青葉山の花 ミスミソウ ピンクのミヤマカタバミ 若狭富士

2013年(平成25年)4月上旬の話。
この日は「若狭富士」青葉山を登山しました。
青葉山は福井県大飯郡高浜町と京都府舞鶴市の府県境に所在する、東西二峰からなる双耳峰で、お花の山としても知られています。

日は差していたものの、なんだかもやもやしたお天気で、春らしく霞んだ白い空。
これでは自慢の展望も今ひとつ。
青葉山じたいは過去に何度も登っていることもあり、この日はお花の写真を何枚か撮影するにとどめておきます。

松尾寺から青葉山を登山 福井県高浜町・京都府舞鶴市

「若狭富士」青葉山の別称

舞鶴市側の登山口にあたる「西国三十三所」松尾寺さんではソメイヨシノが五分咲き前後。
境内にはミズバショウなどが咲いていました。

1923年(大正12年)の『新舞鶴案内』に「若丹アルプス(中略)丹後では馬耳山、若狹では若狹富士、之を總稱して靑葉山という」と見え、京都側では「馬耳山」と呼ばれていたようですが、これは双耳峰である中国の馬耳山に山容をなぞらえたり、あるいは松尾寺さんの本尊(秘仏)が馬頭観音菩薩(三面八臂の馬頭観音坐像)であることも影響しています。
青葉山の山上には松尾寺さんの奥の院(青葉山妙理大権現)が残りますが、1911年(明治44年)の『新舞鶴案内記』に「奥の院 靑葉山は、古に北海の鎭山と稱し又は扶桑馬耳山と號す、役の行者神變菩薩修道練行の舊跡にして養老年中越智山泰澄大師元正聖武兩朝の勅を奉じて山頂に勅願壇塲を開き妙理權現を鎭座せる處とす」とあり、青葉山は「北海の鎮山」や「扶桑馬耳山」とも呼ばれていたらしい。
「扶桑(日本)の馬耳山」の称は、「山勢雙尖の狀馬頭に以(に)て支那の馬耳山と風貌を同ふするを以(もつ)て扶桑馬耳山の稱あり」としていますが、同誌で松尾寺を「本朝に於ける馬頭觀音の總本地」と扱っていることも関係するでしょう。
北魏代の地理書『水経注』に山名が見え、蕭穎士の「遊馬耳山」詩や、蘇軾の楽府「江城子」における「前瞻馬耳九仙山」詞などに謳われた山東省の馬耳山が、中国ではとくによく知られますが、雲南省にも馬耳山(鶴慶馬耳山)があります。
それが歴史的事実であるかは別として、開山伝説に役行者と泰澄上人、白山妙理権現(白山大権現)の名が現れるのは、たとえば、京都の愛宕山や山城の鷲峰山、あるいは近江の伊吹山や霊仙山といった山々と同様で、修験の山ではとくに珍しいものではありません。

また、歌枕としては「青葉の山」だけではなく「青羽の山」の表記も見られます。
『若耶群談』や『若狹國志』(若狭国志)といった若狭国の地誌では、青葉山ではなく「青羽山」の表記を山名として優先的に採用しており、『若狹郡縣誌』(若狭郡県志)では青葉山の別名を青羽山としています。
それらの地誌では、いずれも「彌山」(弥山)も青葉山(青羽山)の別称としていますが、『若耶群談』や『若狹國志』の描写を見るかぎり、他地域の弥山と同様、これは「須弥山」に由来するようです。

話が長くなりそうなので、歌枕としての青葉山の話は記事下部の余談に分けました。

青葉山の花

トキワイカリソウ 紫花と白花

トキワイカリソウ(常盤碇草) 紫花 青葉山 福井県、京都府 2013年4月
青葉山に咲くトキワイカリソウ(常盤碇草)。
紫色のお花は綺麗に咲いていました。

トキワイカリソウ 白花 青葉山 福井県、京都府 2013年4月
対して、同じイカリソウでも、白いお花は蕾が目立ちました。
夜間気温といった環境の違いにもよるのでしょう。

キンキマメザクラ

キンキマメザクラ(近畿豆桜) 青葉山 福井県、京都府 2013年4月
青葉山に咲くキンキマメザクラ(近畿豆桜)。

ミスミソウ

ミスミソウ(三角草) ユキワリソウ(雪割草) 青葉山 2013年4月
ユキワリソウ(雪割草)とも呼ばれるミスミソウ(三角草)。
花片が汚れたお花が多く、時期を逸した感はぬぐえませんが、やはり、早春の青葉山といえばミスミソウでしょう。

カンアオイの仲間

カンアオイの仲間 寒葵 青葉山 福井県、京都府 2013年4月
(広義の)カンアオイの葉とお花。寒葵。

ヒメカンアオイに近く、サンインカンアオイかエチゼンカンアオイのように見えます。
私の地元の大文字山や、金剛山地や和泉山脈でよく見掛けるミヤコアオイとは異なります。
ミヤコアオイ以外のカンアオイは長期に渡って観察したことがなく、青葉山のそれも何であるかは断定できません。
広義のカンアオイとしておきます。

実は、昔、青葉山でギフチョウを見たことがあるのですよね……。
食草があるので、いてもおかしくはありませんが……。

エンレイソウ

エンレイソウ(延齢草) 青葉山 福井県、京都府 2013年4月
青葉山に咲くエンレイソウ(延齢草)。

ミヤマカタバミ ピンク色

ミヤマカタバミ(深山片喰) ピンク色の花 青葉山 2013年4月
ピンク色のお花を咲かせるミヤマカタバミ(深山片喰)。
いわゆるベニバナミヤマカタバミ(紅花深山片喰)ほど色濃くない気もしますが、ベニバナミヤマカタバミかもしれません。

京都北山では一般的な白いお花を多く見掛けるミヤマカタバミ。
青葉山、とくに、この日のコースではピンク色のお花ばかり見掛けました。
暗い場所で撮影した写真だと紫色のお花にも見えますね……。

山にはショウジョウバカマ、ヤマルリソウなども数多く咲いていました。
どこでも撮影できるからいいやと後回しにしていたら、夕暮れ時も近付き、撮影する機会を失ってしまうはめに。
山中でお花を観察していたら、遅い時間にもかかわらず、若い方が近くを通っていかれました。
そういえば、何年か前、オオキンレイカを目当てとして夏場に登った日は、陸上部とおっしゃっていたかな、女子高生さんが西の山頂まで駆け上っていらして、(険しい山なのにと)少しばかり驚いたしだい。
その日は夏らしくいきなりの大雨に見舞われ、その方と雨宿りしたことを思い出しました。

「西国三十三所」青葉山松尾寺さんのお馬さん 舞鶴市 2014年4月

青葉山 ミスミソウ 白山を望むも…… 福井・京都 若狭富士

2014.04.17

翌年は他の方と青葉山を訪れました。
その話は上の記事に。
コンビニの件も追記しておきました。

余談

歌枕としての青葉山・青羽山

記事本文に対する余談です。

歌枕としての「青羽(の山)」と「青葉(の山)」の使い分けについては、『稚狹考』(稚狭考)に「水鳥の時は羽の字を用ひ」「葉の時はつゆしぐれ紅葉花拓讀合せり」と見えます。
直接的に若狭の青葉山を詠んだ歌ではありませんが、『源氏物語』第三十四帖「若菜」(若菜上)の巻に「身に近く秋や来ぬらむ見るままに青葉の山も移ろひにけり」「水鳥の青羽は色も変はらぬを萩の下こそけしきことなれ」のやり取りがあります。
これは物思いにふける紫の上が「秋(飽き)が近付き、夏山の青葉(光源氏の心)が紅葉に移り変わった(心変わりしてしまった)」と手遊で書いた歌に対し、それに目を留めた光源氏が「秋になっても水鳥の青羽(私の心)の色は変わらないのに、紅葉する萩の下葉のように、あなたの様子は変わってしまった」と書き添えたもの。
「水鳥の」は「鴨」に掛かる枕詞ですが、「水鳥の鴨の青羽」から「鴨」が払われ、「青羽(の山)」に掛かる枕詞ともなりました。

若狹國遠敷郡熊川村尾中理七ぬしの五十賀しける時寄松祝ふといふことをよめる歌並短歌

若狹なる遠敷のあかた熊川のさとに年經て住馴し尾中のぬしは百たらす五十の齢事もなく喪なくへまして靑葉山高嶺の松の高々に立のはひつゝ白雲に枝さしかはし年毎にみとりさしそひ春毎に彌生繁り露霜に色をも替す葉替せす行末長くとこしへにいやとこしへに其松の千代のしつくを朝よひにうまし御酒にしくみ添て甞てゑひつゝたぬしくもうちあけ遊ひうれしくも千代も八千代有榮えませ

反歌

年經てもきみは若狹のやまゝつのしつくを甞てよろつ代やへん

若狹なる靑羽の山のやまゝつのたかきよはひをきみはへぬらん

『綾玉集』
(※原文で縦書き「〻」(二の字点)の箇所は、歌意から「ゝ」が適切と思われるので置き換えた)

歌に詠まれる「青葉の山」や「青羽の山」は季節のイメージであって、具体的な山を指定しないケースも多いですが、たとえば、江戸時代末期から明治時代の神職・歌人、大藪文雄(大薮文雄)が詠んだ長歌と、それに添えた反歌のように、明確に若狭(若さ)の山と重ねて詠んだ歌もあります。
大藪文雄は播磨明石に鎮座する岩屋神社の社司で、国学者としては大國隆正(大国隆正)の門下。

「青羽の山」が名所歌枕として特定の山名を指すと見る場合、古くより、その所在地は若狭、あるいは近江、陸奥などと考えられていましたが、このうち、中山忠親の日記『山槐記』が「近江國注進風土記事」で引く「近江の青羽山」の所在は現代に至るまで明らかではなく、歴史上の大きな謎となっています。
『山槐記』所収の「注進風土記」における描写では、青羽山は高島に属するように読み取れますが、安曇川を甲賀としていたり、その記述が必ずしも正確であるとは限らず、個人的に、どこかの過程で音羽山と混同された可能性もありえると考えています。
近江には逢坂越の上の有名な音羽山だけでなく、「見張山」とも呼ばれる音羽山も高島にあります(が、知名度はさほど高くないでしょう)。
(越前ではなく)京都の日野岳(日野山)の記事 でも触れていますが、葉山(はやま)は麓山(はやま)・端山(はやま)が転じたとされ、外山(とやま)と同様、山域の端や外れで麓の里が近い山を指します。
いわゆる音羽山は古歌では「おとは山」の表記であり、本来は端山の意だった可能性も。
1900年(明治33年)の『大日本地名辭書』(大日本地名辞書)で、若狭の青葉山は「青の里の端山」の意だろうと指摘しており、青葉山の南麓には高浜町青の地名や、あるいは小浜線の青郷駅が残ります。

青葉山 西峰(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「青葉山」周辺の地図を表示

「青葉山 西峰」 標高692m
「青葉山(アオバヤマ)(あおばやま)」 標高693m
福井県大飯郡高浜町(山体は京都府舞鶴市に跨る)

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!