音羽山 鶴の里・池の内公園から琵琶湖展望ハイキング 大津

滋賀県大津市と京都府京都市山科区の府県境に所在する音羽山。
一般的なハイキングコースとして、

  • 山科区の小山から山科音羽川を遡上し、音羽の滝や牛尾観音さんを経て登頂するコース
  • 山科音羽川の鎌研橋(かまとぎばし)から西尾根を登るコース
  • 大津市の大谷・逢坂から東海自然歩道を登るコース
  • 大津市の膳所平尾・池ノ内町から御用池~相模川沿いに登るコース
  • 大津市の国分から東海自然歩道を登るコース

などが知られています。

ですが、現状、音羽山でも屈指の見晴らしが良いコース、いわば、琵琶湖大展望コースともいうべき、

  • 大津市の鶴の里・池の里から関電巡視路、送電鉄塔を経て登頂するコース

の知名度は高いとはいえません。

すでに4ヶ月以上前の話となってしまいましたが、今年の2月、つまり、2015年(平成27年)2月にAさんと当コースを利用して音羽山を登りました。
どちらかといえば遠くまで見えやすい日で、遠く白山(加賀白山)まで明瞭に見えていましたが、私の目当ては別にあり……。
その話はおいおい。

大津市 音羽山の中腹からの展望・眺望

琵琶湖を一望

音羽山 鶴の里・池の里コース 送電鉄塔の展望地から琵琶湖を一望する 2015年2月
音羽山の鶴の里・池の里コース、送電鉄塔(鉄塔番号「膳所支線 一八番」)の展望地から琵琶湖を一望する。

主な山距離標高山頂所在地備考
上谷山83.3km1196.7m滋賀県長浜市
(福井県南条郡南越前町)
金糞岳75.5km1317m岐阜県揖斐郡揖斐川町
滋賀県長浜市
伊吹山68.4km1377.3m滋賀県米原市滋賀県最高峰
伊吹山地最高峰
霊仙山56.8km1094m滋賀県犬上郡多賀町

遠くは湖北、湖東方面。
滋賀県の最高峰である伊吹山の左手前に近江八幡市の津田山(長命寺山)。
滋賀県で2番目に高い山でもある金糞岳の右手前には沖島が浮かんでいます。
金糞岳の左遠方には白山も写っていますが、上の写真では分からないでしょう。
白山は本記事の最後にも写真を掲載しています。

琵琶湖の手前側は大津市でも膳所の周辺で、大津プリンスホテルさんが目立ちますね(→翌2016年4月1日に「びわ湖大津プリンスホテル」と改称)。
この構図の左は大津港や浜大津方面、右は近江大橋方面。

左端に琵琶湖大橋。
右端に矢橋帰帆島に架かる帰帆北橋。

視点を右へ。

鈴鹿山脈と湖南を一望

音羽山 鶴の里・池の里コース 展望地から湖南、鈴鹿山脈を一望する 2015年2月
音羽山の鶴の里・池の里コース、送電鉄塔の展望地から湖南、鈴鹿山脈を一望する。

主な山距離標高山頂所在地備考
御池岳54.2km1247m滋賀県東近江市鈴鹿山脈最高峰
雨乞岳47.3km1237.7m滋賀県東近江市
滋賀県甲賀市
三上山17.0km432m滋賀県野洲市近江富士

眼下には湖南の平野部を、遠くには鈴鹿山脈の連なりを一望できます。
広角で撮影した写真では分からないでしょうから、鈴鹿は最高峰の御池岳と、2番目に高い雨乞岳のみ示しておきます。

近江大橋の後ろには矢橋帰帆島に架かる帰帆南橋が写っており、矢橋帰帆島を通じて先ほどの写真と繋がります。
ただし、撮影時の焦点距離(画角)が異なるため、そのまま連結はできません。

琵琶湖を含め、近江盆地を広く見渡せる、この絶景を誇る展望地には、大津市の「池の内公園」から、あるいは鶴の里から、いずれからでも登ることができます。
最寄りの公共交通機関は近江鉄道バスの「花屋敷池の里北」停留所。
JR東海道本線の大津駅、京阪石山坂本線の浜大津駅(→2018年3月17日に「びわ湖浜大津駅」と改称)から近江鉄道バス「鶴の里団地線」(ひと昔前は「花屋敷鶴の里線」と呼んでいたように思います)に乗車すれば約10分ほどで到着します。
膳所の高台はニュータウンの開発が進みましたが、鶴の里や池の里を含め、湖城が丘(湖城ヶ丘)(かつての岡山)や茶臼山に至るまで、古くは音羽山から連なる丘陵地帯の一部でした。
造成中の湖城が丘は見晴らしが良く、近江大橋周辺の風景や、琵琶湖の対岸に矢橋帰帆島や三上山を綺麗に望めます。

「急がば回れ」と矢橋

余談。
ことわざ「急がば回れ」の語源について、草津宿から大津宿へ向かうにあたり、草津の矢橋港(やばせ)から、琵琶湖の対岸、大津の石場港(いしば)へ渡る水路を利用するほうが、瀬田橋を経由する東海道の陸路より距離的に短いが、比叡おろしの強風などの影響で、季節によっては琵琶湖の水面は荒れやすく、水路は安定しない、結果的に陸路を利用するほうが速く到着する(場合もある)、ここから「急がば回れ」が生まれた、そのことを詠んだ室町時代後期の連歌師、宗長(そうちょう)(柴屋軒)の歌に由来する、といった説明がなされるようです。
しかしながら、現存する宗長の句集や日記、後世の宗長伝にはそのような歌は見えません。 
では、どこからこの説が現れたのかといえば、江戸時代初期に成立した、当時、流行していた小咄を安楽庵策伝 [1]がまとめた笑話集『醒睡笑』に、

いそがば廻れといふことは、物毎(ものごと)にあるべき遠慮なり、宗長のよめる、
武士(もののふ)のやばせの船は早くともいそがば廻れ瀬田の長橋
『醒睡笑』

の一節があり、これが「宗長の歌が『急がば回れ』の由来」説の根拠となっています。
ですので、厳密には「宗長の歌に由来する」ではなく、「『醒睡笑』が引く宗長の歌に由来する」が正しいといえます。
もっとも、室町時代後期の『雲玉和歌抄』(雲玉和歌集抄) [2] では、

雑部
題知らす
俊頼
もののふのやはせの舟ははやくともいそかはまはれせたの長はし
『雲玉和歌抄』

同じ歌を俊頼の歌として収めており、宗長の歌とする『醒睡笑』と一致しません。
「俊頼」は平安時代後期の歌人、源俊頼だと考えられます。
確かに俊頼の歌であるかは別として、『雲玉和歌抄』と『醒睡笑』、どちらが先かでいえば、『雲玉和歌抄』が先です。
俊頼の歌とする『雲玉和歌抄』は永正11年(1514年)に成立しており、1532年没の宗長の存命時に編纂されている点に留意。
ただし、源俊頼が編纂した『金葉和歌集』(金葉集)といった勅撰和歌集や、俊頼の私家集『散木奇歌集』に上の歌は見えません [3]
あくまでも、私撰集である『雲玉和歌抄』で俊頼の歌として収載するのみで、源俊頼がこのような歌を詠むのか、という疑問は残ります。

源俊頼朝臣
音羽山もみぢ散るらしあふさかの關の小川に錦おりかく
『金葉和歌集』

音羽山で散ったであろう紅葉が、山麓の逢坂関に織り掛くかのような光景を詠んだ秋の歌です。
「関の小川」は現在の吾妻川を指すとされますが、本来、歌枕としては「関の清水」と同義ともされます。
湖南も好んだ俊頼が「さゝふの山」(現在の笹間ヶ岳)で詠んだ歌は、他の記事 でも取り上げていますので、昔の歌人の山遊びに興味がある方はそちらもどうぞ。

そもそもで申し上げれば、『論語』子路第十三に「欲速則不達」(速やかならんと欲すれば、則ち達せず)の一節があり、「急がば回れ」は、この思想に影響を受けている可能性があります。
意味合いとしてはやや異なりますが、西洋には”Festina lente”(ゆっくり急げ)の格言があり、明治時代頃の日本では「徐に(おもむろに=ゆっくりと)急行せよ」などと訳され、(あくまでもその頃は)「急がば回れ」の類語と見なされていたようです。
現状、ja.wikipedia やマスメディアさんが配信する記事も含め、本件ではインターネット上の大半の記事が不正確な記述となっており、中途半端な説が広まっていることを危惧しています。


権僧正公朝
さゝ波ややはせの船のいてぬまにのりおくれしといそくかち人
『夫木和歌抄』

「さざ波や矢橋の船の出でぬ間に乗り遅れじと急ぐ徒歩人(=旅人)」。
「近江八景」に「矢橋帰帆」と挙がる矢橋の風景も、明治時代になり、水路の利用が減少すると港も衰退し、1978年(昭和53年)には人工島「矢橋帰帆島」が造成され、かつての面影は失われました。
一時期、この矢橋帰帆島をよく訪れており、対岸で打ち上げられる琵琶湖の花火大会を撮影したり、逆に、多くの山の上から矢橋帰帆島を撮影したり、個人的に思い出深い地です。
「急がば回れ」の件もどこかに記録しておこうと考えていましたが、適当な記事が見当たらないため、後半に唐橋周辺を撮影した写真も掲載していますので、ひとまず本記事に余談として差しておきます。

草津ウィンターフェスティバル 昼の打ち上げ花火と近江富士、琵琶湖を音羽山から遠望 2016年2月

草津ウィンターフェスティバル 冬花火を遠望 昼花火は関西初?

2016.02.16

この翌年、矢橋帰帆島で打ち上げられた花火を音羽山から撮影した話は上の記事に。

音羽山の登山口について

池の内公園登山口

音羽山の登山口 大津市 鶴の里・池の里 池の内公園 2015年2月
音羽山の登山口。大津市鶴の里と池の里の境にあたる「池の内公園」(池ノ内公園)。

登山口にあたる「池の内公園」は、地形図ではこのあたり
公園の奥まで進めば道標があり、あとは関西電力さんの巡視路を送電鉄塔まで登るのみ。
こちらのコースのほうが道中の見晴らしが良いですが、巡視路のお約束、急登の階段道が続きます。

最寄りのバス停が池の里であることから混同されやすいですが、厳密には「池の内公園」の住所は大津市鶴の里で、音羽山に入山すると大津市膳所池ノ内町となります。
公園の南縁が鶴の里と池の里の境にあたりますが、次の登山口と区別するため、便宜上、「池の内公園登山口」としておきます。

鶴の里登山口(BBC登山口)

大津市鶴の里 BBCびわ湖放送本社 音羽山の登山口付近 2015年2月
音羽山の鶴の里登山口付近、びわ湖放送さん(BBC)の本社。

鶴の里からの登山口付近にあたる「びわ湖放送さんの本社」(BBC本社)は、地形図ではこのあたり
びわ湖放送さん本社の北西角から北西を向けば、硝友クラブ(日本電気硝子さんの保養所)の脇から山へ入る道が見えます。
水道施設の脇を抜け(他のコースも有り)、あとは踏み跡に従って南の尾根を登るのみ。
地形図では破線路すら見えませんが、よく踏まれた山道です。
これを「鶴の里登山口」としておきますが、「硝友クラブ登山口」や「BBC登山口」と呼ぶ方もいらっしゃるようです。

いずれのコースを取るにせよ、約15~20分ほど登れば送電鉄塔(鉄塔番号「膳所支線 一八番」)で合流します。
送電鉄塔が建つ地点の標高は約330~335m、くしくも大文字山の火床の標高と同等ですが、登山口の標高が高いため、急な登りを苦にしない方であれば、大文字山の火床まで登るより楽でしょう。

この送電鉄塔の展望地は北から南東にかけて東向きが大きく開けており、朝日を拝むにも適しています。
地元にお住まいの方が羨ましいかぎりです。
音羽山の山頂も好展望地ですが、木立に遮られるため、東向きにあたる鈴鹿山脈や金勝アルプスなどは見えません。
代わりに山頂は西向きが開けており、山科盆地や京都盆地を眺めることができます。
山頂まで登ってしまうと見えない金勝アルプスや湖南アルプス、鈴鹿山脈を撮影しておきます。

記事冒頭の2枚の写真と撮影地点は同じです。

音羽山 鶴の里コース 送電鉄塔の展望地から

金勝アルプスと阿星山を望む

音羽山 鶴の里・池の里コースから瀬田川、金勝アルプスを望む 2015年2月
音羽山の鶴の里・池の里コースから瀬田川、金勝アルプス、阿星山を望む。

主な山距離標高山頂所在地備考
仙ヶ岳48.4km961m三重県亀山市
三重県鈴鹿市
滋賀県甲賀市
那須ヶ原山
41.3km799.6m滋賀県甲賀市
(三重県亀山市)
油日岳39.5km693m滋賀県甲賀市
三重県伊賀市
阿星山17.8km693.0m滋賀県湖南市
滋賀県栗東市
鶏冠山13.0km490.8m滋賀県栗東市
滋賀県大津市
竜王山14.5km604.6m滋賀県栗東市金勝アルプス
金勝寺山15.6km610m滋賀県栗東市標高の値は
10mDEMによる

阿星山や金勝アルプスの遠方に鈴鹿山脈南部~南端部の山々がわずかに見えています。
竜王山の手前には天狗岩や周辺の岩場が写っていますが、写真では分かりません。
参考程度に示しておきましたが、竜王山の西尾根(~白石峰)、茶沸観音さんの小ピークが手前に重なるため、金勝寺山の山頂が見えているかは微妙なところです。

琵琶湖から瀬田川へと流出するあたり、中央付近に瀬田川水管橋(瀬田川共同橋)、JR東海道本線の瀬田川橋梁が写っています。
右には瀬田川大橋の一部も写っていますが、ビルの陰で分かりにくいです。
この展望地は瀬田唐橋の周辺で行われる花火大会(船幸祭)を適度な距離から遠望できるスポットですが、びわ湖大花火大会の夜の逢坂山と同様、当夜は地元の方が多い、かもしれません。
上の写真では右端付近、下の写真では左端付近に見えるでしょう。

船幸祭 打ち上げ花火を大津の音羽山から遠望 2016年8月

音羽山の夜景 瀬田川花火大会と琵琶湖を展望 船幸祭 大津

2016.09.15

後年、船幸祭の打ち上げ花火を音羽山から撮影しました。
その話は上の記事に。

視点を右へ。

湖南アルプスと信楽・大鳥居の568m峰を望む

音羽山 鶴の里・池の里コースから湖南アルプス(田上山地)を望む 2015年2月
音羽山の鶴の里・池の里コースから湖南アルプス(田上山地)を望む。

主な山距離標高山頂所在地備考
標高点568m峰
(四百山)
17.5km568m滋賀県甲賀市
滋賀県大津市
大鳥居の南
太神山13.3km599.6m滋賀県大津市
矢筈ヶ岳12.5km562m滋賀県大津市
猪背山14.2km553.2m滋賀県甲賀市
滋賀県大津市
笹間ヶ岳10.2km432.9m滋賀県大津市
伽藍山4.0km239m滋賀県大津市石山寺

とくに示していませんが、田上山地の主峰である太神山の右手前には、笹間ヶ岳と並ぶ好展望の岩山として知られる堂山が見えています。
険しい岩肌が露出していますね。

左遠方に見える標高点568m峰は田代川の東、大戸川の南で、地形図ではこのあたり
甲賀市(信楽町田代)と大津市(上田上大鳥居町)の市境尾根の上、湖南アルプスの東、金勝アルプスの南、信楽高原の北。
この境界的な山域の最高峰であり、遠くからでも目立つ美しい山容を誇り、山道や巡視路もしっかりしていますが、私が知るかぎりでは無名峰という不遇の山です。
大戸川を挟んで対岸の山の岩壁(はち岩)は、滋賀県では有名なクライミングスポットで、山麓の地名から、俗に「大鳥居(の岩場)」と呼ばれています。
ただし、岩場の所在地は大津市(大鳥居)ではなく栗東市(荒張)で、山域としては金勝アルプスの南端と見なせます。
国土交通省近畿地方整備局によると、はち岩(鉢岩、八岩)と呼ぶようですが、大鳥居の岩場とする俗称が広まってしまい、もはや手遅れでしょう。

大鳥居の568m峰は「四百山」 甲賀・大津の市境

2016年(平成28年)6月、568m峰の件で追記。
この標高点568m峰を大鳥居側では「四百山(しひゃくやま)」と呼ぶことを、近江の山に詳しい地元の方(かつて、大鳥居と御縁があった方)から、直接、ご教示いただきました。
これほど秀麗な山が無名峰のわけがないと考えていましたが、長年の疑問が解決して嬉しかったです。
ありがとうございました。
現時点では、インターネット上では完全に名無しの568m山扱いですが、過去の同様の例と同様、本記事から山名が拡散すると見ています。
追記終わり。

2018年(平成30年)12月、追記。
少しずつ広まっているようで? 何よりです。
同じ方から、他の大鳥居周辺の細かな山名も教えていただきました。
そういった山々も、現在は無名峰的な扱いを受けているようですので、いずれ記録として残せれば……、と考えていますが、いつになるか分かりません。
四百山のみならず、大鳥居には「二百山(にひゃくやま)」なる山もあったそうですが、すでに正確な所在地は不明だそうです。
重ねてお礼申し上げます。
追記終わり。

湖北を向いて撮影した写真も1枚だけ。

白山を遠望

音羽山 鶴の里・池の里コースから白山(加賀白山)、琵琶湖、竹生島を遠望 2015年2月
音羽山の鶴の里・池の里コースから白山(加賀白山)、西美濃の山、湖北の山、琵琶湖、竹生島を遠望する。

主な山距離標高山頂所在地備考
御前峰
(白山)
153.2km2702.1m石川県白山市
岐阜県大野郡白川村
石川県最高峰
両白山地最高峰
三周ヶ岳86.5km1292.0m岐阜県揖斐郡揖斐川町
横山岳76.8km1131.7m滋賀県長浜市
烏帽子山87.5km1242.2m岐阜県揖斐郡揖斐川町
白倉岳
(白倉ノ頭)
74.9km1270.7m岐阜県揖斐郡揖斐川町
滋賀県長浜市
竹生島54.4km197.3m滋賀県長浜市点名「竹生島」

左端、竹生島の手前に見えているのは琵琶湖大橋の東岸です。
琵琶湖大橋の橋梁じたいは写っていませんが、東岸の施設が写っています。
ラフォーレ琵琶湖さんや琵琶湖アーバンリゾートさんは目立ちますが、ピエリ守山さんはぎりぎり左端で見切れているようです。
遠く琵琶湖の対岸には湖北の街並みや山本山も写っていますね。

加賀白山と「くさつ夢風車」を音羽山から遠望 鶴の里・池の里コース 展望地 滋賀県大津市 2015年2月

音羽山から白山を琵琶湖越しに遠望 / 比叡山ホテルの話

2015.07.08

音羽山から白山の見え方については、上の記事で詳しく検証しています。

琵琶湖大橋から東には烏丸半島、くさつ夢風車、沖島などが見えています。
この日は私のデジカメの動画撮影機能でも白山、琵琶湖、湖岸道路、くさつ夢風車を合わせて撮影できましたが、くさつ夢風車は2013年(平成25年)4月から稼働を停止しており、車の往来以外の動きが無く、せっかくの動画も今ひとつでした。

とくに示していませんが、三周ヶ岳のすぐ左のピークが滋賀・福井・岐阜の三県境、近江・越前・美濃の三国境にあたる三国岳です。
このあたりは豪雪地帯として知られており、金糞岳と並び、遠くから見ても山頂域が真っ白であることが分かります。
厳冬期の横山岳も雪が深く、雪山初心者を寄せ付けない山ですが、上谷山や三国岳など、余呉の最深部の山々と比較すれば、まだ控えめな部類です。

整理の都合で記事を分けます。

音羽山 鶴の里・池の里コース 琵琶湖展望地から北アルプス乗鞍岳を遠望 2015年2月

京都市や大津市の音羽山から北アルプスの乗鞍岳まで見える?

2015.07.03

続きは上の記事に。
はたして、音羽山から見通せる最遠望の山とは……!?

追記

音羽山の山麓でもクマが目撃される

2020年(令和2年)5月28日、同31日に大津市国分でツキノワグマが目撃されたとの報道がありました。
大津市国分は音羽山や千頭岳の東麓にあたる地域で、三等三角点270.5m(点名「深谷」)の山を「国分山」と呼ぶようです。

住宅街でクマ目撃、体長1メートル 警察が注意呼び掛け|京都新聞
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/263974 (リンク切れ)

大津市によると、28日は「国分二丁目の集落から裏山」で、31日は「国分一丁目の集落から周辺」で目撃されたとのこと。
音羽山からは宇治川ライン(瀬田川)まで山続きであり、あくまでも可能性の問題ですが、いわゆる醍醐山地の京都市側や宇治市側まで出没範囲を広げるかもしれません。
音羽山周辺峰を山歩きなさる方は各々でご注意ください。

関連記事 大津市・京都市 音羽山から展望ハイク

すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。

音羽山(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「音羽山」周辺の地図を表示
「音羽山(オトワヤマ)(おとわやま)」
標高593.1m(593.2mから改定)(三等三角点「小山」)
京都府京都市山科区、滋賀県大津市

脚注

  1. 京都の誓願寺法主。美濃国出身。『醒睡笑』により、後世、落語の祖と見なされるようになりました。各地で収集したツバキを記録した『百椿集』の著者としても知られます。『醒睡笑』は他記事でも取り上げている『きのふはけふの物語』(昨日は今日の物語)と近い時期に編纂されましたが、『きのふはけふの物語』より説話集的な要素が強いです。[]
  2. 雲玉集。室町時代の歌僧(おそらく禅僧)、衲叟馴窓(納叟馴窓は誤り)による私撰和歌集。馴窓は出自不明ながら(『大日本歌書綜覧』では馴窓について「誰たるを知らず」としています)、若い頃は江戸城の近辺に在住しており、武家歌人として知られる木戸孝範(源孝範)や、あるいは太田道灌らとも親交がありました。千葉勝胤(下総千葉氏)の庇護を受け、後に『雲玉和歌抄』が完成しています。[]
  3. 源俊頼による私家集『散木奇歌集』に、

    田上に侍りけるころ日の暮がたに石山のかたに鐘の聲の聞えければくちずさびに
    いし山のかねのこゑこそきこゆなれ
    これを連歌にきゝなして
    俊重
    たがうちなしにたかくなるらむ
    『散木奇歌集』

    が見えます。小一条院(敦明親王)の「暁の鐘のこゑこそきこゆなれ」(後拾遺)から引いて、おそらく軽い気持ちで口遊んだ俊頼に対し、それを上の句として下の句を詠んだ俊重は俊頼の子。石山方面で撞かれた鐘の音が、瀬田川の対岸の田上山まで響いたことが伝わります。俊頼の歌ではとくに有名な「うづらなく眞野の入江の濱風に尾花なみよる秋の夕ぐれ」(金葉集)の「真野の入江」は現在の大津市真野。[]

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!