2016年(平成28年)4月下旬に京都北山の山々を登山した話。
この日は花脊峠~天狗杉~旧花脊峠~京都市左京区・右京区の区境尾根を縦走~芹生峠~白倉の頭(左京区・右京区・北区の3区境)~柳谷峠~滝谷峠~貴船山~二ノ瀬ユリをトレッキング。
このうち、「花脊峠~白倉の頭(3区境)」の区間は京都丹波高原国定公園の外縁(外周)にあたります。
天狗杉や芹生峠を経て柳谷峠に至るまでの話は前回の記事に。今回はその続きです。
魚谷山の山頂の東、柳谷峠に到着した時点で15時15分。
この日の目的である「外縁トレイル」は十分に果たしたといえるため、あとは見回りがてら、魚谷山で山野草の観察でもしながら下山することに。
やはり、今の時期の魚谷山といえば、あの白いお花の様子が気になりますね。
目次
柳谷峠~直谷~滝谷峠
柳谷と医王沢
柳谷峠。魚谷山・芹生峠・医王沢・細ヶ谷(細ガ谷)分岐。京都市北区。15時15分。
南西(~西)は魚谷山~魚谷峠(松尾峠)、北西は魚谷(柳谷)、北(~東)は白倉の頭~芹生峠、東(~南東)は細ヶ谷~直谷。
私は芹生峠から京都市の3区境にあたる「白倉の頭」を経て柳谷峠へ下ってきました。
私が歩いた尾根道は桂川と鴨川の分水嶺でもあります。
魚谷山の北を流れる魚谷(柳谷)は灰屋川に合わさり桂川へ流入します。
柳谷峠の道標では北西を指して「医王沢」としています。
魚谷峠(松尾峠)と柳谷峠付近の地名の変遷は複雑で、地形図で見て、魚谷山の北を北東進し、灰屋川の本流と合わさる支流を現在では魚谷と呼びますが、この谷を指して昭和のはじめには柳谷としており、その頃は現在の松尾谷(魚谷峠の南の谷)を魚谷と呼んでいました(ので、今でもそう呼ぶ方がいらっしゃいます)。
さらに、この魚谷(昔の柳谷)のうち、魚谷峠や柳谷峠側ではなく、狼峠や石仏峠側の源頭域が「医王沢」にあたります。
これは直谷でも沢が合わさる前の源頭域を細ヶ谷と呼ぶのと同様です。
1935年(昭和10年)の『峠 山城三十山記 下篇』に、
灰屋川の支流で柳谷と別れて狼峠の方へ行く谷を医王沢と言ふ。
『峠 山城三十山記 下篇』
と見え、「医王沢」は狼峠側の源頭域を指していることが分かります。
魚谷山の三角点の点名が「柳谷(やなぎたに)」なのは昔時の名残です。
念のために追記しておきますが、誰(どこ)が正しいとか、誤っているという話ではなく、時代や人・組織により呼び方が異なる、場合もある、という話です。
魚谷山の読み いおだに? うおだに?
魚谷山や、その山名の由来ともいえる魚谷は、一般的に「いおだに(やま)」と読まれます。
上でも述べましたが、魚谷(昔の柳谷)には医王沢(いお、いおう)の名も残ります。
中国五山の一山に阿育王山広利禅寺があり、日本では阿育王山から育王山、さらに転じて医王山と呼ばれていました。
医王寺(いおうじ)を称する寺も日本の各地で見られます。
魚谷や医王沢のケースにおいては、「いお」か、あるいは「いおう」の音が先にあり、魚や医王の字を当てたと考えられます。
魚谷山のヤマシャクヤク
前回の記事でも少し触れましたが、ヤマシャクヤクは2015年版の京都府レッドデータブックで新たに絶滅危惧種の指定を受けました。
ヤマシャクヤク|京都府レッドデータブック2015
https://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/bio/db/flo0619.html
レッドデータブック本文に「府内には白花のベニバナヤマシャクヤクが多く」と見えますが、以前から私が何度も指摘してきた「京都府は白花型(白色型)のベニバナヤマシャクヤクが多い」ということが記載されるようになりました。
また、両種は花期や柱頭の形状が異なるだけではなく、これも私が指摘してきた「ヤマシャクヤクはベニバナヤマシャクヤクと比較して背が低い」ことも記載されています。
全体としては三分~五分咲きの印象を受けました。
すでに開花が進んでいた株は昨日までの大雨の影響を受けたでしょうが、まだまだ蕾も残していましたので、このゴールデンウィークが見頃でしょう。
今年はいつになく数多くお花を付けており、山を美しく彩っています。
雄しべや雌しべが変異したヤマシャクヤクの中には、稀に八重咲きとなったり、花片の色に変化が見られる株が現れるため、個人的に注目しています。
この手の変異は規模の大きな鈴鹿山脈の群生地では珍しくありませんが、京都北山には少ないと考えていました。
ところが、京都北山でも比較的株数が多い群生地には一定数が出ますので、けっきょくのところ、確率の問題なのかもしれません。
鴨川源流に咲くヤマシャクヤク。
よく見ると、いたるところにヤマザクラの花びらが散っています。
レッドデータブックに「ヤマシャクヤク類はシカが食べるのを忌避するため、増加する傾向が見られるところもある」と見えるように、人為的な採集圧が加わったり、斜面の崩落や伐採に巻き込まれるなど、大きな環境の変化が無ければ、基本的にはヤマシャクヤクの株は増加するのではないかと考えています。
魚谷山のように、すでに広く知れ渡っている自生地の保全対策としては、「稀少種であることの周知」に加え、あとは地道に見回るしかありません。
少し追記しておきますと、私より年上の方がおっしゃるには、昔は上の写真の撮影地点にヤマシャクヤクが咲いていた記憶はない、とのことです。
他の山々で観察するかぎり、ヤマシャクヤクは険しい谷の高い地点から低い地点に広がる、あるいは移る傾向がありますので、昔は山中の別の地点に分布していたものが、現在の地点で安定しているのかもしれません。
クリンソウは開花直後で、まだまだこれからでした。
相変わらず、魚谷山のクリンソウは花茎が「切り落とされる」現象が見られます。
同じ北山で、魚谷山と同様の動物が入り込んでいると考えられる山でも、この現象が全く起きない山もあります。
細ヶ谷~直谷(すぐたに、すぎたに、すんたに)は樋ノ水谷(氷ノ水谷)や松尾谷などを合わせて中津川となり、桟敷ヶ岳から出る雲ヶ畑岩屋川を合わせて鴨川(賀茂川)となります。
よって、細ヶ谷の源頭は鴨川の源頭にあたります。
魚谷山とは別の山で、ヤマシャクヤクを含む植物群落では、林床にフタバアオイやフデリンドウ、ニリンソウなどが見られます。
近年、京都北山の山々ではシカ(鹿)が好まないマツカゼソウが急増しており、魚谷山も例に漏れません。
上の写真では左下に青いヒトリシズカの葉が混生しているのが見えます。
ヨシノシズカ(吉野静)とも。
花期は終わりですが、色濃い葉は鮮やかで美しく。
ロゼットが美しくまとまっていました。
大きさが異なりますが、ヤマルリソウはハナイバナとよく似た花の形(つくり)をしています。
付近にはヤマルリソウの仲間のミズタビラコも多く見られますが、そちらの花期は少しだけ先です。
滝谷峠~貴船山~二ノ瀬
京都北山の滝谷峠。魚谷山・貴船山・芹生峠・滝谷分岐。16時45分。
前回の記事でも軽く触れましたが、北東の尾根に乗れば標高点760mを経て芹生峠の上へ。
近年、滝谷峠の直下、北西のアズキ坂側(直谷側)は崩落が激しく、コースが分かりにくいです。
滝谷峠から南東の滝谷~奥貴船の崖上の山道が大きく崩れているのは昔からですが、こちらも大雨などの影響で年々通行が困難となっており、昨年は足の置き場がほとんど無く、這うようにしながら抜けました。
このコースは戦前から「悪路」とされており、足元に自信の無い方は避けるほうが無難でしょう。
体力を消耗した状態で、あの崖道を歩くのが嫌だったことに加え、貴船山のクリンソウの様子も気になったので、南の二ノ瀬ユリ経由で下山することに。
日が暮れるのが遅くなったため、時間的な不安はありませんが、あまり暗くなると山中では写真撮影が難しくなってしまいます。
※近年、滝谷峠の直谷側の谷でヤマビルの目撃例・被害例が多発しています。5月以降に訪れる方は注意を。
「二ノ瀬ユリ」の由来
「二ノ瀬ユリ」の呼称の由来には諸説あります。
二ノ瀬からつづら折りで一気に高度を稼ぐ道を指し、「折り(ゆり)」が「ユリ」に転じた説。
その後の滝谷峠まで続く緩やかな山腹の道のりを指し、「ゆるい」「許る(ゆる)」が「ユリ」に転じた説。
1944年(昭和19年)の『京都北山と丹波高原』(改定版)に、
二ノ瀬で下車、社前で分岐した左の一本は夜泣峠へ向ひ、右の一本は相當な幅で山腹をまいて北上して行く。この山腹道を二ノ瀬ユリと稱する。山腹道をユリ道といふらしいが、案外急な峠のヂグザグ道もユリと稱する時もある。
『京都北山と丹波高原』
と見えます。
現在でこそ「ゆるい山腹道」説が広まっていますが、以前は「じぐざぐ折り道」説もよく知られていました。
これらの説では「山道」を「二ノ瀬ユリ」と見なしていますが、個人的には失われた古い地名に由来している可能性も捨てきれないと考えています。
1911年(明治44年)の『京都府愛宕郡村志』の「鞍馬村志」では、愛宕郡鞍馬村鞍馬区に「長ユリ」の字名が、貴船区に「長ユリ」「灰続ユリ」の字名が、二ノ瀬区に「野中ユリ」の字名が見えますが、これらの「ユリ」の由来は不明。
鞍馬区の「長ユリ」と貴船区の「長ユリ」は大字の境で重なる(跨る)可能性もありますが、まったく別の字地を指す可能性もあります。
隣接する別所村や静市野村、雲ヶ畑村には「~ユリ」の字名は見えないため、「~ユリ」は鞍馬村特有の地名(小字)の可能性があります。
ただし、「~ユリ」ではありませんが、同誌の「大原村志」では「ユリノ上」の字名が愛宕郡大原村野村区に見えます(現在の大原野村町)。
これら、鞍馬や大原における「ユリ」の用例が、他の地域や山に見える「ユリ」や「岼(ゆり)」と同義であるかは分かりません。
「岼(ゆり)」は山腹の平らな場所や、人が歩いた平らな山道を指しています。
また、「百合(ゆり)」の地名も日本各地で見られますが、これの由来もさまざまです。
ここから転じたのか、「二ノ瀬ユリ」は山野草のユリ(百合)のお花に由来すると紹介する記事も見ましたが、それは根拠に乏しいかなとは。
昔は二ノ瀬のあたりにオニユリかコオニユリや、あるいはキツネノカミソリが咲いており、オレンジ色で満ちていたのを覚えていますが、近年はあまり見かけなくなりました。
貴船山の植物
今年は魚谷山でシロバナニシキゴロモを撮影できなかったため、貴船山でニシキゴロモのお花を観察。
太平洋側、あるいは瀬戸内海側で見られるツクバキンモンソウと異なり、日本海側に多いニシキゴロモは上唇弁がやや長めです。
ニシキゴロモのお花の色は変化が多く、同じ紫色でも微妙に色合いが異なり、とくに色薄いお花が白色化するようです。
貴船山の北、二ノ瀬ユリのハイキングコース脇に少しだけクリンソウが咲きますが、新しい葉が展開中で、お花はまだまだ先でした。
このクリンソウは自生か植栽かよく分かりません。
魚谷山のクリンソウも一部に数十年前の植え戻しが混在しているため、今となっては区別が付きません。
私は魚谷山でクリンソウの植え戻し作業に関わった方から、直接、お話を伺っています。
滝谷峠~貴船山の間で、貴船スキー場跡の付近を経て貴船神社さん方面へ下山する旧道が現行の地形図でも破線路で描かれていますが、事実上、このコースは廃路となっています。
花背高原だけではなく、戦前は貴船山にも小規模なスキー場がありましたが、ほぼ知られてないようです。
わざわざ踏み込まないかぎり、入りようがないコースではありますが、迂闊に選ぶと難渋するでしょう。
「貴船スキー場」
洛北貴船に在り、婦人や子供向のスキー場として有名である。出町柳より鞍馬電車に乘り、貴船口で下車すると乘合自動車の便があり、約五分にして下車、そこから山上まで八丁あまりを徒步でスキー場に達する。ゆるやかなスロープで、障害物がなく、初心者には絕好のスキー場であり、しかも京都市內から僅々一時間で、二尺の積雪が見られるとあつてシーズンには非常な賑ひを呈する。
『京都市學區大觀』
1937年(昭和12年)の『京都市學區大觀』(京都市学区大観)より。
2尺の積雪は約0.6m~。
戦後に植林が進み、今は面影もありません。
貴船山の山頂は東に巻けますが、いちおう、ピークを踏んでいきます。
貴船山の山頂はどこ?
北に標高点722m峰、南に三角点699.4m峰(点名「二ノ瀬」)が所在するため、あまり頂上らしさがありませんが、現行の地理院地図では716m峰を「貴船山」としています。
古い地形図では716m峰に基準点がなく、南の三角点峰を貴船山だと考える方(勘違いする方)が多かった影響もあり、今でも三角点峰に多くの山名標が付けられています。
対して、(本記事の公開時点では、)こちらの716m峰に山名標のようなものは見当たりません。
1922年(大正11年)修正 五万分一地形図「京都東北部」
上は陸測時代の地形図です。
三角点峰の北の小ピークの右に「貴船山」と表示されており、五万分一地形図や、それをベースにしたハイキングマップなどではこの状態が長く続きました。
一見して貴船山がどこを指すか分かりにくく、「貴船山」が三角点峰を指していると誤解させる一因となったようです。
現行の地理院地図では、この小ピークには標高点716mが示され、その左に「貴船山」と分かりやすく山名が表示されています。
少なくとも地形図の観点から三角点峰を貴船山と捉えるのは誤読ですが、いずれ、本記事を目にした方などから、標高点峰を貴船山と捉える方が増えるだろうと見ています。
標高点峰も三角点峰も、住所地名としては左京区鞍馬二ノ瀬町に所在しており、貴船には属していません。
余談ながら、三角点設置点の昔の小字は湯屋利(鞍馬村大字二ノ瀬字湯屋利)。
湯屋利の読みは「ユヤリ」だと考えられますが、「二ノ瀬ユヤリ」と「二ノ瀬ユリ」の関連は不明。
他の小字と同様、湯屋利も今となっては失われた地名だと考えられます。
二ノ瀬ユリのハイキングコースは昔ほどの展望が期待できません。
貴船山の山頂の南1km、二ノ瀬ユリの尾根コース上、標高点567mの岩場は僅かに開けており、京都西山や京都盆地の北西部~西部が見通せます。
あくまでも計算上では大阪の「あべのハルカス」の最上部のみ見えるはずですが、空気が澄んだ日に訪れる機会がないため、貴船からハルカスさんが見えるかどうかは未確定です。
ポンポン山や小塩山はもちろん、その右遠方に北摂の石堂ヶ岡は見えていましたが、すでに疲れ切っており、わざわざ撮影する気が起きません。
いわゆる大岩分岐からは西(~南西)に大岩、南に夜泣峠、南東に二ノ瀬ユリと岐れますが、二ノ瀬への道を選びます。
大岩(~山幸橋)、夜泣峠(~向山~山幸橋)、二ノ瀬(~鞍馬)、いずれも京都一周トレイルと合流します。
そういえば、何年か前、この付近のトレイルコースで遭難事件が発生し、ニュースにもなりました。
すでに記憶が曖昧ですが、二ノ瀬から滝谷峠の間に左京山岳救助標識 が整備・設置されたのは、その後だったような。
過去の記事でも申し上げた気がしますが、二ノ瀬ユリのハイキングコースから叡山電鉄さんの貴船口駅の前に強引にエスケープできます。
ですが、かなりの急な下りとなるため、まったく汚れずに「落ちる」のは難しいかもしれません。
無理をするほどのことはなく、無難に二ノ瀬の守谷・富士神社さん側へ下山しました。
つづら折れの道を一気に下り、京都バスさんの「二の瀬」停留所に着くと18時30分。
時刻表を見てみると、あと10分ほどで広河原発の終バスが鞍馬から二ノ瀬に下りてきます。
偶然とはいえ、ちょうど良い時間に下山できて幸いでした。
補足・追記
魚谷山の一般的な登山コース
今回、私が選んだコースは一般的とは言い難いので、他のハイキングコースも挙げておきます。
- 雲ケ畑の出合橋~中津川林道~直谷~今西錦司さんのプレート~細ヶ谷~柳谷峠~魚谷山
- 雲ケ畑の出合橋~中津川林道~松尾谷~魚谷峠(松尾峠)~魚谷山
- 雲ケ畑の白梅橋~林道惣谷線~魚谷峠~魚谷山
- 雲ケ畑の白梅橋~惣谷山の南尾根~惣谷山~林道惣谷線~魚谷峠~魚谷山
- 雲ケ畑の岩屋橋~祖父谷林道~オ梅谷の林道支線~魚谷峠~魚谷山
など。
便数こそ少ないですが、雲ケ畑は交通機関(もくもく号)によるアプローチも容易です。
一番上はとくに好まれるコースで、直谷の深部や細ヶ谷は北山らしい谷歩きを楽しめます。
今回、細ヶ谷や直谷の一部は私も歩いていますが、これからの季節、スズメバチやヤマビルが増えますので、その点は注意。
いずれも林道歩きの区間が長いのが難点で、とくに惣谷の林道は敬遠されがちですが、惣谷山(そうだにやま)(三角点632.9m)に立ち寄り魚谷山を登頂する場合は避けられません。
少しでも林道歩きの区間を減らすため、バリエーション的な惣谷山の南尾根を選ぶ手もあるでしょう。
京北ふるさとバスを利用し、京北井戸を起点として井戸祖父谷を上るコースもありますが、これは祖父谷峠から桟敷ヶ岳に繋げる方が多いでしょう。
石仏峠や狼峠からのコースもありますが、とくに狼峠の周辺は昔と大きく姿を変えたので、前世紀の記憶を頼みに歩くと取付などが分かりにくいかもしれません。
昔は石仏峠も山越の峠道として利用されていました。
春の花火
春に国立京都国際会館で不定期に開催される宝が池(宝ヶ池)の花火大会、今年は今晩(2016年4月29日)でした。
もちろん、すっかり見逃してしまいました。
雨上がりで空気が澄んでいたので、大文字山からはもちろん、かなり遠くの山からでも撮影できたでしょう。
残念です。
同じく宝が池で夏に開催される花火大会は、毎年毎年、視程が短い日ばかりでどうにも……。
昨年なんて、北山の某山の上から眺めていたら、京都タワーのライトアップすら肉眼では場所が分からない有り様でした。
2016年夏の打ち上げ花火を大文字山から遠望した話は上の記事に。
関連記事 2016年4月 京都北山 花脊峠~魚谷山~貴船山 縦走
すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。
- 花脊峠~天狗杉~京見坂~芹生峠~白倉の頭 京都丹波高原
- 魚谷山のヤマシャクヤク 京都北山 柳谷峠~貴船山・二ノ瀬ユリ
魚谷山(地理院 標準地図)
「魚谷山(イオダニヤマ)(いおだにやま)」標高816.0m(三等三角点「柳谷」)
京都府京都市北区(山域は左京区に跨る)
「貴船山(キブネヤマ、キフネヤマ)(きぶねやま、きふねやま)」
標高716m
京都府京都市左京区
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