2013年(平成25年)8月16日、「五山送り火」(京都五山の送り火)当日の話。
夏らしく、この日もひどくもやった空模様、わざわざ遠くの山の上まで出向く気も起きず、親しい方と近場から送り火を見物しようと考えていました。
ですが、直前になり、今夏は石清水八幡宮さんで「夏の夜間特別拝観」が開催されていることを思い出し、大阪府との府境も近い京都府八幡市の鳩ヶ峰(男山)へと向かうことに。
目次
石清水八幡宮 夏の夜間特別拝観
石清水八幡宮さんの「夏の夜間特別拝観」。
夏場の夜間特別拝観は初めての試みだそうです。2013年(平成25年)8月31日まで。
男山展望台で「五山送り火」を観賞
夕暮れ時の石清水八幡宮さんを参拝し、男山ケーブルの男山山上駅(→2019年10月から石清水八幡宮参道ケーブルのケーブル八幡宮山上駅)の上の展望台へと向かいます。
当初は地元の方々が集まっていらっしゃるだけでしたが、送り火が点火される時間が近付くにつれ、撮影目的らしき方もちらほらと。
大気の状態は悪条件。
肉眼による視程は極端に短く、集まった方々とやきもきしながら点火の時を待ちます。
大岩山の稜線は見えていましたが、大文字山や比叡山の稜線は見えません。
当ウェブサイトではおなじみAさんが、点火従事者として大文字山の火床にいらっしゃいます。
こちらと向こう、20km近い距離がありますが、はたして……。
いよいよ点火の予定時刻です。
「大文字」を遠望
石清水八幡宮さんの鳩ヶ峰(男山)から「大文字」(如意ヶ嶽、大文字山)の送り火を望む。
撮影地点から「大」の火床の中心まで18.4km。
20時3分頃撮影。
さすがに赤い炎の力は偉大です。
遠くが見えにくい夜でしたが、点ればはっきりと見えていました。
「えっ、これが『大文字』?」と思われそうですが、中央の斜め線に近い跡がそれです。
左上の山の上が明るいのは比叡山(四明岳)のナイター営業ですね。
「大」の字跡は西北西方面を向いており、大文字山から見て南西にあたる鳩ヶ峰(男山)から望む場合、「大」の字には見えず、上の写真のような見え方をします。
明るい時間帯に比叡山や「大」の字跡を撮影した写真を上の記事に掲載していますので、気になる方は比較してみてください。
大文字山の火床から「あべのハルカス」方面を撮影した写真、過去のどの記事でもよいのですが、そうですね……、
上の記事に掲載している写真などからも分かるように、大文字山の火床、鳩ヶ峰(男山)、あべのハルカスの3者は直線上に並んでいます。
よって、2014年(平成26年)の春に公開が予定されている「あべのハルカス」の展望台、「ハルカス300」と呼ぶそうですが、そちらから「大文字」の送り火を望む場合、鳩ヶ峰(男山)から望む姿と似たような見え方をするものと推測されます。
「あべのハルカス」から大文字山の火床までは50km近い距離がありますが、昨年、2012年(平成24年)なみに空気が澄んでいれば、双眼鏡などを用いて遠望できるでしょう。
「妙法」を遠望
鳩ヶ峰(男山)から「妙」(松ヶ崎西山)、「法」(松ヶ崎東山)の送り火を望む。
撮影地点から「法」の火床の最上段まで20.8km。
20時15分頃撮影。
鳩ヶ峰(男山)からは「妙法」の字跡が綺麗に並んで見えていました。
この夜、山の上でお会いした地元の方々が「送り火が見える山だということを多くの方に知ってほしい」とおっしゃっていました。
ヤブカ(ヒトスジシマカ)が多いという点に難があるものの、「妙法」、それに、次の「左大文字」の字跡を確認できる、それに、誰でも容易に訪れることができる山であるという点で、大阪府寄りの地域に在住なさる方にとっては五山送り火観賞の候補地となりえるのではないでしょうか。
「左大文字」を遠望
京都府八幡市の鳩ヶ峰(男山)から「左大文字」(左大文字山)の送り火を望む。
撮影地点から「大」の火床の最上段まで18.2km。
20時22分頃撮影。
やや分かりにくいですが、左大文字山の稜線の向こう側がうっすらと赤く染まっています。
これは左大文字山より遠方に所在する船山で「舟形」の送り火が点されているためです。
地図上に線を引いて検討していただければ分かりますが、鳩ヶ峰(男山)から「舟形」を望むことはできません。
男山の展望台と舟形の火床の上段を結ぶ直線上には左大文字山と兀山(鷹峯、鷹ヶ峰)が所在する、それも恐ろしく正確にそれらの山頂を通過します。
男山の展望台の標高は約100m、「舟形」の火床の最上段の標高は約270m、間に所在する兀山の標高は261.6m(都市計画基本図による)で、地球が丸いこともあいまって、残念ながら「舟形」は見えません。
現地では「ここから鳥居形も見える」と強く主張なさる方がいらっしゃいましたが、松尾山に遮られるため、男山の展望台から「鳥居形」も見えません。
したがって、当地からは「五山送り火」5山で6字のうち、3山の4字を見通せます。
予定に無かった鳩ヶ峰(男山)行きとなりましたが、送り火はもちろん、石清水八幡宮さんの夜間特別拝観や、地元の方とのふれあいも楽しむことができました。
男山の展望台には、背割堤の花見の時期や、夜景の撮影などでも訪れていますが、また、機会を見て訪れたいものです。
以上、2013年8月16日の話。
余談
「五山送り火」はどこから見える?
これは余談ながら、「京都五山送り火」は大阪府と和歌山県を分ける和泉山脈の山々から遠望できます。
和泉山脈でも西部寄りの山域は、とくに「大文字」を見通せる計算上の最遠望地点ですが、前述の理由から「大」の字には見えません(斜め線にしか見えない)。
「大文字」が「大」の字らしく見え、かつ、明確に京都方面が開けた展望地を持つ山としては、京都府南丹市と大阪府豊能郡能勢町の境に所在する深山あたりが限界だと考えられます。
また、奈良県五條市と吉野郡十津川村の境に所在する下辻山の展望地から「舟形」などを見通せ、これは直線距離にして100kmを超える遠望スポットとなります。
送り火の五山六字全部を1ヶ所から見るのは意外に難しく、地に足をつけた状態で鳥居形と大文字を同時に見渡せる地点は限られています。
よく知られている展望スポットとしては京都タワーや京都駅ビル空中径路などがありますが、いずれも送り火の当夜は特別観賞券が必要です。
あくまでも計算上の話であれば、久世郡久御山町のあたりが五山六字を同時に見通せる最遠望地点ですが、実際に望むのは困難です。
「地に足をつけた状態」と限定しなければ、空や宇宙から見通せる可能性があります。
地表(地に足をつけた状態)から五山六字が全て見える山の一例を上の記事に。
五升庵蝶夢の俳句に見る「大文字」の送り火
江戸時代以降に「大文字」の送り火を詠んだと考えられる歌や俳諧・俳句はいくつか知られますが、ここではとくに有名な俳句を。
秋
大文字や一筆山をそめはしめ
五升庵蝶夢
「一筆山を染めはじめ」、大文字の点火が始まったようです。
この句を作った蝶夢(五升庵蝶夢)(蝶夢法師)(蝶夢和尚)は江戸時代中期頃の僧・俳人。
表徳(俳号)の「蝶夢」は荘子の「胡蝶の夢」に由来するとしか思えませんが、違うかもしれません。
蝶夢は阿弥陀寺塔頭の帰白院(京都市上京区)の住職の座を辞した後、岡崎に五升庵を結んで隠棲し、後半生は敬愛する松尾芭蕉の顕彰事業に捧げました。
木曾義仲(源義仲)や巴御前ゆかりともされる木曾塚を祀る、松尾芭蕉ゆかりである大津の義仲寺は、一時、庵主が絶えていたものを、宝暦13年(1763年)の芭蕉70回忌にあたり、蝶夢らが再興に努めたもので、明和7年(1770年)に影堂落成の供養を修しました。
この影堂は安政3年(1856年)の失火で灰燼に帰しており、明治時代には琵琶湖大水害や火災に遭うなど、義仲寺さんは苦難の道のりを乗り越えて今に至ります。
送り火とは関係ありませんが、蝶夢は夜の山を詠んだ俳句も残しています。
ナイトハイカーとしては気になるところ。
冬
夜興引
犬の毛を目当てに入るや夜の山
五升庵蝶夢
「夜興引(よこひき、よこびき、よごひき、よこうひき)」は冬の季語で、春に備え、冬の夜に犬と猟に出るといった意味合い。
「犬の毛を目当てに」、つまり、「連れた犬(の毛)を頼りに」夜の山に入った人を見て詠んだのでしょう。
その状況が猟に適しているかは分かりませんが、月明かりの下、犬の白い毛が照らされていたのかもしれませんね。
「岡崎に五升庵を結んで隠棲し」と書きましたが、蝶夢が嵯峨嵐山へ花見に出ている間に、この五升庵は近隣で発生した火事の巻き添えで全焼して、それから再建したらしい。
この顛末は蝶夢による『五升庵再興の記』に詳しい。
予も八年ばかりのむかし、寺務をのがれてこの岡崎の里のうしろに、如意が嶽をおひ、右に神楽岡左に華頂山ありて、山ふところの暖(あたゝか)に、前に白河ながれて凉しく、
(後略)
『五升庵再興の記』
岡崎の里の後ろに、如意ヶ嶽(大文字山)を背負い、右に神楽岡(吉田山)、左に華頂山(将軍塚の連なり)があり、前には白川が流れて涼しいと、なかなか具体的に五升庵の所在を描写しています。
したがって、蝶夢が「大文字」の送り火を近くで眺める機会もあったでしょう。
他の俳人と同様、蝶夢は旅や観光も好んでいたようですので、断定はできませんが、「夜の山」の句も京都東山での出来事かもしれませんね。
鳩ヶ峰(地理院 標準地図)
「鳩ヶ峰(ハトガミネ)(はとがみね)」標高142.3m(→142.4m)(二等三角点「八幡」)
京都府八幡市
「石清水八幡宮」
京都府八幡市八幡高坊 付近
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