笹間ヶ岳 サギソウ ヒナノカンザシ 湖南アルプスの花 滋賀

少し前の話となりますが、2015年(平成27年)8月下旬に湖南アルプス(田上山地)の笹間ヶ岳をハイキング。
私にとっては晩夏の定番とも言える山行で、この日は天神川から富川道を経て登頂。

笹間ヶ岳 八畳岩から大津や草津の夕景、琵琶湖、近江大橋、比叡山、蓬莱山を望む 2015年8月

笹間ヶ岳 八畳岩の夕景 琵琶湖や生駒山を眺望 湖南アルプス

2015.08.29

登山、下山時の話や、山頂の八畳岩(雨乞岩)や道中で見た風景や夕景、夜景の写真を前回の記事に掲載しました。
今回はアブに襲われた話や湿生植物の写真などを。

湖南アルプス 笹間ヶ岳で自然観察

サギソウ

湿原の畔に咲くサギソウ(鷺草) 湖南アルプス 滋賀県 2015年8月
「湖南アルプス」笹間ヶ岳、湿原の畔に咲くサギソウ(鷺草)。
ここ数年は開花数が安定していますが、人為的に保護されている他の湿原と比較すると少数です。

ハッチョウトンボとミカヅキグサ

ハッチョウトンボとミカヅキグサ(三日月草) 笹間ヶ岳 湖南アルプス 2015年8月
ハッチョウトンボとミカヅキグサ(三日月草)。

ミカヅキグサ(ミカズキグサ)の白いお花の上に赤いハッチョウトンボが留まっています。
ただでさえ小さな小さな蜻蛉さん、距離があるので分かりにくいですね。
恒例の一円硬貨との構図は……、撮影しようとしたら、下の出来事が起きたため、この日は諦めました。

ミカヅキグサとイチモンジセセリ

ミカヅキグサに対するイチモンジセセリの吸蜜行動 滋賀県 2015年8月
ミカヅキグサに対するイチモンジセセリの吸蜜行動。

イチモンジセセリ(蝶)の頭部に他の植物の花粉か何かが付着しており、それを気にする仕草を見せていました。
これは写真より動画が分かりやすく。35秒。

眼にピントが合っていませんが、湿地のミカヅキグサとイチモンジセセリを動画で。
手持ちで撮影しているため少し揺れます。

上の動画の冒頭、「ブーン」という羽音が聞こえるのがお分かりでしょうか。
ハッチョウトンボやイチモンジセセリを撮影していたら、やけに大きなアブが何匹か、私の身体にまとわりつきます。
当初は私の下半身に留まっており、アブであれば大した害は無いかと放置していたら、次に上半身がチクッと痛く。
どうやら薄手の長袖シャツの上から肘や背中を刺されたようです。
これには耐えかねて逃げ出しましたが、どこへ逃げても正確に私を追いかけてきます。
この緑色の複眼を持つアブは吸血性のウシアブで、動くものに反応するらしく、逃げると後を追う習性があるようです。
あまりにもしつこく追い回してくるため、近くを飛んでいた巨大なトンボ……、湿原の王たるオニヤンマに捕らえてもらおうと企みましたが、なにかを察したようで、オニヤンマが近付くとアブは逃げていきました。

ウシアブに刺されると腫れるという話もあるようですが、少なくとも私は痒みすら残らなかったです。
服の上から刺されたため、深さが足りなかったのか、あるいは血を吸われる前に追い払ったからか、理由は分かりません。
ただ、刺された瞬間に強い痛みは感じました。

この記事を公開した後で知りましたが、ウシアブをオニヤンマに追い払ってもらうのは有効な手立てなのだそうです。
ただ、オニヤンマは気まぐれなトンボですので、湿原とはいえ必ずしも近くにいるとは限りません。
しかし、私が適当な思い付きでやったことが、後にあんなに広まるとは……。

ヒナノカンザシ

ヒナノカンザシ(雛の簪)の花 滋賀県 2015年8月
ヒナノカンザシ(雛の簪)のお花。

ヒメハギの仲間と聞くと納得できるつくりです。
乾燥化や踏圧の影響でしょうか、湖南アルプスでは個体数を大きく減らしているように感じます。
加えて、以前よりヒナノカンザシの自生地には帰化植物のオオフタバムグラが僅かに侵入しており、それによる悪影響も懸念されます。
私が見たところ、オオフタバムグラは笹間ヶ岳の山麓にあたる天神川の河川敷で繁殖しているようで、そのあたりから持ち込まれた可能性があります。

他にも紫色のホザキノミミカキグサや黄色のミミカキグサなどが咲いていましたが、それらを含む群落は場所によっては踏み荒らされていました。
コース上であれば踏まれるのもやむを得ないでしょうが、たとえば、サギソウのお花を観察したり、あるいは撮影するため、不用意に湿地に足を踏み入れ、ホザキノミミカキグサを踏み潰したり、ハッチョウトンボの生育を妨げるような行為は避けたいものです。

余談・追記

笹間ヶ岳の眺望と奇岩

以下は余談です。
知名度こそ低いものの、御仏河原の北側の尾根はなかなか美しい岩稜を有しています。
栗東の金勝アルプス(金勝山地)と比較すると、湖南アルプス(田上山地)は岩山感に乏しいと感じますが、コースによっては露岩帯から琵琶湖に対する展望を楽しむことができ、こちらも捨てたものではありません。
2012年(平成24年)7月に他の方と歩いた日に撮影した写真を掲載しておきます。

御仏堰堤の西の岩稜と奇岩 琵琶湖、音羽山、比叡山、蓬莱山を眺望 笹間ヶ岳 2012年7月
笹間ヶ岳・御仏堰堤の西の岩稜と奇岩。琵琶湖、近江大橋、音羽山、比叡山、蓬莱山などを眺望。

主な山距離標高山頂所在地備考
音羽山11.0km593.1m京都府京都市山科区
(滋賀県大津市)
大比叡19.4km848.1m滋賀県大津市
京都府京都市左京区
都富士
蓬莱山32.7km1173.9m滋賀県大津市

上の写真は御仏堰堤の西、御仏河原の北の尾根から。
アルプス登山口(~天神川~富川道)から笹間ヶ岳に取り付いた場合、御仏堰堤から西に岐れる踏み跡があり、これに従えば尾根に出ます。

相変わらず蓬莱山の山頂域は雲の中に隠れていますが、お約束のようなものですね。
遠くには皆子山や桟敷ヶ岳も写っています。前回の記事を参照してください。

大谷河原の西の岩場から比良山、近江富士、琵琶湖の沖島を一望 湖南アルプス 2012年7月
大谷河原の西の岩場から比良山、堂山、近江富士、琵琶湖に浮かぶ沖島などを一望。

主な山距離標高山頂所在地備考
尾山
(宝来ヶ嶽)
34.0km220.2m滋賀県近江八幡市点名「沖之島村」
津田山
(奥島山)
30.2km424.5m滋賀県近江八幡市現地道標では「姨綺耶山」
三上山17.0km432m滋賀県野洲市近江富士
堂山2.0km384.0m滋賀県大津市

上の写真は大谷河原の西の岩の上から。
1つ上の写真から2.5時間後、時間帯としては夕方に撮影していますが、どうやら山頂域の雲は失せたようで、琵琶湖の対岸、比良山地は北東端付近まで見えています。
夏の空ということもあり、それより遠く、湖西の北寄りや野坂山地は霞んで見えません。

笹間ヶ岳だけではなく、堂山、矢筈ヶ岳、猪背山、太神山といった周辺峰を総称した「湖南アルプス」。
北東に位置する「金勝アルプス」(金勝山)も含め、広く「湖南アルプス」と見なす例も見受けられますが、両アルプスの間を流れる大戸川により完全に分断されているため、私個人としては別の山域として区別しています。
笹間ヶ岳は古くは「小竹生ヶ嶽」(小竹生ヶ岳)や「笹生嶽」(笹生岳)と呼ばれており、「湖南アルプス」という言葉が使われ出した大正~昭和初期頃には「湖南アルプス」の主峰と見なされていました。
その頃のハイキングガイドブックでは湖南アルプスと金勝山は明確に別の山として扱われていますが、戦後のハイキングブームの頃から両者が混同されているようです。
他の記事でも軽く触れていますが、江戸時代頃の近江では竜王や竹生島(の弁天様)が流行していました。
これは湖南の信仰の形にも少なからず影響を与えています。

湖南アルプスは細かなバリエーションルート(枝道)も多く、笹間ヶ岳や堂山は見晴らしもよく、京都からのアクセスも容易なため、個人的にお気に入りの山域です。
ただし、滑落すると危険な岩場もあり、滑りやすい雨上がりなどは慎重に。
今年も遭難事件が起きています。

湖南アルプス笹間ヶ岳から建部大社の船幸祭に伴う打ち上げ花火を遠望 2013年8月

笹間ヶ岳の夜景 瀬田川 船幸祭花火大会を遠望 月下のサギソウ

2013.08.25

数年前、笹間ヶ岳から瀬田川の花火大会を撮影した話は上の記事に。

笹間ヶ岳の旧称・異称 トパーズ

上の補足。

「小竹生嶽(サヽブルタケ)」
關津村の南東十八町にあり。山麓より絕頂に至て六百間、直立する時は六十丈ばかり。

【名寄】
後九條
田上のさゝふの峰もしくるめり、今や檀(まゆみ)の紅葉しぬらん

【家集】
俊賴
もゝつてのいみしのさゝふ時雨して、そつ彥檀紅葉しにけり

【名寄】
衣笠内府
嵐吹さゝふの山の夜のほとに、音もそよかすつもる白雪

「白山權現社」
小竹生の岳にあり、土俗誤云、新茂智の奥院なり。

『近江國輿地志略』

享保19年(1733年)に大成した『近江國輿地志略』(近江国輿地志略)より。
古歌に「ささふの峰」や「ささふの山」と詠まれた山を「小竹生嶽」としています。
この続きには、小竹生嶽の半腹に「石の雨壺」と呼ばれる石があり、地元民は雨乞い所としているが、これは如法経を納めた塔石が残ったのではないか、と指摘しています。
経塚の経穴を「雨壺」と見なした例は他の地域でも見られるものです。
『近江國輿地志略』では「小竹生嶽」に「サヽブルタケ」と振り仮名を振っているように見えますが、正徳2年(1712年)に成立した『倭漢三才圖會』(和漢三才図会)では「小竹生山」の「小竹生」に「サヽフノ」と振っています。

「小竹(ささ)」は「笹」。
したがって、「生」をどう読むかの問題です。

笹間岳ハ一ニ小竹生岳ト稱ス直立六十丈白沙峯ヲ成シ關津村ノ東ニ聳ユ全山樹木ナシ只頂上僅ニ翠松ヲ叢生スルノミ近時此山ヨリ諸種ノ石英及「トーハス」金剛砂等ヲ産ス
『滋賀縣管内栗太郡誌』

1879年(明治12年)の『滋賀縣管内栗太郡誌』(滋賀県管内栗太郡誌)より。
「トーハス」はトパーズ(黄玉)、「金剛砂」はガーネット(ざくろ石)を利用した研磨剤や、ここではおそらく金剛砂鉱石(ガーネット)。
水晶をはじめ、湖南アルプス(田上山地)は多くの鉱物の産地として知られていました。

「笹生嶽」の表記は、1891年(明治24年)の『近江名跡案内記』や、1926年(大正15年)の『近江栗太郡志』に見えますが、

ささぶのやま
(小竹生山)
近江國栗太郡の西南部に位する、笹生嶽の雅称なり。
『地名人名書名新辭典』

1907年(明治40年)の『地名人名書名新辭典』(地名人名書名新辞典)で、「小竹生の山」は「笹生嶽」の雅称(風雅に呼んだ称)だとしています。
こういった雅称や佳号は多くの地で見らるものです。

「湖南アルプス」
(中略)
【小竹生(ささほ)ヶ嶽】
南麓信樂川に望みて不動岩、天狗岩、大瀧等あり、信樂川に沿ひて下れば鹿跳の勝(瀨多川)に至る。關津峠(鹿跳の北東十五町)より東に遡る事半里にして山頂に達す大戶川、不動川、信樂川(何れも瀨田川に入る)流域一帯に聳えたる裸山、骨山、岩肌山の群峰は、近來湖南アルプスの名で呼ばれ、琵琶湖の眺望を背景として、渓流の美あり、岩山の奇、又變化を極めて、さながらアルプスを想はせる。
『近畿の登山』

1924年(大正13年)発行の『近畿の登山』より。
ここでは「小竹生」に「ささほ」(ささお)と振り仮名を振っており、「ささふ」(ささぶ)と同様、「笹生」と読みが通じることが分かります。

冬部 十月
田上にてさゝふの山にのぼりてあそびけるにまゆみのもみぢを見てよめる
もゝつてのいみしのさゝふ時雨してそつ彥眞弓紅葉しにけり
『散木奇歌集』

『近江國輿地志略』でも引いていた、平安時代後期の歌人、源俊頼の私家集『散木奇歌集』より。
古歌では「さゝふ」の平仮名表記が目立ち、漢字の表記は伝わりません。
「そつ彥眞弓」(そつ彦真弓)は「襲津彦真弓」で、『萬葉集』(万葉集)における「葛木之 其津彦真弓 荒木尓毛」の歌に見える葛城襲津彦の弓。
真弓といえば襲津彦であり、紅葉する植物のマユミと掛けています。

俊頼は時代の先を行く歌風で知られた偉大な歌人ですが、他にも田上の山で詠んだ歌を残しており、他の記事 で少し取り上げています。
「田上にてさゝふの山に上りて遊びける」の詞書を見るに、約900年前の時代を生きた人も、現代の我々と同じ山を楽しんだのだなと考えると、なかなか感慨深いものがありますね。

大正時代の湖南アルプス 八木富久子の手紙

「湖南アルプス」が成立した時期を調査する過程で、大正時代を生きた八木富久子という女性を知りました。
上でも引いた、1924年(大正13年)発行の『近畿の登山』に「湖南アルプス」が見え、遅くとも大正時代の後期~末期には成立していたことが分かります。
地域名を冠した「~アルプス」の呼称は、この時期、近畿地方の各地で同時多発的に生じており、大正期における観光的な登山ブーム(ハイキングの流行)の影響だろうと考えています。
今は「ご当地アルプス」や(郷土富士ならぬ)「郷土アルプス」などと呼ぶのでしょうか。

書簡篇

「湖南の友に」

 ひいちやん!
 湖南アルプスのお便りありがたう、私、ほんとのアルプスだと思つたら……なんのこつたあ! 湖南アルプスくらゐ何だい、伊吹山へ登るつて? そりや豪氣、だがマイクラスでは、ひいちやんは、ザ・セコンドだつせ
 Tさんや、後は忘れた、が登つたさうです、何しろ、組第一の弱虫たる拙者がヒエイザンへ登るくらいだらう、登山熱、あな恐ろしや、桑原々々
 淀の菱はまだ早いです、しゞみはどう?
 がくこうのいちぢくはどうや知らん
 クリスチヤンの女カツパよ、さらば!
達者で暮されよ
 (葉書、大正十四・八・一七─自宅より、滋賀縣膳所町小松ヒサヨ宛)

『柿のはな』

1926年(大正15年)発行の『柿のはな』より、八木富久子が1925年(大正14年)8月に淀の自宅から膳所在住の友人へ送った葉書。
八木富久子は1910年(明治43年)2月生まれですので、この当時は15歳(数え年16)。
これを拝見するかぎり、「湖南アルプス」の称は、熱心な登山会の関係者のみならず、一般的な女学生の間でも用いられていたことが伝わります。
(これから伊吹山を登る予定がある)ひいちゃんが「ザ・セコンド」(二番手)扱いされたのは、(伊吹山を)先に登った級友がいたから。
巨椋池か淀川では食用となるヒシ(菱)の種子が、琵琶湖か瀬田川ではシジミが採れたことも分かります。
琵琶湖水系に生息するシジミの固有種がセタシジミですが、これは瀬田川に限らず、水系のどこであっても「セタシジミ」です。

「編輯後記」
(前略)
 此の遺稿を編纂するに方り私の最も深く感銘した事は、作者は常によく自己を凝視して、僞らず、飾らず、正直に大膽に、しかも處女のつゝましさを以てこれを表現してゐる事である。全生命を傾倒してゐる事である。稚いながらに幼いながらに境涯に徹してゐる事である。これ卽ちまさびしき文藝修行の一本道を正しく踐んで行く勇敢なしかも惠まれた態度と云わなければならぬ。
(後略)
『柿のはな』

桃山高等女学校で国語教育の指導にあたった教師による編集後記より。
「まさびしき」は「真寂しき(真さびしき)」。
記事の本題といっさい関わりない、この狭い余談で紹介するのは控えますが、残された作品を拝読すると、彼女は自身の運命を悟っていたのではないかと感じてしまいます。
この若さで達する境地なのでしょうか。

八木富久子は大阪市生まれ、京都府久世郡淀町育ち(現在の京都市伏見区)、京都府女子師範学校附属小から桃山高等女学校、同志社女学校専門学部へ進学、文の才を期待されていましたが、生来、身体が弱かったようで、先の葉書を送った翌年、1926年(大正15年)5月に夭逝しました。
生前、とくに仲が良かったらしき友人へ送った手紙に、ペンネームを「織路緋佐緒」から「英ふさひ」に改めたというくだりがあります。
このペンネームについて長々と語った後で、(ペンネームの由来に)「故事来歴はあります」が「申しません」としているあたりに、私なんかは微笑ましく、そして、好ましく思うのです。

「日本美しの森 お薦め国有林」に

久々に追記しておきます。
2017年(平成29年)、林野庁により、「日本美しの森 お薦め国有林」が全国で93箇所選定されました。
滋賀県からは、「近江湖南アルプス自然休養林」が選定されています。
「近江湖南アルプス自然休養林」は湖南アルプスや金勝アルプスの広い範囲が含まれており、現状、滋賀県では唯一の「美しの森」選定地です。
「花崗岩の巨岩・奇岩の『アルプス』の景観と琵琶湖の眺望」が特徴として挙げられており、これからも、そういった風景・光景が親しまれ続けることを願います。

落ヶ滝 台風通過後の水量 金勝アルプス 滋賀県大津市 2015年7月

金勝アルプスから琵琶湖を眺望 台風後の落ヶ滝、白糸の滝

2015.10.24

金勝アルプス側の山行記録は上の記事などに。
植物分布等の関係で、山名や山域を伏せている記事もあります。

関連記事 2015年8月 晩夏の笹間ヶ岳で夕涼み

同日の山行記録です。併せてご覧ください。

笹間ヶ岳(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「笹間ヶ岳」周辺の地図を表示
「笹間ヶ岳(ササマガタケ)(ささまがたけ)」
標高432.9m(三等三角点「権現山」)
滋賀県大津市

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!