2016年(平成28年)1月、年始早々の話。
今年は申年ということもあり、山王信仰で知られる日吉大社さんを元旦に参拝するか迷ったあげく、京都東山の新日吉神宮さんを参拝するに留めました。
干支にちなみ、日吉大社さんの八王子山(はちおうじやま)から初日の出を拝んだ方も多かったのではないでしょうか。
目次
申年の日吉大社
実のところ、その後、私も1月のうちに日吉大社さんを訪れ、八王子山も登っていますが、その話は積み記事のまま放置していました。
その日は比叡山地側から見て琵琶湖の対岸、遠くに聳える鈴鹿山脈の高峰が雪雲の中に隠れており、どうにも写真映えしなかったから、というのも放置していた理由のひとつです。
ところが、他の山の話をするにあたり、その前提となる日吉大社さんや八王子山を訪れた日の話を軽くでも触れておく必要があることに気付きました。
何事に限らず、話や出来事は大きな流れの中で繋がっているものです。
2016年の元日に新日吉神宮さんを参拝した話は上の記事に。
日吉大社と八王子山
比叡山坂本の日吉大社さんと八王子山(牛尾山)。滋賀県大津市。
比叡山の東麓、日吉大社さんが背負う裏山の八王子山と、その山頂近くには牛尾神社の社殿が写っています。
この山は地理院地図では「八王子山」と山名が表示されますが、牛尾宮が鎮座する「牛尾山」とも呼ばれています。
1926年(大正15年)の『洛北の名所古寺を探りて 叡山へ』によると、どうやら裏山の一帯を総称して「神蔵山(かまくらやま)」と呼んでいたらしい。
比叡山と八王子山、大黒山
当地における信仰は、そもそもは神奈備山たる八王子山に対する信仰から始まったと考えられています。
日枝山(比叡山)の大山咋神を山麓に遷したのが日吉大社さんとされ、京都東山の新日吉神宮(いまひえじんぐう)と同様、かつては日吉大社(昔の日吉神社)も「ひよし」ではなく「ひえ」と呼んでいました。
その後、奈良の三輪山から大己貴神(大国主)が勧請され、現在の西本宮(大己貴神、大比叡)と東本宮(大山咋神、波母山小比叡)の基本的な形が成立したとされます。
享保19年(1733年)に大成した『近江國輿地志略』(近江国輿地志略)が引く『日吉傳記』(日吉伝記)に、山王権現は大三輪神と同体といった話が見えますが、大比叡を大三輪神とするのは『永承二年日吉社禰宜口傳抄』(日吉社祢宜口伝抄)によるもので、現代に通じる設定はこれによるところが大きい。
比叡山に延暦寺が創建されて以降、天台宗との結びつきが強くなり、中国天台山と重ねた山王信仰の中心地たる総本宮としても栄え、京都の鬼門にあたることから、鬼門除けの神社としても知られるように。
このように、日吉大社さんには多くの信仰の形が入り混ざっており、言い方はよくありませんが、雑多な光景をも美しいと感じる私にとっては興味深い神社さんです。
日吉大社さんと関わりが深いのは比叡山ですが、山麓から見上げるかぎり、直接的な「裏山」に見えるのは上の写真にも写る八王子山です。
また、日吉大社さんから見て西の「絶頂」にあたる標高点728m峰(奥比叡ドライブウェイ・峰道レストランの近く、あるいは黒谷青龍寺さんの上)、あるいは、その西0.15kmの小ピーク(標高点728m峰から京都一周トレイルのコースを挟んで西側ですが、地形図で見てもピークとは分かりにくい)は「大黒山」と呼ばれます。
大国主は大黒天と習合しており、日吉大社さんの「上」にあたる山を大黒山と呼ぶのも縁と言えますが、古くは黒谷を大黒天が現れた「大黒谷」と呼んでおり、こちらは黒谷に由来する山名だそうです。
このあたりの山域を大黒山と呼ぶことをご存じの方は少なく、何度か訪れて確認していますが、現地にも山名標のようなものは見当たりません。
伝教大師最澄が比叡山を登山していたら大黒天神が姿を現した、という話じたいは古くから見え、今も東塔の大黒堂で、豊臣秀吉ゆかりでもある三面出世大黒天が祀られています。
話を日吉大社さんに戻しましょう。
申年の干支絵馬
山王信仰ではお猿さんを神の使いと見なしており、今年は「干支の年」にあたるため、そのことをアピールなさっていました。
私が元旦に新日吉神宮さんを参拝した理由でもあります。
江戸時代によく読まれた読本『絵本太閤記』に、面が猿に似ていたので豊臣秀吉は幼名を「日吉丸」とする由来が見えますが、つまり、「日吉」が猿を指す(と考えられていた)ことが分かりますね。
(『絵本太閤記』では「白日」と「凶を転じて吉となす」で「日吉」を前提として猿面の話に繋ぎますが、これは話が長くなるので、そのうち記事下部の余談にでも)
山王鳥居と猿部屋
この鳥居の先、少し進んで右手に神猿さん(本物のお猿さん)がいます。
当初は神社さんに人が少なく、檻から表情が見えるくらいに寄ってきましたが、後から参拝者さんらが団体でいらっしゃったこともあり、奥に隠れてしまいました。
この「お猿さん」は今に始まった話ではなく、『近江國輿地志略』の日吉大宮(日吉神社)の段には、
「猿部屋」
大宮本殿の左にあり。猿は當社の使者なりといふを以て、猿一匹づゝ此部屋に入置、參詣のもの食物を與ふ。『近江國輿地志略』
と見え、昔からあった風習だと分かります。
当時は「大宮」で大己貴神を、「二宮」で小比叡大明神を祀っており、上の話に見える「大宮」は今でいうところの西本宮に相当します(大宮は「おおみわ」で大神に通じる)。
したがって、「二宮」は現在の東本宮、「三宮」は八王子山の三宮神社。
『近江國輿地志略』では「神蔵山」を「二宮の奥宮」としています。
鳥居の先の西本宮にお参りし、引き返して東本宮にお参りし、さらに折り返して八王子山の登山口へ。
ややこしい参拝径路を辿っていますが、自分なりの法則、順路のようなものがあります。
積雪する八王子山を登拝
八王子山の登山口。日吉大社さんの牛尾宮(八王子権現)と三宮宮の参道。
八王子山の山上にある摂社2座、牛尾神社と三宮神社の参道が、そのまま八王子山の登山道を兼ねています。
神仏分離以前は権現宮たる牛尾宮と三宮宮(三ノ宮)であり、境内の大きな案内板でも「牛尾宮」「三宮」としています。
坂本駅周辺からの参道は除雪されて無雪同然でしたが、日吉大社さんの境内や、八王子山の参道には雪が残っており、雪解けが進む山道では足元が汚れてしまいます。
山上の社殿に出る少し手前で八王子山の山頂や三石岳方面のコースと分岐します。
やや道が分かりにくいものの、この分岐点から八王子山や三石岳を経て横川中堂まで登山できますが、この道はピークハントを目的とするコースではなく、いずれの山頂も巻いて避けるのが一般的でしょうか。
さらに横川中堂から峰道や東海自然歩道を経て比叡山の北尾根に出ると京都一周トレイルコースと合流します。
比叡山の北尾根や奥比叡はロングコースですが、交通の便が良く、エスケープが容易なのは安心できるでしょう。
横高山(釈迦ヶ岳)の玉体杉はハイカーの休憩所として、いつ訪れても賑わっています。
このコース(~西塔~玉体杉~横川~八王子山~日吉大社)は千日回峰行の行者道でもあります。
三宮神社・牛尾神社
八王子山(牛尾山)。日吉大社摂社三宮神社・牛尾神社。国重要文化財。滋賀県大津市。
写真では左が三宮神社で、右が牛尾神社。
懸崖造の社殿は国から重要文化財の指定を受けており、その前は琵琶湖を見渡せる好展望地となっています。
こんな寒い冬の日に登る物好きさんはいないだろうと考えていたら、後から若い男女1組がいらっしゃって驚きます。
ぬかるんだ足元に苦戦されているようで、近江の風景を軽く眺めた後、すぐに下山なさいました。
三宮神社と牛尾神社の間には「金大巌(こがねのおおいわ)」と呼ばれる巨岩が鎮座しています。
岩場の下や、岩の上も見晴らしが良いですが、雪で滑りやすいので、この日は撮影を諦めました。
社殿前の展望所と視界は大差なく、無理に上るほどのことはありません。
金大巌や社殿は八王子山の山頂直下にあたり、一見すると登れないようにも見えますが、やや難路ながら岩場の奥からも八王子山を登頂できます。
八王子山(牛尾山)の展望・眺望 大津市
近江富士と琵琶湖を望む
八王子山(牛尾山)の展望。琵琶湖、くさつ夢風車、近江富士を眺望する。日吉大社さん。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
仙ヶ岳 | 50.7km | 961m | 三重県亀山市 三重県鈴鹿市 滋賀県甲賀市 | |
四方草山 | 49.4km | 667.0m | 三重県亀山市 滋賀県甲賀市 | |
三子山 | 48.8km | 556m | 三重県亀山市 滋賀県甲賀市 | |
鏡山 (西の竜王山) | 20.1km | 384.5m | 滋賀県蒲生郡竜王町 滋賀県野洲市 | |
三上山 | 16.4km | 432m | 滋賀県野洲市 | 近江富士 |
琵琶湖の対岸には烏丸半島の風力発電や、その後方に三上山・鏡山の丘陵地帯が見えていました。
三上山の遠方には綿向山、雨乞岳、イブネといった、鈴鹿山脈中核部の高峰が連なりますが、雲の中に隠れて見えそうにありません。
鈴鹿でも南部寄りの山は見えやすく、とくに「三つ子」の三子山の山容が分かりやすいでしょうか。
この三子山は私にとって馴染みがある大文字山や如意ヶ岳からは見えず、明確に望むには比叡山まで緯度を上げる必要があります。
撮影当時は雲が多くて見映えのしない写真だと考えていましたが、改めて眺めてみると、近江富士の姿が目立って見えますので、これはこれで悪くありません。
雲は多かったものの、冬場らしく空気そのものは澄んでいたようです。
視点を右へ。
湖南や信楽の山々を望む
八王子山(牛尾山)から湖南の阿星山、金勝アルプス、信楽の笹ヶ岳を遠望する。日吉大社さん。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
高畑山 | 46.7km | 772.9m | 滋賀県甲賀市 三重県亀山市 | |
那須ヶ原山 | 45.6km | 799.6m | 滋賀県甲賀市 (三重県亀山市) | |
阿星山 | 21.8km | 693.0m | 滋賀県湖南市 滋賀県栗東市 | |
竜王山 | 19.3km | 604.6m | 滋賀県栗東市 | 金勝アルプス |
四百山 | 23.5km | 568m | 滋賀県甲賀市 滋賀県大津市 | 大鳥居の南 |
笹ヶ岳 | 33.0km | 738.5m | 滋賀県甲賀市 |
手前側の平地は雪が見えませんが、琵琶湖の対岸は少し雪が残っていますね。
分かりにくいですが、上空にはヘリコプターの編隊が写っており、4機編成を見るかぎりでは自衛隊さんでしょうか。
雲が失せないか眺めていましたが、粘っても好転しそうになく、このあたりで諦めて下山しました。
何気なく歩いていると見落としますが、参道の途中で尾根に乗るコースがあり、距離は短いものの、そちらも見晴らしの良い道のりです。
社殿の前から見えにくい湖北や琵琶湖大橋、あるいは大津の南も見えますが、この日の湖北方面は霞んでおり、伊吹山や金糞岳は見えないも同然でした。
八王子山を下山
この後、近江神宮さんにも参拝し、何気なく楼門の写真を撮影しておきました。
6月に近江神宮さんに再訪したら、ちょうど、楼門の屋根の葺替え工事のため、足場が組まれているところで、これも偶然、先代の屋根の姿を写真に残せて良かったです。
1月と6月の近江神宮さんの話は上の記事に。
いずれ、鈴鹿や湖北が見えやすい日にも八王子山を訪れたいものです。
だいたいの場合において、私が何かをしたり、何かを書くと、それがフラグとなる傾向にありますので(笑
追記。
2016年の年末、「鈴鹿や湖北が見えやすい日」に八王子山を再訪しました。
計算上、八王子山から見える最遠の山まで撮影できた、はずです。
私が話の種にするとこうなるという、いつものお約束ですね。
その話は上の記事に。
余談・追記
大黒谷と大黒林
大黒山の件で追記しておきます。
京都府側の記録を見てみると、
森林
國有林
八町林
叡山の西に有り段別六十町六段七畝一歩延暦寺の上地なり大黒林
同上段別十一町一段八畝十五歩延暦寺の上地なり
此國有林は叡山の西面本村の東方に在りて古來本村の永代請所と稱し中代より年々米一石四斗銀五百四匁三分五厘を延暦寺に納め來りしが寺領上地の後京都府の所轄となり年々米一石四斗金八圓四拾錢五厘を府廳に納め舊來の慣例を継続せしが明治九年七月返納せしめられたり(四十二年八月延暦寺有となる)『京都府愛宕郡村志』
1911年(明治44年)の『京都府愛宕郡村志』の「八瀬村志」では、八瀬村の森林として「八町林」「大黒林」の名前を挙げています。
八町林は八丁谷の山林、大黒林は黒谷の山林で、黒谷を指す「大黒」の用例が定着していたことが分かります。
「府廳」は府庁、「上地」「寺領上地」は1871年(明治4年)と1875年(明治8年)の「上知令」(社寺領上知令)(社寺上知令)で官有地(国有林)となった寺社の上地林を指しています。
追記終わり。
大黒天と豊臣秀吉、明智光秀
これは完全に余談です。
時間が取れたら(気が向いたら)書きます。
八王子山(牛尾山)(地理院 標準地図)
「八王子山(ハチオウジヤマ)(はちおうじやま)」 別称として「牛尾山」標高381m
滋賀県大津市
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