東海自然歩道 長等公園~逢坂山歩道橋~音羽山が復旧 通行可

2016年(平成28年)7月中旬の話。
少し前にクマ(熊)が目撃されたと聞き、久々に滋賀県大津市の小関越(こぜきごえ)を訪れました。
西の藤尾奥町側から「小関越えの道」を峠の上まで歩きましたが、暑いさなかに長等山や、あるいは逢坂山(相場山)の山頂まで登る気がしません。
東海道に架かる逢坂山歩道橋(東海自然歩道 音羽山コース 国道1号歩道橋)が復旧したことを周知する必要もあるため、一度、小関越から東の長等公園(ながらこうえん)まで下り、東海自然歩道をハイキングすることに。

小関越の頂 小関峠地蔵(喜堂) ツキノワグマは……? 2016年7月

大津 小関越と皇子が丘で熊 長等山や如意ヶ岳にツキノワグマ?

2016.07.17

小関越やクマの話は上の記事に。

小関越から長等公園の展望台(桜ヶ丘休憩広場)へ向かうには、わざわざ小関越の道を大津大神宮さんまで下らなくても、途中の特別養護老人ホームさんの脇から入るほうが近いですが、このコースは無関係の人間が通行してよいのかよく分かりません。
展望台の「長等公園散策マップ」には明確にコースが示されており、数年前には通していただけました(→今も通行できます。現地で確認済)。
この日は若林強斎の墓がある五本桜墓地を左手に見送り、百々川に沿って小関町まで下り、大津大神宮さん側から長等公園を上り直します。

滋賀県大津市 長等公園

大津大神宮

大津大神宮 長等公園の入り口 滋賀県大津市 2016年7月
大津大神宮さん。長等公園の入り口。滋賀県大津市。

大津大神宮さんの先にある広場の階段を利用すると、展望台まで少しばかりショートカットできますが、あえて道なりに長等不動尊さんまで上り、「自然観察の森」方面へ。
おおよそ長等公園と見なせる範囲は意外に広く、どこを目的地とするかにもよりますが、初めて訪れた方は少し戸惑うかもしれません。

自然観察の森

長等公園「自然観察の森」の取付 「逢坂二丁目 東海自然歩道分岐点」道標
長等公園「自然観察の森」の取付。「逢坂二丁目 東海自然歩道分岐点」道標。

小関越でも見られた「逢(あ)のみち 湖(こ)のみち 山歩(さんぽ)みち 大津の散策路」の道標と同様のものです。
ここから「自然観察の森」コース案内図に見える「桜ヶ丘休憩広場」の展望台を目指します。
この地点の案内図では「桜ヶ丘休憩広場」となっていますが、展望台の「長等公園散策マップ」では「桜広場」となっており、どちらが正しいのかよく分かりません。
歌人としても知られる平家一門の武将、平忠度の歌碑が建つ見晴らしの良い場所です。

爲業の歌合に、故鄕花
小波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山ざくら哉
『忠度集』

歌碑や案内板を見るかぎり、「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)の呼称は、この忠度の歌に由来するものでしょう。
「小波や(さざなみや)」は「志賀」や「ながらの山」に掛かる枕詞で、近江大津宮や園城寺(三井寺)を詠んだ歌に見られます。
やや偏った話が広まっているようですが、けっして「志賀」に限定される枕詞ではありません。

三井寺さんの裏山である長等山は、古くより山桜の名所として知られていましたが、明治時代になり、三井寺別所寺院(別院)の尾蔵寺さんや近松寺さん(高観音)のあたりが「長等公園」として整備され、多くの桜が植樹されました。

桜ヶ丘休憩広場

大津市 長等公園「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)から琵琶湖を望む 2016年7月
長等公園「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)から琵琶湖を望む。

夏らしく霞んだ空でしたが、近江八幡市の津田山(奥島山)や沖島、それに琵琶湖汽船が見えていました。
空気が澄んだ日であれば、琵琶湖の対岸にあたる湖北の山々や、さらに遥か遠くの白山まで見通せます。
長等公園から白山が見えることは全くといってよいほど知られていないのが惜しいです。

高観音近松寺 三井寺別所 上栄町~長等公園 2016年10月

長等公園 桜広場から伊吹山を遠望 上栄町駅~高観音近松寺

2016.10.25

伊吹山が見えやすかった日に撮影した写真は上の記事に。

長等公園「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)から比叡山と比良の蓬莱山を望む 2016年7月
長等公園「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)から比叡山と比良の蓬莱山を望む。

主な山距離標高山頂所在地備考
四明岳7.0km838m京都府京都市左京区都富士
大比叡6.9km848.1m滋賀県大津市
京都府京都市左京区
都富士
蓬莱山22.7km1173.9m滋賀県大津市

展望台はもちろん、長等公園は大津の都市部に近い森林公園としての価値も高く、近隣にお住まいの方を羨ましく思います。
この日は子どもさんが展望台で遊んでいましたが、それ以外はどなたとも山中で出会うことがなく、暑い盛りとはいえ、やや寂しく感じました。

…よく考えてみたら、この展望台からほんの数分の距離で、もう深い森の中に入り込んでしまうので、危ないと言えば危ない気もします。

桜広場の「長等公園散策マップ」 大津市公園緑地課
桜広場の「長等公園散策マップ」。大津市公園緑地課。

「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)から音羽山方面を目指します。
東海自然歩道を歩くほうが分かりやすい道のりですが、野鳥観察ステージ~兜稲荷大神さんを経て東海自然歩道と合流するコースを取ることにします。
「長等公園散策マップ」では兜稲荷大神さんの右にも「展望台」が見えますが、この展望台は今は見晴らしが期待できません。

なお、マップの左下に見える、長等不動尊さん~長等の里さん~至小関越方面のコースが、今回の記事の冒頭で申し上げた、「小関越から長等公園の展望台(桜ヶ丘休憩広場)へ向かうには、途中の特別養護老人ホームさんの脇から入るほうが近い」コースです。
桜ヶ丘休憩広場から小関越へ向かう、あるいは逆の場合にかぎり、このコースが最短です。

兜稲荷大神(兜稲荷古墳)

桜広場~兜稲荷大神 倒木で赤い鳥居が崩壊 長等公園 2016年7月
桜広場~兜稲荷大神さんの参道。倒木で赤い鳥居が崩壊。

奥の樹が手前に倒れ、お稲荷さんの赤い鳥居を壊してしまいました。
昨年(2015年)の12月に同コースを利用して参拝した際は無事でしたが、その後、何かのはずみで倒れたようです。

この鳥居の奥のコース上に「野鳥観察ステージ」がありますが、あまりにも木々が鬱蒼と茂っており、さほど野鳥が飛び交う印象は受けません。
時間帯によっては「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)のほうが観察に適している、かもしれません。

追記。
その後、上の鳥居は新しく建て直されました。
追記終わり。

兜稲荷大神 長等公園の奥 滋賀県大津市 2016年7月
兜稲荷大神さん。長等公園の奥。滋賀県大津市。

兜大明神とも呼ばれる兜稲荷のあたりは長等公園でも標高が高いエリアで、とくに公園の頂上として扱われるようです。
境内は兜稲荷古墳で、琵琶湖を眼下に望む丘陵の頂に築かれたことが窺えます。

ここから左手(南東)に抜ければ東海自然歩道と合流できます。
合流地点の付近には「展望台」(の跡)があり、ひと昔前までは琵琶湖や近江富士などを広く一望できましたが、その後、木々が覆い茂ってしまいました。
公園内には先ほどの「桜ヶ丘休憩広場」(桜広場)の展望台があり、すぐ近くには逢坂山(相場山)の展望地が所在するため、改めて整備される可能性は低いでしょう。

東海自然歩道 音羽山コース

通行可能になった東海自然歩道 長等公園~大谷・逢坂山歩道橋分岐 2016年7月
通行可能になった東海自然歩道。長等公園~大谷・逢坂山歩道橋分岐。

上の写真の地点~逢坂山歩道橋~音羽山北端の区間は2013年(平成25年)8月に通行禁止となりました。
昨年12月に確認した際は、この地点にトラロープが張られ、西の大谷(大谷乗馬場)へ下山するように誘導していましたが、現在はロープも外されています。
2016年春には修復作業もおおむね終わったようで、長等公園~逢坂山歩道橋~音羽山の通行が可能となりました。

東海自然歩道の情報|滋賀県ホームページ
https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/shizen/300385.html

滋賀県の公式サイトでは、2016年4月13日更新の時点で「全ての通行止めを解除しました」となっているものの、リンク先のpdfファイルでは「国道1号線歩道橋付近は通行止め」とされたままです。
そのため、話の種にするか迷っていましたが、いつまで経っても変化が見られないため、このあたりで記事にしておきます。

この先に東海自然歩道の「大津市内展望」スポットがありますが、やはり樹木が伸びてしまったため、眼下の街並みは見えません。
ただし、遠く湖北の山は見通せます(初稿時)。

逢坂山はどこ?

東海自然歩道上、かつての逢坂山の山頂付近 標高約240m 2016年7月
東海自然歩道上、かつての逢坂山の山頂付近。標高約240m。

現在でこそ小関越の南に所在する三角点324.7m峰を「逢坂山(おうさかやま)」と呼ぶ方が増えましたが、明治時代や大正時代の絵図では、東海道逢坂関の周辺を指して「逢坂山」としており、その当時、小関越の南の山は「相場山」(相庭山)と呼ばれていました。

1894年(明治27年)の『近江名所案内』に、

逢坂山ハ京街道ニ在リ
古ヘ關門ヲ設ケ逢坂ノ關ト称ス
『近江名所案内』

と見えるように、かつては「逢坂関を設けた山」が逢坂山だと考えられていました。
「東海自然歩道 逢坂山歩道橋」が国道1号に架かっていたり、旧建設省の「逢坂山見張所」が付近にあるのはその名残です。

1891年(明治24年)の『近江名跡案内記』には、

逢坂山ハ大津ノ南ニアル山ニテ往古ハ山上ニ官道アリ
坂ヲ上下シテ通行ス
(中略)
昔ノ關門アリシ地ト今ノ官道トハ大ニ更ハルト云フ
今ハ道ノ西ノ山ヲ相坂ト云フ
古ハ山上ニ茶店アリシ跡ニテ茶屋ケ谷ト云所アリ
『近江名跡案内記』

と見え、明治時代頃には東海道の西の山を相坂(逢坂山)と呼んでいたことが窺えます。
これは上の写真の地点、地形図ではこの小ピーク や、その南北に逢坂山歩道橋から長等公園まで連なる尾根を指していると考えられ、これを裏付けるように、1903年(明治36年)の『訂正大津市街新地圖』(訂正大津市街新地図)でも付近を「逢坂山」としており、小関越の南の山には大きく「相場山」と描かれています。
この山の下を名神高速道路の蝉丸トンネルや京阪京津線の逢坂山トンネルが貫きますが、かつては東海道本線の旧逢坂山隧道(旧逢坂山トンネル)が通っていました。
今となっては東海自然歩道上の通過点に過ぎず、現地には山名標も見当たりませんが、このあたりを逢坂山と呼ぶ、昔ながらのハイカーさんがいらっしゃることも確かです。

国道1号歩道橋

復旧した逢坂山歩道橋(東海自然歩道 音羽山コース 国道1号歩道橋) 2016年7月
復旧した「東海自然歩道 逢坂山歩道橋」(東海自然歩道 音羽山コース 国道1号歩道橋)。

写真では分かりにくいですが、逢坂山歩道橋も復旧しています。
ロープも外れており、通行できるのは確かですが、公式には通行止めのままのようですので、通行する際は慎重に。
大雨や台風などが発生したら、また通行が困難となるかもしれません。

蝉丸神社の紅葉、黄葉 イチョウの大木 滋賀県大津市 2014年11月

音羽山の紅葉 逢坂山歩道橋は通行できず 蝉丸神社 NTT管理道

2014.11.26

上の記事で、当時は全くと言ってよいほど知られていなかった逢坂山見張所の脇からの迂回路を、私が初めてネット上で紹介してから2年近くが経ちましたが、そろそろ役目も終えたと言えるでしょう。

逢坂関と木綿付鳥

逢坂(逢坂山、逢坂関)を歌枕として、古くより多くの歌が詠まれてきましたが、

あふさかの關に庵室をつくりて、すみ侍りけるに、行きかふ人を見て、
蝉丸
是やこのゆくもかへるも別れつゝしるもしらぬも逢坂の關
『後撰和歌集』

とくに『小倉百人一首』にも選定された蝉丸の歌がよく知られるところです。
上は1898年(明治31年)版の『校註後撰和歌集』から引いてます。
『後撰和歌集』や、『小倉百人一首』の原撰本ともされる『百人秀歌』では、「これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関」ですが、『小倉百人一首』では「これやこの行くも帰るも別れては」としており、細部が異なります。

「逢坂」は「逢う」と掛けやすいため、とくに恋歌や旅歌の対象となりやすかったようです。
そのような中で、私が個人的に好んでいるのは、

友とするゆふつけ鳥に逢坂の關のあなたに聲聞ゆ也
『壬二集』

平安時代末期~鎌倉時代初期の藤原家隆(従二位家隆)の歌です。
「ゆふつけ鳥」は「木綿付鳥」のことで、かつて、鶏さんの頭に「木綿(ゆう)」を付けて山に放ち、身禊(みそぎ)や邪気祓いする風習があったと伝わります。
そこから転じて、鶏そのものを指したり、「夕を告げる」鳥と掛かったと考えられています。
この「ゆふつけ鳥」の山について、いつの頃からか、「都の四方の関の山」と解釈する説が広まったようです。
たとえば、安土桃山時代~江戸時代初期の細川幽斎(藤孝)は「ゆふつけ鳥」を詠んだ歌を何首か残していますが、

關路鷄
木幡山ゆふつけ鳥のこゑ待ちて越えこそやらね馬はあれとも
『衆妙集』

平安京の南にあたる木幡関で、関路鶏の歌も詠んでいます。
寛政9年(1797年)の『伊勢參宮名所圖會』(伊勢参宮名所図会)では、

【大和物語】に
たがみそぎゆふつけ鳥かから衣、たつたの山におりはえて鳴
龍田は大和界の關なり、されば逢坂山に限るにはあらず。
四方の關は東は逢坂、北は有乳、南は龍田、西は穴生なり。

と平安時代の『大和物語』を引き合いに出し、「ゆふつけ鳥」は逢坂山だけに限らず、大和と河内の国境にあたる龍田山を対象としても詠まれたことを指摘しています。
『伊勢參宮名所圖會』の「四方の関」では南の関を龍田山(龍田関)としていますが、細川幽斎は木幡山を詠んでいますから、同じ方角の関であっても、必ずしも同じ関の山を指していたわけではありません。
また、有乳(あらち)は愛発関を指しており、龍田山にせよ、『伊勢參宮名所圖會』の説にしたがえば、平安京に近い場所ばかりではなさそうです。

逢坂の関跡

東海自然歩道「逢坂の関跡」紹介 逢坂山歩道橋の北側 2016年7月
東海自然歩道「逢坂の関跡」紹介。逢坂山歩道橋の北側。

「これやこの~」の歌と、当地が武内宿禰と忍熊皇子(忍熊王)の決戦の舞台であり、それが「逢坂」の由来ともされることなど、逢坂関についての説明文が掲載されます。
山の上、しかも東海自然歩道ハイカー以外には気付かれない場所に設置されていることもあり、未見の方もいらっしゃるでしょう。
これとは別に、歩道橋を下りて東側、東海道(国道1号)沿いにも「逢坂山関址」の石碑があります。
歩道橋のあたりは現代における京街道(逢坂)のピークでもあり、「逢坂峠」と呼ぶ方もいらっしゃいます(が、往時とは東海道のコースが異なると考えられるので、昔から当地を「逢坂峠」と呼んでいたわけではありません)。

補足しておきますと、当初の逢坂関は東海道沿いの石碑の地ではなく、逢坂山の上に置かれたとも、より大津寄りの地(関寺跡の付近)に置かれたとも考えられています。
これは昔から複数の説があり、先に引いた『伊勢參宮名所圖會』では、「逢坂關舊跡」(逢坂関旧跡)について、「其始て置く所不詳」「關屋の跡は此山上に有りしとも、又大津の市中有りしともいひて未詳」としており、江戸時代には、古い時代の逢坂関は「不詳」「未詳」としか言いようがない状態だったことが分かります。
ただ、『近江名跡案内記』に「往古ハ山上ニ官道アリ」「昔ノ關門アリシ地ト今ノ官道トハ大ニ更ハル(替わる)ト云フ」と見えるように、明治時代の東海道と、往時の逢坂関が置かれた逢坂山越の東海道が異なることは伝わっていたようです。
また、『三井續燈記 巻第十(三井寺年表下)』(三井続灯記)の寛正元年の段に「大谷逢坂両関所」と見えることから、逢坂側だけではなく、室町時代頃には山を越えた大谷側にも関所が置かれていたようですが、大谷関は逢坂関以上に史料が少なく判然としません。
その時代の逢坂関は、故関の(軍事的関門としての)逢坂関と異なり、主に通行税の徴取を目的とした関所です。

逢坂山歩道橋北の道標 長等公園・音羽山・蝉丸神社分岐 2016年7月
逢坂山歩道橋北の道標。長等公園・音羽山・蝉丸神社分岐。

東海自然歩道の道標では、先ほどの小ピークではなく、より南を指して逢坂山としており、「逢坂山まで0.4km」となっています。
1895年(明治28年)の『近江案内畧記』など、明治時代の絵図には音羽山の最北端部を指して「逢坂山」とするものもあり、どうやら東海自然歩道もその説を採用しているようです。
小関越の南の三角点324.7m峰が逢坂山だという先入観があると、道標が間違っているのではないかと思われるかもしれません。
近年、勝手に道標を書き換える方がいらっしゃるようですが(これは破損行為です)、東海自然歩道の道標に誤りがあるというわけではなく、どちらかと言えば、書き換えている方の逢坂山に対する認識に誤りがあります。

逢坂山(相場山)から「旗振り通信」の山々を望む 滋賀県大津市 2013年12月

逢坂山(相場山)から「旗振り通信」の山々を望む 大津市

2013.12.09

三角点324.7m峰の逢坂山(相場山)については上の記事に詳しく。
いわゆる「逢坂関」についても、上の記事と合わせて読んでいただくほうが、より分かりやすいでしょう。
加賀白山を撮影した写真も掲載しています。

過去の記事でも述べたように、近年のハイカーが三角点324.7m峰を勝手に「逢坂山」と呼ぶことも自由だと考えていますが、その山が「相場山」と呼ばれていた歴史的事実を後世に伝える人がいてもよいでしょう。
つい10年ほど前までは、当たり前のように「相場山」と呼ばれていたのに、わずかな年月の間に「逢坂山」に取って代わられようとしています。

ここまでせいぜい2時間未満の山歩き、大した距離や時間ではないとはいえ、夏の低山はなにより蒸し暑さがこたえます。
続けて音羽山まで縦走する気力は残されておらず、この日は蝉丸神社さんから京阪大谷駅へ下りました。
東海自然歩道はエスケープルートが多く整備されている点もありがたいです。

蝉丸神社

蝉丸神社 東海自然歩道の取付 2016年7月
蝉丸神社さん。京阪大谷駅~東海自然歩道の取付。

右に見える細い山道を歩いてきました。
逆に、京阪大谷駅から蝉丸神社さんの階段を上り、この「隙間」から東海自然歩道に合流できます。

世間的には祇園祭の宵山の日。
下山後、私も少しばかり四条界隈に立ち寄りましたが、先ほどまでの静かな山とは異なり、こちらは喧騒の「山」でした。

関連記事 小関越~長等公園~逢坂山ハイキング

すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。

逢坂山(逢坂関の山)(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「逢坂山(逢坂関の山)」周辺の地図を表示
「逢坂山(オウサカヤマ)(おうさかやま)」
標高240m
滋賀県大津市

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!