雪の大文字山から「五山送り火」の雪文字を望む 京都

私が暮らす京都市では、2015年(平成27年)の年明け早々から豪雪に見舞われました。
元日の午後から古都に降り続いた大雪も止み、明けて1月2日の話。
新雪を踏むため、法然院さんから大文字山をスノーハイキング。
法然院さんの裏山たる善気山を経て、いわゆる「大の裾」から火床の階段を登ります。

積雪する法然院の境内 山門とサザンカ(山茶花) 2015年1月2日の朝

雪の善気山、大文字山を法然院からスノーハイク 東山三十六峰

2015.01.07

深く雪積もる法然院さんや善気山の話は前回の記事に。今回はその続きです。

雪積もる「大」の左払いから日の出を望む

大文字山の火床、雪積もる「左はらい」から日の出と弘法大師堂を望む 2015年1月
大文字山の火床、雪積もる「左はらい」から日の出と弘法大師堂を望む。

「大」の字の2画目の下部から火床の中央を見上げて撮影した写真です。
ふかふかの新雪を楽しみながら、のんびり登ってきたら、ちょうど、山の向こうからお日さまが姿を現す時間でした。

大文字山 火床の下部から新年2度目の初日の出を望む 京都市左京区 2015年1月1日

大文字山の火床から新年2度目の初日の出を望む 2015年1月1日

2015.01.02

私は前日、つまり元日にも同じ構図で写真を撮影していますが、わずか24時間で大きく変貌した光景に改めて驚愕します。

早朝に登りにいらっしゃる方々はすでに下山なさったのでしょうか、火床は静かなものです。
弘法大師堂にお参りした後、すっかり冬の景色となった京都を一望します。
山中のみならず、眼下に見える京都の街も静寂そのもの、物音ひとつ私の耳には届きません。
今は人の気配も少ない火床ですが、この景色を眺めるため、いずれ、多くの方々が登りにいらっしゃるでしょう。

さて、大雪の後の大文字山から撮影するものといえば……、もちろん、あの白い雪文字ですね。

雪の「大文字」からの展望・眺望

「京都五山送り火」の山々を一望

大文字山の火床から京都の雪景色、「五山送り火」の山々を望む 2015年1月
大文字山の火床から京都の雪景色、「五山送り火」の山々を望む。京都市左京区。
右端に修学院の周辺、左端に吉田山まで収めています。

火床から白く雪化粧した京都盆地や盆地を囲む山々を眺めます。
いわゆる「五山送り火」の山を収めるように撮影していますが、広角では「鳥居形」と「左大文字」の字跡が分かりにくいでしょうか。
地形図の上では、いわゆる大文字山と如意ヶ岳(如意ヶ嶽)は別の山で、実際に送り火を点すのは大文字山の火床ですが、歴史的な経緯もあり、如意ヶ岳で送り火を点すと考える人も多いでしょう。
私自身が「大文字」の火床にいるため、その「大」の字跡のみ、この地点からは撮影できません。
今回の記事の冒頭の写真、つまり「大」の字の2画目の写真をもって「大文字」に代えておきます。

雪で白い「大文字」を小倉山から望む 京都市 嵯峨嵐山 2015年1月

白い大文字を雪の小倉山から望む 『見た京物語』の大文字山

2015.01.25

翌日1月3日に小倉山から雪の「大文字」を撮影した写真を上の記事に掲載しています。
これで雪で白い五山六字が全て揃いました。

「妙法」の雪文字

雪で白い「妙法」を大文字山の火床から望む 京都市 2015年1月
雪で白い五山「妙法」の字跡を大文字山の火床から望む。
「五山送り火」の山のうち、松ヶ崎の西山、東山、いわゆる「妙法」です。
…が、雪が深すぎて、元から読みにくい「妙」の字跡はもちろん、「法」の字跡すら分かりにくいですね。

「妙」の山麓には松ケ崎浄水場の配水池、右遠方には京都市東北部CCの煙突や施設が写っています。
「妙」の字跡のすぐ右には松ヶ崎から岩倉盆地へ抜ける狐子坂(狐坂)が通っており、路面そのものは見えないものの、写真でも谷間として確認できます。
そろそろ、狐子坂の旧道の記憶が薄れた方もいらっしゃるでしょうか。

「法」の山を越えた向こうは宝が池(宝ヶ池、寶池)、国立京都国際会館、岩倉盆地です。
ただし、大文字山から宝が池の水面そのものは見えません。

宝が池で高く打ち上げられた花火を大文字山から遠望 京都市左京区 2016年7月

国立京都国際会館の花火を大文字山から遠望 宝が池 京都市

2016.08.18

宝が池で打ち上げられる花火は見えます。

「舟形」の雪文字

雪で白い「舟形」、賀茂川を大文字山の火床から望む 京都市 2015年1月
雪で白い五山「舟形」の字跡、賀茂川を大文字山の火床から望む。
「五山送り火」の山のうち、西賀茂の船山、いわゆる「舟形」です。

写真の中央付近(~右寄り)で目立つのは京都府立植物園で、写真の左下には糺ノ森(下鴨神社さん)。
植物園の右上あたり、右端で見切れているのが上賀茂神社さん。
上賀茂~植物園(半木の道)~下鴨に至るまで、賀茂川(鴨川)の並木や河川敷、堤防、橋が見えていますが、いずれも雪で真っ白です。

「左大文字」の雪文字

雪で白い「左大文字」、愛宕山を大文字山の火床からを望む 京都市 2015年1月
雪で白い五山「左大文字」の字跡、愛宕山を大文字山の火床からを望む。
「五山送り火」の山のうち、大北山の大文字山、いわゆる「左大文字」です。

(左京区の、あるいは右の)大文字山の「大」の字跡は北西を向いて描かれており、その先には相国寺さん、建勲神社さん、鹿苑寺さん(金閣寺)、愛宕神社さんなどが所在します。
つまり、この写真は大文字山の火床から「正面」を向いて撮影していることになります。
地蔵山、竜ヶ岳の山頂は見えていますが、愛宕山の山頂は雲の中に隠れています。
愛宕山の山頂域は終始この調子で、2日、愛宕山を登っていらした方々は周りが見えなかったでしょう。

「左大文字」の左下には船岡山が写っており、よく確認すると建勲神社さんの社殿も見えています。
見切れていますが、右端には大徳寺さんの周辺など。

写真では左端付近、衣笠山と左大文字山の山間集落が見えています。
俗に「お狐山」や「不思議さん」と呼ばれる、不思議之谷の不思議不動院さんあたりも写っているはずですが、はっきり分かりません。
こちらから向こうが見えるということは、向こうからこちらが見えるということに他ならず、お狐山からは大文字山の「大」の字跡が真正面に見えます。
このあたりは金閣寺さんの付近でもありますが、大文字山の火床から金閣舎利殿は見えないようです。

「鳥居形」の雪文字

雪で白い「鳥居形」、京都御苑を大文字山の火床から望む 2015年1月
雪で白い五山「鳥居形」の字跡、京都御苑を大文字山の火床から望む。
「五山送り火」の山のうち、嵯峨鳥居本の曼荼羅山(仙翁寺山)、いわゆる「鳥居形」です。

写真の手前、見切れていますが京都御苑、それに京都御所が見えています。
蛤御門から京都御苑に入り、御所の南にあたる建礼門のある通りから大文字山の「大」の字跡が見えることはよく知られており、送り火観賞のスポットとなっていますが、これも逆に火床からその付近が見えています。
写真では最下部の左端寄り、白く見える部分ですが、やや分かりにくいでしょうか。
そのまま奥に向かえば雙ヶ岡(双ヶ丘)の鞍部に行き当たり、地図上で大文字山の火床の中心、蛤御門、雙ヶ岡の鞍部を結んだ線を引けば、それは東西に美しい直線を描きます。

写真の右端には御室、写真中央から左にかけてなだらかに横たわる丘は雙ヶ岡、その後方には嵯峨嵐山。
「鳥居形」の真後ろに見えるのが「明智越」の連なりで、遠くで目立つピークが丹波亀岡の名峰、半国山です。
撮影地点から半国山まで32.2kmの距離がありますが、山並みが綺麗に見えていますね。

整理の都合で記事を分けます。

大文字山の山頂(三角点)から京都盆地、山科盆地の雪景色を望む 2015年1月

雪の京都タワー、将軍塚青龍殿、東寺五重塔を大文字山から望む

2015.01.15

続きは上の記事に。

余談

吉井勇の短歌に見る大文字や妙法、舟形の送り火

いくつかの記事に、大文字や送り火にまつわる和歌や俳句の話を余談として差しています。
ちょっとしたお遊びと考えていただければ。

大文字

大文字に火點りぬと呼ぶ、舞姫のこゑもなまめかしや。傍にはわが思ふひともあれば。

ふと見れば大文字の火はかなしげに映りてありき君が瞳に

妙法も弘誓の船もみな消えていよいよ暗き京の空かな

『舞姿 祇園画集』

1916年(大正5年)の『舞姿 祇園画集』は、長田幹彦が小説を、吉井勇が短歌を、中沢弘光が絵画を担当しています。
いずれも主に大正時代から昭和期にかけて活躍した有名作家で、とくに、中沢弘光は当サイトの他の記事 でも取り上げています。

この歌は、詞書の「大文字に火点(とぼ)りぬと呼ぶ、舞姫の声も艶めかしや。そばには我が思う人もあれば。」を踏まえ、(季節や行事の終わりと逢瀬を重ねて)せつない心情を表しており、なかなか感慨深いものがあります。
この当時、舟形の送り火は、いわゆる「弘誓の船」 [1]と重ねて見られていたようです。

吉井勇は鎌倉育ち、後に京都の北白川に移り住み、岡崎などを経て、浄土寺を終の棲家となさいました。
そのため、比叡山や如意ヶ嶽(大文字山)など、東山の山々を好んで題材としています。
少なからず浄土寺の地や大文字山と縁がある [2]私が惹かれるのも無理からぬことと言えるでしょう。
送り火にまつわる歌も数多く詠んでいますが、どうも上の歌は見落とされがちのようですので、こちらで紹介しておきます。
後に1928年(昭和3年)の歌集『玉蜻』にも収載されますが、詞書は省かれています。

洛北閑吟
如意嶽
昭和十四年八月、京に移り來てはじめての大文字を、洛北のわび居の窓より見る。
大文字の送り火燃ゆといふ聲す酒はや盡くと寂しみ居れば
大文字の火影うつれば夜の緣の忘れ浴衣もあはれなるかも
あめつちの五塵のなかの火もて書く大といふ字の焔かなしも
大文字を京樊噲と酒合戰しつつ見たるはいつの夏ぞも
大文字の消えたるあとの如意嶽はただ一片の北邙の土

『遠天』

1952年(昭和27年)の自選集『吉井勇歌集』(岩波文庫版)に収録された、1941年(昭和16年)の歌集『遠天』より。
京都に移り住んだ当初、現在の京大農学部グラウンドの北東あたりを住居となさったようで、他の歌集では北白川の家から愛宕山も見えると書いています。
京都東山を背に、西を向けば愛宕山を見晴らせる、良い場所を選ばれたものだと羨ましく。

「盡く」は「尽く」。
「京樊噲と酒合戦」は「京の樊噲 [3]」とたとえられるほどの酒豪と飲みくらべ。
「北邙(ぼう)の土」は死んで土に帰ること。
ここでは「あめつち(天地)の五塵 [4]」の中の火と見えますが、他の歌で「大」の字跡は「五芒の星」をかたどったとも見立てています。

関連記事 2015年1月2日 新雪スノーハイキング

大文字山(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「大文字山」周辺の地図を表示
「大文字山(ダイモンジヤマ)(だいもんじやま)」
標高465.3m(465.4mから改定)(三等三角点「鹿ケ谷」)
京都府京都市左京区(山体は山科区に跨る)

脚注

  1. 誓いの船。「弘誓(ぐぜい)」は仏や菩薩が衆生救済を願い立てた誓いで、それにより彼岸へ導くことを、船の渡しにたとえた表現。[]
  2. 私の父方の家系は粟田焼(錦光山焼)の宗家で、過去に粟田口から浄土寺に移り住んでおり、父は浄土寺出身です。[]
  3. 劉邦に仕えた漢の臣。『史記』における「鴻門之会」のエピソードからお酒に強い酒豪のたとえとしてよく引き合いに出されました。樊噲に由来する、ハンカイソウ(樊噲草)という背が高いキク科植物がありますが、京都府では絶滅危惧種の指定を受けています。京都市内では「京北合併記念の森」 に……。[]
  4. 「五塵」は煩悩を起こさせて人を塵のようにしてしまう、身体に影響を与える5つのもの(色、声、香、味、触)。転じて世俗的な欲望を指す。[]

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!