岩湧山の夕景と夜景 小豆島と大阪湾、京阪神を一望 和泉山脈

2013年(平成25年)9月の話。
この日は和歌山県橋本市との府県境近く、大阪府河内長野市を代表する名峰である岩湧山(いわわきさん)を登りました。
和泉山脈の東部に属するとはいえ、令制国や大阪府の地域区分としては南河内にあたります。

登頂時は今ひとつな見え方だった大阪湾方面の展望。
時間が経つにつれ、六甲山や淡路島が見えやすくなり、ついには淡路島の向こうに小豆島の島影が浮かび上がります。

岩湧山から小豆島、りんくうゲートタワービルを望む 2013年9月

岩湧山から関西国際空港、淡路島、小豆島を遠望 河内長野市

2013.09.18

秋の岩湧山をトワイライトハイクし、明石海峡などを眺望した話は前回までの記事に。
今回はその続きです。

大阪府河内長野市 岩湧山からの展望、眺望

関空、淡路島の向こうに小豆島を遠望

岩湧山の展望地から関西国際空港、淡路島、小豆島の夕景を望む 2013年9月
岩湧山の展望地から関西国際空港、淡路島、小豆島の夕景を望む。
撮影地点から小豆島最高峰の星ヶ城山(香川県小豆郡小豆島町)まで114.4km。
「淡路富士」先山(兵庫県洲本市)まで65.5km。

これは夕暮れ時、日没より前の時間帯に撮影した写真です。
小豆島の上空、雲の合間にかろうじて夕日が覗いていますが、いかんせん雲が多く、これでは日が沈む姿は拝めそうにありません。

関西国際空港 方面

岩湧山から日没時の関西国際空港を望む 河内長野市 2013年9月
岩湧山から日没時の関西国際空港、淡路島を望む。
撮影地点から妙見山(淡路妙見山)(兵庫県淡路市)まで57.4km。
りんくうゲートタワービル(大阪府泉佐野市)まで23.4km。

予想どおり、日の入そのものは逃してしまいましたが、それでも、眼前に広がる素晴らしい景色にただただ感動するばかり。
「りんくうゲートタワービル」の左には、緑色にライトアップされた大観覧車「りんくうの星」。
やや分かりにくいですが、写真の左奥には小豆島(星ヶ城山)や瀬戸内海も写っていますね。

あべのハルカス、大阪都心部 方面

岩湧山から日没時の「あべのハルカス」、大阪長居スタジアムを望む 2013年9月
岩湧山から日没時の「あべのハルカス」を望む。
撮影地点から超高層ビルの「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)まで30.3km。
剣尾山(大阪府豊能郡能勢町)まで71.1km。

「あべのハルカス」などの航空障害灯がすでに点灯しています。
分かりにくいですが、中央部が大阪梅田方面となります。

大阪湾、六甲山 方面

岩湧山から日没時の大阪湾、六甲山を望む 2013年9月
岩湧山から日没時の大阪湾、六甲山を望む。
撮影地点から六甲最高峰(六甲山最高峰)(神戸市北区、東灘区)まで51.9km。

日も暮れ、あっという間に小豆島も見えなくなってしまいました。
これ以降は日没後に撮影した写真となります。

大阪平野西部、和泉、大阪湾、神戸方面の夜景

岩湧山から大阪平野、大阪湾、神戸の夜景を望む 2013年9月
岩湧山から大阪平野西部、大阪湾、対岸に神戸方面の夜景を望む。
撮影地点から摩耶山(神戸市灘区)まで50.9km。

大阪湾の対岸、写真の左端が神戸三宮の周辺となります。
明るいため、夜になると場所が分かりやすいですね。

大阪平野東部、河内、京都方面の夜景

岩湧山から大阪平野、遠くに京都の夜景を望む 2013年9月
岩湧山から大阪平野東部、生駒山、遠くに京都南西部の夜景を望む。
撮影地点から愛宕山(京都市右京区)まで76.5km、河内飯盛山(大阪府大東市)まで40.2km。

河内飯盛山の向こう、遠く遠くに京都南西部の街明かりも写っています。
大雑把に申し上げて、大平和祈念塔(PLの塔、PLタワー)、河内飯盛山の左肩、その向こうに鳩ヶ峰(男山)の左肩、さらにその先、最奥が京都市となります。
愛宕山の手前は高槻市のあたりです。

この日、時間が経つにつれ曖昧に失せていった比叡山と入れ替わるように、日暮れには愛宕山が浮かび上がるように見えていました。
上の写真でも、地蔵山の山頂が雲で隠れてはいるものの、日没後にもかかわらず、愛宕山はきわめてくっきりと写っています。
同じ京都盆地を囲む山とはいえ、比叡山と愛宕山の気象条件が異なることが分かります。

記事は2回に分ける程度で済むかと思ったのですが、撮影した写真が意外に多く、話もとりとめなく冗長になったため、けっきょく、4回に分ける形となってしまいました。
この日の岩湧山からは比叡山、比良山地や鈴鹿山脈、それに、大阪湾や明石海峡大橋、はては小豆島まで望むことができましたが、いずれ、湖北や江越美方面の条件が良い日にも訪れてみたいものです。

追記事項

「いわわきの道」の通行止について追記

岩湧山も先日の台風第18号がもたらした大雨の影響を受けたと聞きました。
岩湧の森「四季彩館」さん によると、現状、「いわわきの道」は通行不可とのことです

追記。
2014年(平成26年)3月25日、「いわわきの道」の通行止めが解除されました。

さらに追記。
2014年7月3日、「ぎょうじゃの道」の通行止めも解除されました。

岩湧山におけるナイトハイキングについて追記

近年、ナイトハイキングで岩湧山を訪れる方が増えているようですが、山頂域での「火気禁止」のルールは守るように心掛けてください。
私個人としては、ナイトハイキングそのものは構わない、好きにすればよいと四季彩館さんの方から許可を受けていますが、他の方にも適用されるかは分かりません。

追記。
山頂の「火気禁止」看板が「火器の使用は慎重に」に置き変わりました。
過去に山火事が発生していることも踏まえ、各自の判断で慎重に使用しましょう。

四季彩館さんの運営方法が変わりました

2016年(平成28年)4月1日から四季彩館さんの運営方法が変わりました。

4月1日から四季彩館の運営が変わります|岩湧の森 「四季彩館」
http://www.city.kawachinagano.lg.jp/shikisaikan/news/1459050510922.html (リンク切れ)

詳しくは上のリンク先を。

「岩湧山」の読みと「キトラ山」について

河内長野市のご出身で、お父様とご一緒に子どもの頃から岩湧山に親しまれている私の山友だちさんに伺いましたが、岩湧山の読み方について、地元では「いわわきさん」と呼んでいた、(口語で)「いわわきやま」と呼ぶ人は珍しいのでは、とおっしゃっていました。
あくまでも、その方によると、というお話ですが。
「岩(いわ)」「湧(わき)」という、いかにも美しい訓読みなので、なんとなく「やま」と続けるのも良いかなと考えていましたが、葛城大峰では「葛城山(かつらぎ-さん)」「大峰山(おおみね-さん)」と「さん」に続けるのが自然なのでしょう。

なお、二等三角点「岩湧山」の「点の記」では、明治時代の設置時から直近に至るまで、三角点の点名としての「岩湧山」に「イワワキヤマ」「いわわきやま」と振り仮名を振っています。
また、1950年(昭和25年)観測時の「点の記」には、三角点の所在地について、「大阪府南河内郡高向村大字瀧畑字キトラ」「俗稱 キトラ山」と見えます。
今でも山頂のカヤトを「キトラ」、山頂の西の標高点790m峰を「キトラ山」などと呼びますが、当時は山頂を広く「キトラ山」と呼んでいたようですね。
高向村(たこうむら)に属した山域はかなり広く、東は岩湧山(ただし、岩湧寺は村の範囲外)、西は三国山までおおむね含まれています。

2019年1月 河内長野市のサイトがリニューアル

偶然、気付きましたが、今日、2019年(平成31年)1月18日、河内長野市の公式サイト(ホームページ)が全面的にリニューアルされたようです。
「それに伴ない、ページのアドレスが変更されております」とのことで、四季彩館さんのページなどに繋がりません。
どうやらリダイレクトの処理などもなさってないようです。
しかし、我ながらよく気付きましたね……(笑

四季彩館さんの新アドレス
https://www.city.kawachinagano.lg.jp/site/shiki/

少し掘れば新しいアドレスにもたどり着けましたので、当方のリンク先は即日で修正しておきました。

関連記事 2013年9月 ナイトハイク 岩湧山の風景

すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。

岩湧山(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「岩湧山」周辺の地図を表示
「岩湧山(イワワキサン、イワワキヤマ)(いわわきさん、いわわきやま)」
標高897.1m(二等三角点「岩湧山」)
大阪府河内長野市(山体は和歌山県橋本市に跨る)

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!