今回の記事はいつにもまして雑多で読みづらい内容となっていますが、わざとです。
このところ、朝から丸1日休みとなる日が無く、泣く泣く、この日も午後から山へ。
そろそろ比叡山の山麓域や瓜生山あたりの紅葉が見頃だろうと推測し、そちらで過ごす予定でしたが、ぎりぎりで気が変わり、けっきょく、大文字山や如意ヶ岳(如意ヶ嶽)、それに長等山方面へ向かうことに。
軽いハイキングのつもりが、意外に長い山歩きとなってしまいました。
目次
五別所山と灰山
五別所山(京都市左京区)の北側から紅葉する比叡山と比叡平を望む。
五別所山(あるいは五別所)、その山名や地名を聞いて、それがどこを指しているか分かる方は少ないかもしれません。
当地は地質学や鉱物学を学ぶ方々にとってはよく知られた山で、実習などで訪れた方もいらっしゃるでしょう。
古い地質案内書の類でも、当地は「五別所石灰岩」と紹介されています。
ところが、ハイカーの間ではこの呼称がまったくといってよいほど広まっておらず、別の名前で呼ばれています。
灰山遺跡(灰山庭園、灰山城跡)
なぜ、五別所山の呼称が広まらないかといえば、京都市ではこの山を指して「灰山遺跡」、「灰山城跡」としているからです。
灰山遺跡について、京都市では比叡山を借景とした山岳庭園の跡と推測、あるいは古代の石座の可能性を指摘していますが、後年、如意越の要所たる当地に灰山城が築城されたため、当時の庭園風景をそのまま伝えているかは疑問が残るところです。
ですが、双耳峰たる比叡山の山姿を眼前に美しく望む場所であることは疑いようがありません。
近年、ハイカーの間で、この山は「灰山庭園」、あるいは「灰山庭園遺跡」などと呼ばれるようになり、鉱物の知識をお持ちの方は別として、「五別所」の呼称を用いる方はきわめて稀です。
付近は大理石やスカルン鉱物などの産地として知られており、灰山の名前がそれを物語っています。
写真の奥になにやら見えていますね……。
庭園の奥に、いつの間にやら簡易ハンモック的なものが。
このあたりは昔は笹が多かったように記憶していますが、食害の影響で失せたのか、開花により枯れたのか、人為的に払われたのか、よく分かりません。
灰山遺跡の所在地は、如意ヶ岳の山頂より連なる東稜、京都市左京区と大津市の府県境付近、やや京都市寄りにあたります。
大文字山から如意ヶ岳にかけての北面は花崗岩が主ですが、如意ヶ岳の東尾根には石灰岩が点在しており、当地もその1ヶ所です。
地質学や鉱物学関係の方々の間では、府県境あたりの山域は、京都市側(京都府側)から見ると「岡崎山」、大津市側(滋賀県側)から見ると「五別所」と呼ばれることが多いようです。
「如意ケ岳岡崎山のスカルン鉱物」 京都府レッドデータブック
https://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/soi0021.html
大津市側の山域は明治時代より前は三井寺さんの五別所村にあたり、明治時代には長等山の周辺が「五別所国有林」に指定されていました(現在の別所国有林とは範囲が異なります)。
後述する三角点「別所(べっしょ)」の「点の記」を順を追って確認してみると、設置当時は「大津市大字別所字五別所」を所在地としていますが、次に「大津市大字別所字別所」となり、近年は「大津市園城寺町」と住所地名が移り変わっていることが分かります。
「五別所石灰岩」の所在については、1917年(大正6年)の『地質学雑誌 24巻』に掲載される比企忠論文(京都附近地質案内)が詳しい。
五別所は池の地蔵の東に所在し、南は藤尾村に通じる道があり、五別所より東へ進めば大津に出る道と千石岩に出る道があるとしています。
灰山の山頂は鉱床の裏の約390m小ピークで、地形図には表れないものの、現地には北と南、2つのピークがあり、実測による標高値も同等ですが、いずれも山頂を示すような標はありません。
京都側から見て、この山を越えると京都市を離れ、大津市に入ります。
鞍部から登り返して最初のピーク、標高点408m峰を指して、近くのゴルフ場にちなんだものか、昭和の終わり頃には「皇子山」と呼んでおり、古い山名標でも皇子山の表記となっていますが、近年ではこの山を指して長等山と呼ぶ方もいらっしゃるらしく? 混同が見られます。
大津市の方にとって、皇子山といえば「皇子山古墳」の丘を指すでしょうから、この標高点408m峰ではしっくりこないのかもしれません。
標高点408m峰の話は上の記事に詳しく。
個人的には、三井寺さんの直接的な裏山にあたる標高点354m峰を長等山、三角点370.1m(点名「別所 」)を長等山三角点、あるいは「別所」と呼んでいますが、明治期に地元の方が伝えていた長等山系の細かな旧称はおおむね失われてしまったため、味気ないものとなっています。
古い記録では、付近には「天狗巌」(天狗岩)を称する山もあったそうで、これがどのあたりを指していたのか考えてみる、調べてみるのもいいでしょう。
千石岩との関係は……。
長等山の話は上の記事に詳しく。整備が進む古道「如意越」を歩きました。
この日は皇子山CC、長等山方面には向かわず、如意ヶ岳の周辺を徘徊することにします。
五別所山、皇子山CC周辺の紅葉
京都市と大津市の府県境付近から五別所山、皇子山、宇佐山の紅葉と琵琶湖大橋を望む。
皇子山CCのコースの向こうに琵琶湖、わずかに琵琶湖大橋が見えていますが、お分かりいただけるでしょうか。
山の上に建つ「大津テレビ送信所・中継局」が目立つ宇佐山が左下隅に写っており、その後方が琵琶湖です。
如意ヶ岳の山頂の北側では大規模な伐採作業が行われており、花崗岩窟も近付かないように封鎖されていました。
林道の延伸も、これに伴うものでしょうか。
この洞穴は雪積もる日に見ると美しく。
花崗岩洞窟(褐簾石鉱床) ならびに太閤岩
如意ヶ岳の北東(池の谷地蔵さんの東)、雪積もる花崗岩洞窟。2013年12月。
参考程度に写真を掲載。
洞穴は花崗岩の採掘跡地で、とくに有名な太閤岩と同様、褐簾石などの産地として知られています。
開発以前は今の比叡平にあたる山域でも露頭が見られたとか。
「北白川の褐簾石」 京都府レッドデータブック
https://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/soi0087.html
上のリンク先の記事本文に見える「池ノ地蔵東方の旧採石場跡の洞くつ」が当地です。
京都市小學校長會(京都市小学校長会)による1936年(昭和11年)の『昭和十一年十一月 大禮記念研究發表』(大礼記念研究発表)に、
「東山の研究 地質及び岩石鑛物」
校外指導箇所案内
東北部
大文字山
(中略)
登ること八合目程に達すれば道路の南方渓間に見事なる岩石あり太閤岩と稱す。昔秀吉が伏見築城の際の石切場なりしと、
(中略)
池の地藏北方には花崗岩の舊石切場あり無數の大割石轉落し櫻石を含めるホーンフェルスあり、新鮮にして無色透明、セクシヨン用として好適なり。
(中略)
又花崗岩の球狀節理に依る洞穴あり。
(後略)
『昭和十一年十一月 大禮記念研究發表』
と見えますが、「池の地蔵北方には花崗岩の旧石切場」が比叡平の開発に伴い失われた露頭を指しており、「花崗岩の球状節理による洞穴」が当地を指しています。
「桜石を含めるホルンフェルスあり」とも見えますね。
桜石(泥質ホルンフェルス中の菫青石仮晶)といえば、昔、亀岡市の行者山を登り、桜天満宮さんや、失われた愛宕山白雲寺の山門が鐘楼門として移築された千手寺さんを訪れた日を思い出します。
勘違い、あるいは混同なさる方がいらっしゃるようですが、白雲寺の山門を千手寺さんの鐘楼門として移したのであって、千手寺さんの梵鐘は白雲寺のそれではありません。
褐簾石目当ての社会科実習的な催し(昔の校外指導)では、最近は当地や太閤岩ではなく、全く異なる別の地点を選んでおり、小学生さんらが斜面に張り付いている姿を見かけます。
私が子どもの頃、私自身は太閤岩を訪れましたが、採取できる量が減っていることに加え、大雨などで谷の上が不安定な影響もあるのでしょう。
上の『大礼記念研究発表』の描写を見るかぎり、かつて、「太閤岩」の称は伏見城の築城由来と見なされていたようですが、近年、ネット上では大坂城(大阪城)の築城由来とする話を見かけるようになりました。
いずれにせよ、言い伝えの部類であり、そもそも、そう古くから太閤岩と呼ばれていたわけでもなさそうですが……。
※
かつて、『大礼記念研究発表』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能でしたが、2023年(令和5年)に国立国会図書館内限定公開資料の扱いとなりました(ので、現状、インターネット上では閲覧できません)。
本記事を元に「太閤岩は伏見城の築城由来」と断定的に教える方がいらっしゃるようですが、『大礼記念研究発表』でも「伏見築城の際の石切場なりし(だった)と」と見えるように、現状では伝聞調のほうが無難でしょう。
「←大文字・三井寺→」の道標
如意ヶ岳(如意ヶ嶽)の東尾根に今も残る「←大文字・三井寺→」の道標。
かつては如意ヶ岳の山頂付近から東尾根の上にも「如意越」のコースがあり、今もわずかに踏み跡が残っています。
新版の地理院地図ではその一部が破線路となりましたが、尾の先にあたる送電鉄塔(鉄塔番号「堅田線 四十七番」)の奥に古い道標を見ることができます。
追記しておきますと、後年、この道標は失われてしまいました。
前世紀の遺物だっただけに残念です。
如意ヶ岳の東 ガードレール脇の展望・眺望
続いて、如意ヶ岳の山頂の東にある管理道ガードレール脇の展望地へ向かいます。
長等山や藤尾地区との分岐にあたり、大文字山や如意ヶ岳周辺における「初日の出」を拝むスポットとしても知られています。
個人的に「近江大橋展望地」や「阿星山展望地」、あるいは「ガードレール脇の琵琶湖が見える場所」などと呼んでいますが、決まった呼称はありません。
如意ヶ岳(如意ヶ嶽)の近江大橋展望地(藤尾分岐)から鈴鹿山脈、琵琶湖、金勝アルプスを望む。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
雨乞岳 | 50.5km | 1237.7m | 滋賀県東近江市 滋賀県甲賀市 | |
綿向山 | 46.6km | 1110m | 滋賀県甲賀市 滋賀県蒲生郡日野町 | |
鎌ヶ岳 | 53.9km | 1161m | 三重県三重郡菰野町 滋賀県甲賀市 | |
宮越山 (水沢岳) | 53.5km | 1029.3m | 三重県四日市市 滋賀県甲賀市 | |
サクラグチ | 49.3km | 918.5m | 滋賀県甲賀市 | |
宮指路岳 | 52.4km | 945.5m | 三重県鈴鹿市 滋賀県甲賀市 | |
仙ヶ岳 | 52.0km | 961m | 三重県亀山市 三重県鈴鹿市 滋賀県甲賀市 | |
ベンケイ | 49.7km | 761.2m | 滋賀県甲賀市 | |
臼杵ヶ岳 | 50.7km | 697m | 三重県亀山市 滋賀県甲賀市 | |
小平山 (烏山) | 45.0km | 717m | 三重県亀山市 三重県伊賀市 | |
阿星山 | 21.7km | 693.0m | 滋賀県湖南市 滋賀県栗東市 | |
竜王山 | 18.4km | 604.6m | 滋賀県栗東市 | 金勝アルプス |
別の展望地から伊吹山や湖北が見えるほどの条件ではなかったものの、この展望地から鈴鹿の中南部は遠望できました。
湖南や金勝の山々も山麓に至るまで色付いているように見えますね。
岡崎山と同様、上の写真に写る綿向山の西麓もスカルン鉱物の産地として知られています。
ここでは広く「如意ヶ岳(如意ヶ嶽)」の呼称を用いていますが、今回の記事で取り上げた山域を含めた総称とお考えください。
大文字山と比較すると、如意ヶ岳の周辺を好んで歩く方は少ないように思いますが、いろいろ調べてみると楽しいものです。
整理の都合で記事を分けます。
続きは上の記事に。
某氏 “OMM JAPAN RACE”に参加中
大文字山についてもお詳しく、私の山歩きにも付き合ってくださる某氏が、まさに今現在、”OMM JAPAN RACE”に参加なさっています。
OMM / Original Mountain Marathon Japanオフィシャルサイト
https://theomm.jp/
体力、知識、経験、いずれも申し分なく、山の遊びをよくご存じの方ですので、今回も楽しんでいらっしゃることでしょう。
勝手に京都からエールを。
過去に雪山を一緒に登った日の写真を。
分かりにくいですが、中央の左寄りに写っていらっしゃいます。
右手に見える崖は有名な崩落地で、積雪時の写真はやや珍しいかもしれません(2014年現在、他の方が撮影なさったお写真をインターネット上では拝見した記憶がありません)。
この写真だけでもどの山かお分かりになる方もいらっしゃるかも。
実は、今回の記事本文とも関わりがあります。
関連記事 2014年11月 如意ヶ岳、大文字山の紅葉
- 五別所山、灰山、如意ヶ岳、大文字山 紅葉と鉱床 灰山城跡
- 大文字山で紅葉と夕日を 大文字山にヤマビル? 晩秋の京都
如意ヶ岳(地理院 標準地図)
「如意ヶ岳(ニョイガタケ)(にょいがたけ)」標高472m
京都府京都市左京区(山体は滋賀県大津市に跨る)
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