の方まで、皆さん、興味深そうに目を向けていらっしゃいましたが、「この作品で滋賀県が舞台になっているから展示しているのでは?」と考えた方もいらっしゃるようです。
たしかに、そう思うのも無理からぬことですが、実のところ、この作品の舞台は埼玉県飯能市であり、滋賀県の山はおろか、滋賀県じたいが登場すらしません。
(※上は本記事の初稿公開時の話です。後年、作中でも八幡山が描かれます!)
ではなぜ当地とコラボレーションしているかといえば、この作品は西武鉄道さんが協力・タイアップしており、その関係で、同じ西武鉄道グループである近江鉄道さんが経営する八幡山ロープウェーでも企画を実施していたようです。
改めて申し上げるまでもなく、西武グループの創業者は滋賀県(愛知郡)の出身であり、近江とは縁があります。
他には野洲市の三上山山麓「近江富士花緑公園」でも作品1期のパネル展が催されていました。
そちらも別の日に訪れましたが、平日の午後、かつ、風も強く気温が低い冬の日だったこともあり、作品ファンらしき方もいらっしゃらず。
その後、登った妙光寺山や田中山では激しい突風に煽られ、展望峰の岩場で撤退を余儀なくされる結果に。
TVアニメ「ヤマノススメ」の登場キャラの等身大パネル。八幡山にて。
外見的には線が細い印象を受けますが、作品中、眼鏡をかけている子(かえでさん)の馬力はなかなかのもので、衰えた今の私などでは相手になりません。
お話の登場人物の設定とはいえ、あれほどの体力があれば、山登りもさぞや楽しいだろうと思います。
鶴翼山(八幡山)をハイキング
鶴翼山(八幡山)の紅葉と西日。展望資料館の付近から。
この日も出発が遅かったこともあり、すでに西日が低い位置まで落ちていますが、まだ少しは時間に余裕がありそうです。
ロープウェイで登ってきたため、なんら体力を消耗しておらず、一度、適当なコースを下り、再度、登り直そうと思い立ちます。
「ヤマノススメ」ならぬ「山を進め」、ハイカーのさだめのようなものですが、これが失敗の元。
鶴翼山(八幡山)のハイキングコース。日牟礼八幡宮~村雲御所瑞龍寺参道~展望資料館。
山頂駅から日牟礼八幡宮さん横の登山口へ。比高は約160m程度。
コース上にロープウェイが見える地点があることは知っていましたが、ロープウェイが通過するまで待機するのも気が進まず、ここでも撮影していません。
2006年(平成18年)頃に八幡山の縦走路が整備され、南麓の日牟禮八幡宮さんから瑞龍寺門跡さん(村雲御所)、八幡山城(八幡城)の「北の丸」(北ノ丸)を経て、望西峰、北麓の百々神社さんまで、現在は南北縦走が容易になりました。
この後のことを考えると、山を下りるのではなく、北部縦走路を歩くほうが適切でしたね。
展望資料館から伊吹山を望む
鶴翼山(八幡山)の展望資料館から琵琶湖の湖北、伊吹山、金糞岳を望む。
| 主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 伊吹山 | 42.3km | 1377.2m | 滋賀県米原市 | 滋賀県最高峰 |
| 国見岳 | 46.8km | 1126m | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 滋賀県米原市 | |
| 虎子山 | 46.7km | 1183.1m | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 (滋賀県米原市) | |
| ブンゲン (射能山) | 49.4km | 1259.6m | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 滋賀県米原市 | |
| 金糞岳 | 50.6km | 1317m | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 滋賀県長浜市 | |
| 白倉岳 (白倉ノ頭) | 50.1km | 1270.5m | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 滋賀県長浜市 | |
| 多景島 | 19.1km | 101.1m | 滋賀県彦根市 | 点名「多景島」 |
山の上まで登り直してきたら、すっかり日没直前に。
夕日や琵琶湖の展望適地である「西の丸」(西ノ丸)へさっさと向かえばいいものを、やはり、滋賀県最高峰、第2位峰は外せないとばかりに伊吹山地を撮影。
最初に訪れた時は霞んでおり、伊吹山の撮影は見送りましたが、戻ってきたら少しは見えやすくなっていました。
この頃はまだ湖北の山々に雪が見えませんね。
一昨日、つまり、12月27日ですが、湖南側にあたる山の上から見た金糞岳や横山岳、上谷山といった湖北の山々は、恐ろしく真っ白な姿をしており、もはや神々しさすら感じたものです。
八幡山ロープウェー山上駅から夕日と近江富士を望む
八幡山ロープウェー山上駅付近から大文字山の向こうに沈む夕日と近江富士を望む。
| 主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 三上山 | 11.1km | 432m | 滋賀県野洲市 | 近江富士 |
| 千頭岳 | 28.8km | 600m | 京都市伏見区 滋賀県大津市 | |
| 音羽山 | 28.0km | 593.0m | 京都市山科区 (滋賀県大津市) | |
| 逢坂山 | 26.7km | 324.6m | 滋賀県大津市 | |
| 如意ヶ岳 | 27.4km | 472m | 京都市左京区 | |
| 大文字山 | 28.4km | 465.2m | 京都市左京区 |
いわゆる展望地からではなく、山上駅の付近から急いで撮影した写真です。
はたして私は日没までに「西の丸」にたどり着けたのでしょうか……、いえ、どう見ても間に合いそうにありませんね。
無理は禁物、あせりは大怪我のもと、日没には間に合わなくとも、黄昏時の美しい夕景は眺めることはできるでしょう。
無意味に話が長くなってきたので記事を分けます。
続きは上の記事に。
余談
鶴翼山の由来 八幡山? 比牟礼山? 法華峰?
この日、私が訪れた山の山名について、地理院地図では「鶴翼山(八幡山)」と表示しており、まず、鶴翼山の呼称を優先しています。
本件に限らず、当サイトでは地理院地図の表記を優先的に採用しますので、この山の山名についても基本的には「鶴翼山(八幡山)」としています。
1905年(明治38年)2月から県立商業学校(現在の八幡商業高等学校)の英語教師として近江八幡に赴任したばかりのウィリアム・メレル・ヴォーリズは、2月26日に教え子の井上悦蔵と小山吉三郎に連れられて八幡山を登山し、「此の八幡山が鶴翼山といふ名であるが、五里も離れた所から瞰下さなければ鶴の形に見えない」と説明を受けています(5里は約20km)(「瞰下さなければ」は「見おろさなければ」)。
したがって、この当時、近江八幡の人は「八幡山は鶴翼山という名」であることを知っていました。
井上悦蔵は後の吉田悦蔵で、ヴォーリズらと共に近江兄弟社の前身となる団体を創立し、近代の近江八幡に大きな影響を与えました。
上記は1944年(昭和19年)の『吉田悦蔵傳』(吉田悦蔵伝)が詳しい。
比牟禮山
比牟禮山は八幡町の北に聳へ町の背景を為す、八幡山と稱す鶴翼山の異稱は山勢鶴の翼を張りたる如きにより文人の命名したる佳號なり、高二百八十五米突。
鶴尾山
鶴尾山は宇津呂村大字北庄に屬す比牟禮山脈の一峰なり、高二百四十八米突なり。
『近江蒲生郡志』
1922年(大正11年)の『近江蒲生郡志』では上のように見え、ここでは「比牟礼山」の呼称を優先しています(「比牟礼」はかつての「比牟礼庄」に由来する)。
鶴尾山は「比牟礼山脈の一峰」「北庄に属す」(現在の北之庄町)としていますので、鶴翼山(八幡山)の北に所在する標高点254m峰か、その北に連なる、現在、望西峰と呼ばれている標高点278m峰か、いずれかを指すと考えられます。
「高二百四十八米突」(高さ248m)から見て、どちらかと言えば前者でしょうか。
鶴「尾」山の呼称は鶴「翼」山に対応していますので、鶴翼山ありきの山名です。
『近江愛智郡志』や『近江神崎郡志稿』によると、当地とは別に、近江国には神崎郡相谷村(現在の東近江市永源寺相谷町)にも、六角義賢・義治に仕えた小倉西家の当主、小倉賢治(右近太夫)が鶴尾山城(相谷城山城)を築いた鶴尾山があったとされます。
また、享保19年(1733年)に大成した『近江國輿地志略』(近江国輿地志略)には「八幡町の西にある山也。一に比牟禮山と號し叉法花峯とも呼べり。土俗は八幡宮鎭座の所以を以て直に八幡山といへり」と見え、かつては「法華峰」とも呼ばれていたことが分かります。
日牟禮八幡宮さんに由来した「八幡山」は、土地の人による俗称であると察せられますが、分かりやすいことから、それが定着したのでしょう。
『近江蒲生郡志』によると、鶴翼山の由来は「山勢が鶴の翼を張りたるごときにより文人が命名したる佳号」、縁起の良い「鶴」を採用した後付けの呼称ですので、『近江國輿地志略』の時代にはまだ見えません。
江戸時代中期以降、おそらく後期頃の人物だろうと考えていますが、この文人はどなたでしょうね。
他地域ですが、その時期の文人により佳号を山名とした例として、頼山陽によるとされる「眉山」(岐阜県岐阜市)が知られています。
こういった、佳号や雅称を山名としたり、漢字を置き換えたりすることも、ちょっとした流行となりました(が、現代まで伝わらず、忘れ去られた山名も少なからずあります)。
近江国愛知郡出身で、神崎郡の儒医 [1]、江戸時代後期~明治時代の岡崎三達による『越溪詩集』(越渓詩集)に「訪三中村淡水于二幡山一不レ遇」を題とした漢詩があり、「鶴翼山高天下聞。鶴翼山古多二仙人一。中村老仙來卜レ洞。」などと見えます。
「鶴翼山高天下聞」(鶴翼山は高くして天下に聞こゆ。)としていますので、この詩が作られた時には「鶴翼山」が知られていたと考えられます。
隣接する奥島の仙聖にまつわる伝承は存じていますが、どうやら鶴翼山にも同様の伝説があったようですね。
余談ですが、『史記』魯仲連鄒陽列伝に見える、魯仲連 [2]が燕の将に送った書における管仲と斉の桓公のエピソードで、「名高天下」(名は天下に高くして)とあり、これは成語「天下に名高い」となりました [3]。
津田山(奥島山)の話は上の記事に。
岡崎三達の漢詩
長くなるので避けていましたが、上で引いた岡崎三達の漢詩(七言古詩)について、個人的な解釈を述べておきます。
押韻が統一されておらず、規律を守った排律ではありませんが、儒医が作った詩として面白く。
「温故深入長沙室 知新遠泝西洋源」は対句の表現で、「杏林名高客傳客 掌中自在能回春」も対句的ですが、他は雑。
訪三中村淡水于二幡山一不レ遇
鶴翼山髙天下聞。鶴翼山古多二仙人一。
中村老仙來卜レ洞。軽‐二視群僊一獨絶倫。
温レ故深入長沙室。知レ新遠泝西洋源。
杏林名髙客傳レ客。掌中自在能回レ春。
我聞二其名一未レ見レ靣。飛笻一日扣二玄関一。
不幸何縁不二相遇一。題二名蕉葉一欲レ辞レ門。
忽有二一生出留一レ我。流談屑々似レ遇レ君。
門生猶是賢如レ此。况見二老僊一定消レ䰟。
歸來釆葛宵々梦。飛入二鶴翼洞中雲一。『越溪詩集』
原文における「僊」の字は、「䙴」の下部が「巳」ではなく「山」とする異体字。
そもそも、「僊」の漢字は「仙」の異体字ですので、「仙」の「山」でしょう。
原文には他にも特殊な異体字が混在していますが、表示できない字は詩意から判断して置き換えました。
(書き下し文)
鶴翼山(かくよくざん)高くして天下に聞こゆ。鶴翼山古くして仙人多し。
中村老仙来たりて洞(ほら)に卜(ぼく)す。群仙(ぐんせん)軽視して独り絶倫なり。
故(ふる)きを温(たず)ねて深く長沙(ちゃうさ)の室に入り、新しきを知りて遠く西洋の源に泝(さかのぼ)る。
杏林(きゃうりん)名高くして、客(かく)、客に伝へ、掌中(しゃうちゅう)自在に能(よ)く春(はる)を回(かへ)す。
我其の名を聞いて未だ面を見ず。飛笻(ひきゃう)一日(いちじつ)玄関を扣(たた)く。
不幸何(いか)なる縁あってか相(あひ)遇(あ)はず。名を蕉葉(せうえふ)に題(しる)して門を辞せんと欲す。
忽(たちま)ち一の生の出でて我を留むる有り。流談(りうだん)屑々(せつせつ)として君に遇ふに似たり。
門生猶(な)ほ是れ賢なること此(かく)のごとし。況(いは)んや老仙を見て定めて魂を消さんことをや。
帰来して采葛(さいかつ)、宵々の夢。飛びて鶴翼洞中の雲に入る。
(大雑把な現代語訳)
鶴翼山は高く、その名は天下に知られている。古くから仙人の多い山である。
ある時、中村の地に老仙が到来して鶴翼山の洞にこもった。並み居る優れた仙人たちが平凡に見えるほど、その老仙は一人で群を抜いて優れていた。
古きを学んで長沙の医術を深く究め、新しきを知っては遠く西洋の医学の源にまでさかのぼる。
名医として名高く、その手にかかれば自由自在に病を癒やして健康を回復できると、訪れる人々が口々に評判を広めていた。
私もその名声を聞いてはいたが、まだお目にかかったことはない。そこで、急ぎ杖をついてその家を訪れ、玄関の門を叩いた。
しかし、不運な巡り合わせか出会えず、せめて名を書き残して立ち去ろうとした。
すると、不意に一人の門下生が出てきて私を引き止めてくれた。彼の語るよどみなく細やかな話を聞いていると、まるで老仙本人にお会いしたかのようであった。
弟子でさえ、これほどまでに賢明なのだから、ましてやその師である老仙にお会いしたならば、間違いなく心を奪われるに違いない。
家に戻ってからも、会える日が待ち遠しくて、毎夜のように夢に見ている。私の魂は夢の中で鶴の翼となって、雲たなびく老仙の住む洞へと飛んでいくのであった。
鶴翼山の仙人伝と、近江八幡の中村にいらっしゃったらしき高名な儒医を重ねて称えた詩ですね。
評判を聞いて自分も老仙(名医)に会いにいったが、弟子には会えたものの、本人には会えなかったので、帰ってからも会いたい気持ちがつのると。
「長沙」は後漢末期の名医で、一時期、長沙太守を務めたともされる、医聖として名高き、張機(張仲景)。
「温故知新」の対句は、伝統的な漢方と新しい西洋医学のどちらにも通じた医者と仙人を重ねていますが、江戸時代末期頃の医者のあり方を考えると、しっくりきますね。
「杏林」は三国時代の名医、董奉の故事に由来した医者の美称。
「杏林名高客傳レ客」は、「高客(こうかく)」ではなく、区切れを意識して同字反復の形態で読むとよいでしょう。
「采葛」は『詩経』の「国風」が収める「王風」の一篇で、「一日千秋」の元ネタである「一日三秋」の典拠(一日不見 如三秋兮)。
「洞中雲」の「洞」は、もちろん、神仙や鶴が住まう仙窟ですが、雲は山の洞から生じて、夜になると、また洞へ帰っていくと考えられていた「帰雲」と、自身の心情を重ねているのでしょう。
関連記事 八幡山の紅葉と夜景、ヤマノススメ展
すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。
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鶴翼山(八幡山)(地理院 標準地図)
「鶴翼山(カクヨクザン)(かくよくざん)」
別称として「八幡山(ハチマンヤマ)(はちまんやま)」
最高点(村雲御所瑞龍寺門跡) 約280m
三角点 271.6m(三等三角点「八幡」)
滋賀県近江八幡市
脚注
- 漢籍の医書を学ぶこともあり、江戸時代の儒学者は生活のために医者を兼ねるケースが珍しくなかった。[↩]
- 魯仲連は戦国時代の斉の人。奇偉で俶儻な画策を好み、あえて誰にも仕えず、高節な生き方を貫いた遊説家として古くより評価が高く。「奇偉俶儻(きいてきとう)」はとくに優れている様を強調する意味合いで、後漢代の王充による『論衡』超奇篇にも用例があります。[↩]
- 『史記』越王句踐世家(越王勾践世家)と淮陰侯列伝にも「名高天下」の用例があり、韓信と蒯生(蒯通)のやり取りを描いた淮陰侯列伝のエピソードを「天下に名高い」の典拠と見なすこともあります。しかしながら、魯仲連がいう「名高天下」は『戦国策』斉策とも合致しており、日本でもよく知られていました。[↩]






















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