大岩神社から大岩山展望所へ 深草トレイル(京都一周トレイル)

2014年(平成26年)9月の話。
少しだけ時間が空いたので、この日は急きょ、京都市伏見区と山科区に跨る大岩山をハイキング。
複数のコースがありますが、大岩街道から深草トレイルに取り付き、大岩神社さんを経て大岩山展望所に至るコースを選びました。
雨上がり、雲が多いながらも山上の展望所からは遠くまで見えており、一時は不法投棄の場と成り果てたこの山も、周辺住民の皆さんや行政による環境再生の取り組みのかいあって、いまや好展望地として面目躍如たるものがあります。

京都市伏見区 大岩山展望所の景色

大岩山展望所から伏見桃山城、京都南部、大阪のビル街、「あべのハルカス」を望む 2014年9月
「深草トレイル」大岩山展望所から伏見桃山城、京都南部、大阪のビル街、あべのハルカスを望む。
撮影地点から「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)まで42.3km。
伏見桃山城(模擬天守)(京都市伏見区)まで1.9km。

撮影当時、ならびに記事の初稿当時、大岩山展望所は「深草トレイル」の一部でしたが、その直後、2014年11月に「京都一周トレイル東山コース」の一部となりました。
下にリンクしている「深草トレイルマップ」は、そのまま「伏見・深草ルート」の簡易マップとして利用できます。

「深草トレイル」大岩山展望所コースを歩く

大岩街道から大岩神社へ

この日は深草トレイル大岩山展望所コースの一部でもある大岩神社さんの参道を利用して大岩山を登りました。
ふかくさ自然環境再生ネットワーク推進委員会さんが発行し、京都市などが配布している「深草トレイルマップ」 に見える”1″のコースで、「自然の中の参道(一部山道)」となっていますが、まさにそのとおりの道のりです。

大岩山の山頂は京都市山科区に所在しますが、いわゆる展望所は伏見区に所在しており、深草トレイルのコースも伏見区内を巡ることになります。
山頂は2014年6月に閉鎖されたゴルフ場の敷地内(かつての伏見桃山ゴルフコース)にあたるため、現状、関係者さん以外、違法性を問われないピークハントは困難です。
展望所のあたりか、遠くからでも目立つ大岩無線中継所の脇を山頂付近と見なしておけばよいでしょう。

深草トレイル大岩山展望所コース(大岩神社参道)、大岩街道の上山口に建つ鳥居 2014年9月
深草トレイル大岩山展望所コース(大岩神社さん参道)、大岩街道の上山口。
目印となる鳥居と道標。許可されていない車両の進入ならびに駐車は禁止されています。

道標には「大岩山展望所まで960m」と見えますが、入山して数分の地点には早くも「大岩山展望所まで580m」の道標があり、大した距離ではありません。
山歩きを苦になさらない方であれば、せいぜい10分~の道のり。
入山、というよりも、入林というほうが適切でしょうか。

竹藪が茂る山道

竹藪が茂る大岩神社の参道 京都市伏見区 2014年9月
大岩神社さんの参道。うっそうと茂った竹藪の中を進みます。

竹藪が多いことから容易に推測できますが、大岩山はヤブカ(ヒトスジシマカ)が多い山で、あっという間に身体中にまとわりつかれます。
登山口から展望所まで、せいぜい比高(標高差)にして100m程度の登り、距離にして1km程度の歩き。
わざわざ虫除けスプレーを塗布するまでもないと思ったのは甘すぎました。
初夏から秋にかけて、ヤブカが多い季節に訪れるコースではありません。
これは大岩山に限った話ではなく、稲荷山の周辺、それに、京都西山の周辺など、竹藪が多い里山全般に対して言えることです。

白姫龍神大神と池

神秘的な雰囲気の池と白姫龍神大神 大岩神社 2014年9月
神秘的な雰囲気の池と白姫龍神大神さん。

大岩神社さんや、上の写真に写る御池などは「怖い」スポットとして、ある種の趣味をお持ちの方々の間では有名ですが、私からすると、竹藪から姿を現す幽霊より、竹藪から襲い来るヤブカのほうがよほど恐ろしいですね。

大岩神社さんはすでに廃社(廃絶)の扱いを受けているとも聞きましたが、大岩山のトレイルコースや神社さんの参道は、周辺住民の皆さんや関係者さんらにより綺麗に整備されていますし、清掃や草狩り、藪払いも進められています。
台風や大雨の直後はともかくとして、普段は歩きやすい道のりで、一般的なハイキングコースに過ぎません。

大岩神社の参道

大岩神社 本社道(参道) 「まむし ちゅうい」 京都市伏見区 2014年9月
大岩神社さんの本社道(参道)。
「まむし ちゅうい」の立て看板が見えます。

マムシはこちらから能動的に仕掛けないかぎり、とくに危険な生物ではありません。
ですが、注意するに越したことはないでしょう。蛇が苦手な方ならなおさらです。

この長い階段を登れば、大岩神社さんの本社と展望所の分岐です。
本社に参拝し、ヤブカから逃げるように急いで展望所へ。

大岩神社さんには堂本印象が寄進した鳥居もありますが、過去に何度か撮影していることもあり、この日はそちらの写真は撮影していません。
一般的な鳥居とは一風異なる造りですので、一目見ればすぐにそれだと分かるでしょう。

大岩神社さんについて

今回の話とは直接関係がありませんが、大岩神社さんについて補足。
大岩神社さんは民間信仰色が濃く、神社本庁に属さない単立の神社さんです。
どれだけ調べても、古い地名辞典や史料にはなかなか名前が現れません。

1984年(昭和59年)発行の『京都大事典』(淡交社・刊)に、

「大岩神社」
伏見区深草向ケ原町の大岩山山頂の西面にある神社。
大岩・小岩の二神石を男神・女神として祀る。
近世の創祀になり、結核治癒の効験があるとして、信仰を集める。
『京都大事典』(淡交社)

と見え、祭神を「大岩・小岩の二神石」としています。

『京都大事典』では「近世の創祀」としていますが、私が調べたかぎりでは、近世、つまり江戸時代以前の史料や絵図には名前が見えず、「神社」として成立したのは近代、つまり明治時代以降の話ではないかと考えています(御神体に対する信仰の創祀と、神社の成立や創建は別問題です)。
江戸時代の地誌や絵図では、このあたりの山域を指して「深草山」としていることが多く、大岩神社だけではなく、そもそも大岩山の名前も見えません。
もし、近世から神社として成立していたのであれば、絵図の類はもちろん、安永8年(1779年)の『伏見鑑』など、当時、数多く刊行された京都(山城)の地誌から悉く名前が漏れるとは考えにくいものがあります。
その後、1912年(大正元年)の『伏見桃山歴史地図』では大岩山の名前と、その山上に神社を示す記号が示されています。
昔はこの山を指して「大岩山」とは呼んでおらず、「向ヶ原」と呼んでいたとも伝わりますが、大岩山と呼ばれるようになったのは、おそらく神社の創建と近い時期だろうと考えています。

大岩山の山名について追記

現代における大岩山周辺を指して「向ヶ原」とする江戸時代の絵図を確認しましたが、やはり、大岩山の山名は見当たりません。
この絵図では、「向ヶ原」の南に「高峯」や「砥山」の山姿が、さらに南に「小甲」と「大兜」、「岩山」の山姿が描かれています。
後者については、仏国寺さんの北東に伏見区深草兜山町の地名が、その東に伏見区深草大亀谷岩山町の地名が現在も残っており、絵図との位置関係を見ても、そのあたりを指すのだろうと推測できます。
高峯や砥山がどこを指すのか不明ですが、付近に伏見区深草白砂町の地名が残りますので、砥石と白砂の間に関わりがあるかもしれません(高峯や砥山は他の絵図や地誌にも名前が見えます)。

『山城國紀伊郡深草村 村誌』(深草村誌)には、

字地

向ヶ原 深草山ノ東極絶頂の字

深艸山ト云アリ本村ノ巽方ニ在リ古ヘ奥山トモ別稱スルカ確然タラズ半ハ上ニ言二石山ニ並ヒ續ク半ハ大津街道ノ南ニ分ル昔徳川将軍上洛ノトキ此山ヨリ乗馬ノ飼艸若干ヲ賄フ若シ後年上洛ニ至ラハ必ス飼艸ヲ賄フヘキ㫖ヲ以テ其料ニ充ツ依テ世人通称シテ御艸山トモ云フ
(後略)

道路

大津街道第三等道路ニ屬ス大津本街道ハ伏見舩入場ヨリ東ヘ六地蔵村ニ掛ルヲ本街道トス第一等ニ屬ス今本村ニ云大津街道ハ伏見墨染ノ北玄蕃町ヨリ東ヘ伏見谷口町ヘ掛リ是ヨリ東ヘ宇治郡小野村ニ至テ前ノ一等道路ニ合ス本村領内長サ十二町巾二間五分

『山城國紀伊郡深草村 村誌』

太字は同誌で「朱書ハ再調追加ナリ」としている箇所。
※「上ニ言二石山ニ並ヒ續ク」は片仮名の「ニ」と漢数字の「二」が並ぶので紛らわしいですが、「上に言う(上で紹介している)二石山に並び続く」です。「二石山」(貳石山)(弐石山)は深草山の北に接する山域。

と見えます。
『深草村誌』は明治政府による地誌編纂事業の稿本として編纂されたと考えられますが、上は大正時代の謄写から引いており(明治時代の原本は深草の住民さんが保管なさっていたもの)、それまでの過程で「再調追加」されています。

「徳川将軍上洛のとき此の山(深草山)より乗馬の飼草若干を賄う、もし後年上洛に至らば必ず飼草を賄うべき旨をもって其料に充つ」という伝承があり、世の人は「深艸山」(深草山)を通称して「御艸山」(御草山)とも言う、と見えます。
「向ヶ原」は深草山の東極の絶頂にあたる字地だとしていますので、向ヶ原は深草山でも深草側(伏見区側)の東極(東の果て)の絶頂(ピーク)を指す地名であり、あくまでも山名としては深草山のようですね(現代における深草向ケ原町の地名がそれを示しています)。
この深草山(御草山)や向ヶ原が、後の大岩山を指していると考えられます。
ただ、「半は二石山に並び続く、半は大津街道の南に分る」としていますので、深草山はかなり広い山域を指していたようです(「並び続く」ですので、深草山と二石山は隣接しています)。
この描写をそのまま受け取れば、大津街道や大岩街道(現在の京都府道35号大津淀線)の南、現在の大岩山と呼ばれる山域だけではなく、一部、大津街道の北(深草谷口町より北)も含んでいたように思われます。

深草山(御草山)は古くは「奥山」とも別称するが確然たらず(確かではない)と再調追加していますが、この時点ではまだ「大岩山」の名前は見えません。
もし、この時点で大岩山の呼称が成立していたのであれば、深草の方々による公的な調書から名前が漏れることは、まずありえないでしょう。
これが大正時代になると、上でも述べたように、『伏見桃山歴史地図』に大岩山の名前と、山上に神社の記号が表示されるようになります。
陸測の地形図を調べてみると、1909年(明治42年)測図、1912年(大正元年)発行の正式二万分一地形図「京都南部」に大岩山の名前は表示されますが、こちらに神社を示す記号は見えません。

その後、1933年(昭和8年)の『深草誌』では、『深草村誌』の徳川将軍と御草山にまつわる描写に加え、大岩神社についての描写も見られるようになり、深草山から大岩山に山名が置き換わっていきます。
その頃ともなると、参拝者で大変な賑わいを見せていたことが『深草誌』からも伝わります。
そのタイトルからは分かりにくいですが、『深草誌』は公的に編纂された地誌ではなく、あくまでも個人の手による観光案内書的な地誌です。
他誌も拝読するかぎり、作者の宗形金風は自説を披露したり、知人の説を紹介したがる癖はありますが、深い知識を有していたことが窺えます。

大岩山展望所から京都を眺望

大岩山展望所から京都市西部~南部、長岡京市、京都西山方面を望む 2014年9月
大岩山展望所から京都市西部~南部、長岡京市、京都西山方面を望む。
撮影地点から愛宕山(京都市右京区)まで18.9km。

標高は低いながらも開けた視界を誇る展望所からの眺望ですが、そのうち、愛宕山から天王山までを収めています。
やや分かりにくいですが、愛宕山は右端奥の隅で見切れそうになっている山です。
これより右手、地蔵山や竜ヶ岳の上は雲で隠れていました。
薄明光線(レンブラント光線)と重なるため、ポンポン山など、京都西山の山々の山名は表示していません。

整理の都合で記事を分けます。

「深草トレイル」大岩山展望所から「あべのハルカス」、紀泉アルプスを望む 2014年9月

大岩山の展望 大阪のハルカスや高層ビル群を遠望 伏見・山科

2014.10.08

上の記事に続きます。

追記・余談

「京都一周トレイル 伏見・深草ルート」について

「深草トレイル 大岩山展望所コース」の一部が、「京都一周トレイル東山コース 伏見・深草ルート」として、いわゆる「京都一周トレイル」と重なることになりました。

京都市:京都一周トレイル東山コース 伏見・深草ルートの開設について
https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000174398.html (リンク切れ)

開設日は2014年(平成26年)11月15日の予定。
御香宮神社~伏見桃山城~大岩山展望所~大岩街道~伏見稲荷大社~従来の「京都一周トレイル」へと連係します。

台風の影響により通行止(→解除)

久々に追記しておきます。

2018年(平成30年)9月5日現在、

京都市伏見区役所:【注意】深草トレイルの一部の通行禁止について
大岩神社参道入り口からスタートする大岩山展望所コースの主に山間部を歩くコースについては,倒木が多数発生しているため,通行できませんのでご注意ください。
https://www.city.kyoto.lg.jp/fushimi/page/0000240317.html (リンク切れ)

とのこと。

「大岩神社参道入り口からスタートする大岩山展望所コースの主に山間部を歩くコース」は、本記事で紹介しているコースです。
2015年(平成27年)10月に訪れた際も、同コースは通行止となっていましたが、その日、お会いした地元の方が、コースを把握していれば、倒木を避けながら通行できなくもない、とおっしゃっていました。
その後、台風や大雨で追い打ちを掛けられた形となりましたが、とくに無理をする必要もないので、当面の間、車道から迂回なさるほうが無難でしょう。

しかし、久々に本記事に掲載している写真を眺めてみたら、この時点(2014年9月)ではまだ展望台直下のソーラーパネル施設が写っていませんね。
今はゴルフ場跡地も展望台付近もパネルだらけですので、記録としては貴重な景観かもしれません。

【お知らせ】深草トレイルの通行禁止を解除しました
https://www.city.kyoto.lg.jp/fushimi/page/0000245186.html (リンク切れ)

その後、2018年11月15日より通行できるようになりました。

追記しておきますと、2020年(令和2年)7月にも同コースが通行禁止となり、10月に解除されています。
このコースは悪天候等の影響で倒木被害が発生しやすいので、長雨の後や台風通過後の利用は避けるほうが賢明かもしれません。

下記土砂崩れの問題により、南西側の京都市上下水道局桃山ポンプ所を通るコース(「深草トレイルマップ」”3″のコース)は利用できないのでご注意を。

大岩山の不法投棄問題が再発する

近年、また、大岩山で不法投棄の問題が再発したと聞き及んでいます。
今回は産業廃棄物混じりの建設残土のようです。

2018年(平成30年)の報道。

不法投棄の残土、西日本豪雨で崩落 民家に迫り「不安」:朝日新聞デジタル

 京都市伏見区の大岩山(標高182メートル)で7月、西日本豪雨により大規模な土砂崩れがあり、ふもとの住宅から約10メートルまで土砂が押し寄せた。山頂付近に無許可で投棄された建設残土に加え、その崩落を防ぐ工事用として業者が搬入した土砂も流された。

https://www.asahi.com/articles/ASL804TRLL80PLZB00K.html

記事の主体が大岩山の伏見区側にあることは理解できますが、大岩山を標高182mの山とするのであれば、その値の根拠となる標高点182mは山科区側に所在しますから、地理的な観点では正確性に欠ける報道だと感じてしまいます。
フォーマットが分かりかねますが、私であれば、「京都市伏見区と山科区にまたがる大岩山(標高182メートル)」と執筆するでしょうか。
もっとも、この件に限らず、報道では「現場」の所在地を重視する傾向にあるようですから、やむを得ないのかもしれませんね。

2021年(令和3年)の報道。

産廃混じり建設残土の山、雨で繰り返す崩落 住宅や幼稚園に迫るも…京都市「撤去しなくて大丈夫」|社会|地域のニュース|京都新聞
 豪雨被害が全国各地で相次ぐ中、京都市伏見区小栗栖の大岩山(標高182メートル)で土砂崩れの危険が高まっている。
(中略)
 崩落が起きた大岩山の山頂付近は元々、建設残土の受け入れ場所になっていた。土地管理者から開発業務を請け負う複数の土木会社が、宅地造成規制法に基づく許可などを得ないまま運び込んでいた。こうした実態を市や土地管理者は把握できていなかったという。
(中略)
市によると、山頂付近の元の地形が分からず、どれだけの残土が運び込まれたのかは分からないという。
(後略)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/642003 (リンク切れ)

他の記事等も拝見するかぎり、「山頂付近」は大岩山展望所のソーラーパネルのすぐ南側で、2014年(平成26年)9月に訪れた時も、その後、2015年(平成27年)10月に訪れた時も、網だったか柵だったかでコースから侵入できないようにしていた記憶があります。
2015年10月に訪れた時は、展望所の台上からはぎりぎり見えない、あるものが見通せることに気付き、網だったか柵だったか越しに「あるもの」の写真を撮影しました。
展望所と同様、見晴らしが良い場所でしたが、それはつまり、遮る樹木が無いということでもあります。

伏見桃山歴史地図と伏見稲荷全境内名所図絵(と記念山)

あえて記事本文では触れずにおいたことを、「余談」としてまとめておきます。

『伏見桃山歴史地圖』(四版)
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002697506
「所蔵地図データベース」(国際日本文化研究センター)

記事本文で取り上げた『伏見桃山歴史地図』のリンク。
初版は1912年(大正元年)発行ですが、これは1914年(大正3年)の四版です。

「大岩山」の名前が見え、山の上には神社の記号が表示されていますが、その神社の名前は示されていません。
何を言ってるのか分からない、大岩山の上の神社なのだから大岩神社に決まってると思われるかもしれませんが、ひとまず置いておきましょう。
大岩山の下に「池」、左に旧東海道本線(大津街道)(大岩街道)を跨いだ山の上(仁明帝御陵や十二帝陵の上)に赤い記号が表示されます。
これは稲荷山の山頂でしょうか、あるいは深草側から二石山と呼ばれていたと推測される山でお祀りされる神様でしょうか。
実は、伏見稲荷大社さん側の山(二石山)の上にも大岩大神・小岩大神がお祀りされていて、やはり病気治癒(鎮痛)のご利益があると伝わります。

雪積もる雲取山から武奈ヶ岳、蓬莱山、皆子山、峰床山、三重嶽を望む 厳冬期の京都北山

「京都府の山」の市町村別最高峰は? / 皆子山を遠望する

2013.10.25

「二石山と呼ばれていたと推測される」の件は上の記事に。

『伏見稲荷 : 全境内名所図絵』
https://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/mediaDetail?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000000467&lCls=150_media_old_books&lPkey=0000088921&detaillnkIdx=1
京都府立京都学・歴彩館 デジタルアーカイブ

次に1925年(大正14年)発行の絵図を見てみましょう。
「稲荷山」の右、「記念山」の上の山に「大岩稲荷」が描かれています。
今はほぼ失われた山名のようですが、かつて大岩山の西の山を「記念山」と呼んでいました。
これは深草の地に駐屯していた陸軍第4師団歩兵第19旅団第38連隊の日露戦争戦没者慰霊のため、この山を整備し、山の上に記念碑を建立したことによります。
歩兵第38連隊が陸軍第4師団に所属していたのは日露戦争当時の話で、『伏見稲荷全境内名所図絵』が描かれた大正時代には第16師団に所属していました。
先ほどの『伏見桃山歴史地図』にも兵営が描かれています。
したがって、「記念山」との位置関係から察するに、「大岩稲荷」の山は現在の大岩山だと考えられ、大正時代頃、大岩山では大岩稲荷がお祀りされていた可能性があります。
この絵図だけでは、大岩稲荷が大岩神社そのものなのか、そうではないのかまでは読み取れません。
現代の大岩神社さんにも狐さんがいらっしゃいますので、当地も稲荷信仰の影響を受けているようには感じます。
ただ、『伏見稲荷全境内名所図絵』に描かれているからといって、当地が「伏見稲荷の境内」の扱いを受けていたかどうかまでは分かりません。
吉田初三郎の鳥瞰図は図題と無関係な名所や山を合わせて描くのが常です。

次の絵図を見ますが、『伏見稲荷全境内名所図絵』における「宝塔寺」、そのすぐ上に描かれる「七面山」、それに先ほどの記念山と大岩稲荷の位置関係をよく覚えておいてください。

『醍醐山名所図絵』
https://www.archives.kyoto.jp/websearchpe/mediaDetail?cls=152_old_books_catalog&pkey=0000000466&lCls=150_media_old_books&lPkey=0000088917&detaillnkIdx=1
京都府立京都学・歴彩館 デジタルアーカイブ

上と下は図題が異なりますが、同じ絵図です。
下は『醍醐山の聖蹟を中心とせる交通圖』としていますが、『醍醐山名所圖繪』の附図です。

『醍醐山の聖蹟を中心とせる交通圖』
https://iiif.nichibun.ac.jp/YSD/detail/001699396.html
「吉田初三郎式鳥瞰図データベース」(国際日本文化研究センター)

初三郎は同じ図題の鳥瞰図を他にも描いていますが、こちらは1927年(昭和2年)発行の『醍醐山名所図絵』です。
先ほどの『伏見稲荷全境内名所図絵』と異なり、「記念山」の上の山に「大岩稲荷」が描かれておらず、『醍醐山名所図絵』では、「宝塔寺」と「七面山」の間の山道(参道)を登った先に「大岩稲荷」が描かれています。
現在、この宝塔寺さん側からのコースを利用して山を登っていけば、二石山の山中にある大岩大神・小岩大神に至ります。
したがって、『醍醐山名所図絵』に描かれる「大岩稲荷」は、現在の大岩山の大岩神社さんではなく、二石山の大岩大神だと考えられます。

これらはあくまでも絵図であり、正確な位置関係を示しているとは断定できませんが、大正時代の末期頃には大岩山の上でお祀りされていた「大岩稲荷」が、昭和期の初め頃までに伏見稲荷大社さん側の山(二石山)の上にも遷された可能性があります。
これが双方の山の上に「大岩」の神がおわす理由かもしれませんね。
もちろん、どちらの山にも当時から「大岩稲荷」があったが、吉田初三郎はそれぞれの絵図で片方ずつしか描かなかった可能性や、あるいは勘違いした(混同した)可能性もあります。
私は史料上で確認できないことは断定しないので、あくまでも可能性の話です。

上記の件は調査を継続しています。
時間が取れれば追記予定ですが、(本記事に限らず、)ごく稀にしか更新できず申し訳なく思います。

関連記事 深草トレイル 大岩山展望所の風景

すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。

大岩山(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「大岩山」周辺の地図を表示
「大岩山(オオイワヤマ)(おおいわやま)」
標高182m
京都府京都市山科区(山体は伏見区に跨る)

大岩山の山頂(標高点182m)は京都市山科区に所在しますが、「大岩山展望所」は京都市伏見区に所在します。

「大岩神社(オオイワジンジャ)(おおいわじんじゃ)」
京都府京都市伏見区深草向ケ原町 付近

Facebookでもコメントできます。

2 件のコメント

  • 大岩山からの眺望、2012年夏に訪れた時より視界が良くなっているような気が…
    一枚目の写真は展望台からの眺望でしょうか。
    2012年夏時点では、大岩山展望台から見た桃山城は木々にかなり隠されていた記憶があります。

    • そうです、1枚目も展望所から撮影しています。
      写真だと手前に見えている部分も大きく払われ、法面というか斜面も整備が進み、桃山城も下部に至るまで開けて見えやすくなりました。
      2012年の夏と現在では受ける印象も異なるでしょうから、また訪れてみてください。

  • コメントする

    コメント本文の入力のみ必須。お名前(HN)とメールアドレス、ウェブサイトの入力は任意。
    管理人の承認後、お名前(HN)と本文のみ公開されますが、メールアドレスは管理人にのみ伝わり、他者に公開されることはありません。
    入力した本文の内容を確認後、よろしければ「コメントを送信」ボタンを押してください。
    当コメントフォームはGoogle reCAPTCHA により保護されており、訪問者が人かロボットかを識別しています。
    Google reCAPTCHA の動作に必須なため、ブラウザの設定でJavaScript を有効化してください。

    このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。

    
    Loading Facebook Comments ...

    ABOUTこの記事をかいた人

    Maro@きょうのまなざし

    京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!