2016年(平成28年)6月の話。
この日は滋賀県近江八幡市でも琵琶湖に接した奥島丘陵の山々を登山しました。
長命寺山(ちょうめいじやま)から津田山(つだやま)を縦走した話は前回の記事に。
津田山と奥島(おくのしま)の呼称についての考察も前回の記事で取り上げています。
今回はその続きです。
津田山(奥島山)から下山後、琵琶湖畔から比良の山並みと夕日を望むため、私のお気に入りの夕景スポットである水ヶ浜(みずがはま)に足を運びます。
津田山の岩場の展望地から西日を眺めた時点では、琵琶湖の対岸にあたる比良山地の稜線の上には薄い雲が広がっているようにも感じましたが、はたして日没時にはどうなっているでしょうか。
長命寺さんから琵琶湖の湖岸沿いに小豆ヶ浜野営場や国民休暇村(琵琶湖国定公園 休暇村 近江八幡)へ向かう道中、滋賀県道25号彦根近江八幡線の街道沿いにカフェやペンションなどが見えるあたりが水ヶ浜です。
琵琶湖の水ヶ浜・奥島から夕日を望む。滋賀県近江八幡市。
うまく雲も失せ、綺麗な夕日を眺めることができました。
撮影地点である琵琶湖畔の水ヶ浜は津田山の西麓にあたります。
前回までの記事でも申し上げましたが、津田山を盟主とする奥島丘陵の山塊は、古くは琵琶湖に浮かぶ奥島(奥津島)でした。
水ヶ浜は奥島でも(内湖ではなく)琵琶湖に面した浜辺だったと言えます。
琵琶湖の夕日を動画でも。65秒。
この日は浜辺に誰もいらっしゃらず、波の音と小鳥さんの囀り(と途中で虫の羽音)だけが響く穏やかな夕景でした。
雄大な湖国の景色、琵琶湖は海さながらだと感じるひと時です。
水ヶ浜のアジサイ(紫陽花)と琵琶湖畔のカフェ。2012年6月。
上の写真は2012年(平成24年)に撮影したものです。
比良山地の高峰は雲の中に隠れており、夕日は今ひとつでしたが、この年は紫陽花(あじさい)のお花の付きが良く、カフェ(シャーレ水ケ浜さん)や砂浜、琵琶湖の風景とマッチしていました。
さらに前年は他の方と訪れましたが、山登りはなさらない方だったので、夕日を見に来ただけです。
水ヶ浜から県道25号を跨いで向かいにあたる東側(津田山の山麓)には市神神社濱宮(浜宮)やペンション、レストランなどがあります。
余談ながら、この市神神社濱宮さんは琵琶湖と富士山、あるいは近江八幡市と富士宮市を結ぶ神社さんです。
県道25号を南に進めば長命寺さん、北に進めば国民休暇村(休暇村近江八幡)や宮ヶ浜、沖島など。
この付近は近江八幡はもちろん、湖東全域でも見ても屈指の景勝地だと考えています(もちろん、湖東の他の地域にも優れた見所は多数あります)が、ドライブ趣味の方やツーリング趣味の方はともかく、一般の観光客の方にはあまり知られていないようです。
「琵琶湖と富士山」の話は前回の記事の「余談」で取り上げています。
琵琶湖畔のサンセット風景。
びわ湖バレイの蓬莱山と比良最高峰の武奈ヶ岳の間、ちょうど烏谷山の上に太陽が落ちます。
現行の地理院地図では比良山地の中央部にあたる烏谷山の付近を指して「比良山」と示しています。
私は浜辺から撮影していますが、カフェのテラスや駐車場から夕日を眺めることもできます。
水ヶ浜から見て、夏至が近付くと烏谷山に夕日が沈みますが、高峰の上に雲が出やすい季節ということもあり、綺麗な日没の光景を望む機会は少ないでしょう。
今年は稜線の向こうに隠れる夕日を眺望できて幸いでした。
上の写真の左端には比叡山が写っていますね。
琵琶湖の水ヶ浜から「都富士」比叡山、如意ヶ岳、逢坂山、音羽山を望む。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
水井山 (阿弥陀ヶ峯) | 21.8km | 793.9m | 京都府京都市左京区 滋賀県大津市 | |
横高山 (釈迦ヶ岳) | 22.2km | 767m | 京都府京都市左京区 滋賀県大津市 | |
三石岳 | 21.1km | 675.6m | 滋賀県大津市 | |
大比叡 | 23.4km | 848.1m | 滋賀県大津市 京都府京都市左京区 | 都富士 |
如意ヶ岳 | 27.1km | 472m | 京都府京都市左京区 | |
逢坂山 (相場山) | 26.8km | 324.7m | 滋賀県大津市 | |
音羽山 | 28.4km | 593.1m | 京都府京都市山科区 (滋賀県大津市) | |
千頭岳 (東千頭岳) | 29.3km | 600m | 京都府京都市伏見区 滋賀県大津市 | |
大平山 | 29.1km | 464m | 滋賀県大津市 京都府京都市伏見区 |
こちらから逢坂山が見えるということは、逢坂山から水ヶ浜の周辺が見えるはずです。
ちょうど良い機会ですので、過去に撮影して未整理のまま放置している写真を引っ張り出してみましょう。
逢坂山から奥島丘陵(津田山)、琵琶湖の水ヶ浜、伊吹山、くさつ夢風車を遠望する。2014年12月。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
国見岳 | 73.0km | 1126m | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 滋賀県米原市 | |
大禿山 | 72.6km | 1083m | 岐阜県揖斐郡揖斐川町 滋賀県米原市 | |
伊吹山 | 68.7km | 1377.3m | 滋賀県米原市 | 滋賀県最高峰 |
御所山 | 28.8km | 348m | 滋賀県近江八幡市 | |
津田山 (奥島山) | 27.6km | 424.5m | 滋賀県近江八幡市 | 現地道標では「姨綺耶山」 |
長命寺山 | 26.9km | 333m | 滋賀県近江八幡市 | |
王浜山 | 29.5km | 245m | 滋賀県近江八幡市 | |
岡山 | 23.6km | 187.5m | 滋賀県近江八幡市 |
カフェや浜辺の場所は分かりませんが、奥島の湖岸線は確認できますね。
奥島の手前には烏丸半島の風力発電が見えていますが、現在、稼働していません。
この写真を撮影した日は空気が澄んでおり、遠望においては決定的とも言えるほどの好条件でした。
相変わらず積み記事のまま放置していますが、神々しさを感じる白銀の伊吹山だけでもこの記事で。
2018年(平成30年)12月、追記。
報道によると、2019年(平成31年)1月15日より「くさつ夢風車」の撤去工事が始まるとのこと。
逢坂山から風車越しに奥島丘陵や伊吹山を眺望できるのも、あと僅かの話です。
追記終わり。
話を琵琶湖の水辺に戻します。
比良山地の稜線を近江八幡市の水ヶ浜から撮影。湖東側から琵琶湖越しに望む比良や京都北山。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
釈迦岳 | 15.6km | 1060.1m | 滋賀県大津市 (滋賀県高島市) | |
武奈ヶ岳 | 18.3km | 1214.2m | 滋賀県大津市 | 比良山地最高峰 |
コヤマノ岳 (鈴ヶ岳) | 17.7km | 1181m | 滋賀県大津市 | |
シャクシコバの頭 | 17.7km | 1121m | 滋賀県大津市 | |
堂満岳 (暮雪山) | 16.0km | 1057m | 滋賀県大津市 | |
烏谷山 | 16.3km | 1076.5m | 滋賀県大津市 | |
比良岳 | 16.5km | 1051m | 滋賀県大津市 | |
打見山 | 15.9km | 1108m | 滋賀県大津市 | |
蓬莱山 | 16.5km | 1173.9m | 滋賀県大津市 | |
ホッケ山 | 16.8km | 1051m | 滋賀県大津市 | 標高の値は5mDEMによる |
権現山 | 17.2km | 996m | 滋賀県大津市 | |
霊仙山 | 16.9km | 750.5m | 滋賀県大津市 | |
ナッチョ (天ヶ森) | 21.3km | 812.5m | 京都府京都市左京区 | |
元・NTT鞍馬無線中継所 (警察庁鞍馬無線中継所) | 24.4km | 854m | 京都府京都市左京区 | 杉ノ峠の南 標高の値は5mDEMによる |
奥比良の武奈ヶ岳より南比良の蓬莱山や北比良の釈迦岳や堂満岳のほうが目立つ山容なのはお約束のようなものですね。
写真の左端には杉ノ峠の鉄塔(花脊の鉄塔)が写っています。
この元・鞍馬無線中継所は鶴翼山(八幡山)などからでも見通せますが、滋賀県にお住まいの方にとって興味が湧くものではないでしょう。
追記。
この鉄塔は2018年(平成30年)11月末日頃から解体作業が始まり、もう水ヶ浜から望むことはできません。
滋賀県、それも湖東の平地部から京都北山を見通せる証となっていただけに残念です。
追記終わり。
昭和初期頃の山地図ではホッケ山の東の谷を「法華谷」としており、ホッケ山が「法華山」であることを窺わせます。
同じ地図では「霊仙山」が「竜仙山」となっており、もしこれが定着していれば鈴鹿山脈の同名の山(鈴鹿最北部の霊仙山)との混同は避けられたでしょう。
陸測時代の初期の地形図では(現在の霊仙山ではなく)「龍仙山」の表記を採用しています。
前回の記事の余談でも取り上げていますが、いわゆる蓬莱山(蓬莱島)には龍や仙人が住まうとされ、「龍」「仙」山の由来はそのあたりでしょうか。
もっとも、霊仙山~権現山~ホッケ山(法華山)~蓬莱山と連なる南比良の山名を見るかぎり、霊仙山のほうが妥当かなとも感じます。
お釈迦様が法華経を説いた山が天竺(インド)の霊鷲山で、日本にも霊鷲山由来と考えられる山名が見られます(たとえば、京都東山の霊山は霊鷲山由来と明示されていますし、比叡山も「鷲の山」と呼ばれていました)。
かつて、比良の山上には比良三千坊とも称された数多くの僧坊・寺院が建てられました。
霊鷲山、権現、法華経、蓬莱、このあたりは山岳信仰の行者さん、いわゆる修験者さんと関わりが深いものです。
日も沈んで黄昏時、あたりも薄暗くなってきました。
そろそろ水ヶ浜や奥島、近江八幡ともお別れです。
この日、起点とした長命寺港まで、奥島丘陵の西麓を回り込むように県道26号を歩いて戻ります。
道中、水ヶ浜の少し南側からガードレール越しに水ヶ浜や沖島、それに湖西の山々を見渡せる地点があります。
三重嶽や大御影山など野坂山地の山々、沖島のケンケン山と頭山を奥島から琵琶湖越しに遠望する。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
武奈ヶ嶽 | 33.7km | 865m | 滋賀県高島市 | |
三重嶽 | 36.3km | 973.9m | 滋賀県高島市 | 野坂山地最高峰 |
大御影山 | 38.0km | 952m | 福井県三方郡美浜町 滋賀県高島市 | 標高の値は10mDEMによる 三角点は949.9m |
頭山 | 3.8km | 144m | 滋賀県近江八幡市 | 標高の値は5mDEMによる |
ケンケン山 (見景山) | 4.5km | 210m | 滋賀県近江八幡市 |
微妙に見切れていますが、水ヶ浜は写真の右端です。
野坂山地でも湖西寄り(高島トレイル寄り)の高峰、とくによく知られる三重嶽や大御影山の姿が見えています。
武奈ヶ嶽は比良山地の武奈ヶ岳とは異なる山で、俗に「湖北武奈」などとも呼ばれていましたが、高島は湖北地域ではなく、私はその俗称をあまり好みません(他の方がどうお呼びになるかは、その方の裁量でご自由になさればよいでしょう)。
三重嶽は野坂山地最高峰・高島トレイルの最高峰で、大御影山は若狭国最高峰・嶺南地方の最高峰。
かつて、武奈ヶ嶽から三重嶽、大御影山と縦走し、その後、大日岳(小御影山)まで引き返し、福井県側の雲谷山を経て、三方石観世音さんから日本海の三方五湖まで抜けたことがあり(雲谷山への登り返しが厳しく、かなりの難路でした)、遠くから三重嶽を眺めると、今でもその日のことが懐かしく思い出されます。
余談ながら、「ブナ」を称する山は滋賀県に4座あり、とくに比良山地最高峰の武奈ヶ岳(三角点の点名では「武那岳」)は名高いです。
あとは、上の写真に写る、野坂山地の武奈ヶ嶽、それに彦根市の武奈山(向山)、鈴鹿峠の武名嶽(三子山の一座で、残る二座は鈴鹿嶽と高幡嶽)。
近江の広い範囲、滋賀郡、高島郡、坂田郡、甲賀郡の4地域で「ブナ」の地名が見られるのは、何か理由があるのでしょうか。
比良山地の武奈ヶ岳の呼称は、中腹にブナの樹が多かったことに由来するとされますが、個人的に疑問が残ると考えています。
上の写真でも示していますが、野坂山地の武奈ヶ嶽の付近には、仏教的な山名を有する三重嶽(これは山上ヶ岳に通じる)や大御影山、それに大日岳があり、ここでの武奈(ブナ)にはなにかしら別の意味があるように思われてなりません。
これは無関係な話ですが、さらなる余談を追記しておきますと、かつては大御影山の最高点をノト又山とも呼んでいたらしい。
1937年(昭和12年)の『スキー適地案内 滋賀縣觀光叢書第三輯』(滋賀県観光叢書 第3集)に、「大御影山、九五一米一(ノト又山)には雪が多く展望も絕佳であつた。」「此の邊の山名は村々で違ふ樣で(中略)大御影山 能登野では三尾と云ひ松谷ではノト又山と聞いた。」と見えます。
能登野は大日岳の西麓にあたる三方上中郡若狭町側の集落ですが、同誌にはノト又谷の地名も見えますので、松谷は現代における三方郡美浜町新庄(しんじょ)の松屋集落で、その奥の能登又谷に由来した能登又山ですね。
また、1925年(大正14年)の『現代文鑒教授參考 下巻』(現代文鑑教授参考 下巻)における「京の北山」の解釈に、比良山地の武奈ヶ岳の別称として「母岩嶽(モガン嶽)」と見えますが、現代においては失われた山名のようです。
これは東京帝国大学文科大学(東大文学部の前身)助教授を務めた国文学者、藤岡作太郎が著作した紀行文的な物語『大原遊覽記』(大原遊覧記)を解説したもので、大原遊覧記の「大原」の章に「四方は連山波濤の如く廻りて、前は小比叡の山近く迫り、後は比良の高嶺も遠からず、彼方は鞍馬、貴船に續けり。」とあります。
沖島(おきのしま)は頭山と尾山の2つの島(山)から成っており、尾山の最高峰である宝来ヶ嶽(蓬莱山)は撮影地点から見えませんが、宝来ヶ嶽の西に連なるケンケン山(見景山)が見えます。
明確なハイキングコースがあるのか知りませんが、頭山は未登頂ですので、次に沖島に渡る機会があれば登ってみたいです。
宝来ヶ嶽の呼称を使いにくいのか、近年はケンケン山を「お花見広場」、宝来ヶ嶽を「見はらし広場」(見晴らし広場)と称して整備なさってるようですね。
琵琶湖にもなぜ蓬莱山が浮かぶのかといった話は前回の記事で軽く触れています。
水ヶ浜から南下すると、長命寺港の西側に「松ケ崎」(長命寺松ヶ崎)と呼ばれる小さな岬があります。
1878年(明治11年)の『滋賀県管内便覧』では「琵琶湖三十六勝」の「松﨑鶴戻」として、1892年(明治25年)の『淡海廿四勝圖記・上』(淡海二十四勝図記)では、「近江二十四勝」の「松岬清風」として名が挙がり、古くより名勝として知られていたことが窺えます。
ここでの「鶴戻」はおそらく鶴唳(鶴の鳴き声)の意。
王充の『論衡』變動篇(変動篇)に「夜及半而鶴唳 晨將旦而鷄鳴」(夜の半ばになると鶴が鳴き、朝が近づくと鶏が鳴く)の一節があります。
「松喰鶴」は縁起物で、「松に鶴」は花札の図案として知られますが、牟融の「遊淮雲寺」詩に「松徑風清聞鶴唳」(清々しい風が吹く松の道で鶴の鳴き声が聞こえる)の一節があり、これは「松﨑鶴戻」「松岬清風」に通じますね。
この詩は清代に編纂され、江戸時代の日本でも流行した『全唐詩』に唐代の牟融作として収載されますが、経緯がやや複雑です(おそらく明代の作と見ます)。
今回の山行記録の最初の最初、長命寺さんを登拝する前にも立ち寄った長命寺港まで戻ってきました。
琵琶湖から吹き込む清風を身に受けながら、この日の出来事を思い返します。
長命寺さんの境内から長命寺港を見下ろしたのも3時間以上前の話。
すでにあたりは薄暗かったですが、一日の締めくくりとして最後の撮影を。
右端に見える「岡」が、文字どおり、名が山を現している岡山です。
この山も大小2つの丘から成っており、北西の小さな山を、沖島と同様、頭山と呼びます。
長命寺さん、奥島丘陵、沖島、それに鶴翼山(八幡山)に食い込む津田の細江のあたりは、白洲正子さんが『近江山河抄』において「近江の中で一番美しい」と評された地です。
滋賀県全体で最も美しいとまで称賛された湖水と山岳の景観を今もなお残しており、私の心を惹きつけて止みません。
興味が湧いた方は近江八幡や湖東観光ついでにでも訪れてみてください。
近江八幡から夕景を眺望するのであれば、よく知られる鶴翼山もお勧めです。
紅葉ライトアップの時期には八幡山ロープウェーの夜間特別営業が実施されます。
関連記事 2016年6月 「沖つ島山」奥島丘陵を縦走
すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。
- 長命寺の紫陽花 太郎坊権現祠から近江富士を展望 近江八幡
- 津田山(奥島山、姨綺耶山)と長命寺山を登山 滋賀 近江八幡
- 琵琶湖の奥島 比良山に沈む夕日を近江八幡の水ヶ浜から望む
「琵琶湖三十六勝」のリスト
https://www.kyotocity.net/diary/biwako-36sho/
「近江二十四勝」のリスト
https://www.kyotocity.net/diary/omi-24sho/
琵琶湖 水ヶ浜(地理院 標準地図)
「水ヶ浜(ミズガハマ)(みずがはま)」滋賀県近江八幡市
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