2016年(平成28年)4月下旬の話。
京都北山でも、この時期、私が好んで歩くコースをトレッキング。
前半はミツバツツジや雑木のトンネルを抜け、後半はヤマシャクヤクも楽しめる贅沢な山登りです。
コースとしては、花脊峠~天狗杉~旧花脊峠~京都市左京区・右京区の区境尾根(=城丹国境尾根)を縦走~芹生峠~白倉の頭(=左京区・右京区・北区の3区境)~柳谷峠(~魚谷山~滝谷峠~貴船山~二ノ瀬ユリ)。
この縦走路に加え、コースから外れ、細かな尾根や谷をぶらぶらと登ったり下ったり。
このうち、「花脊峠~白倉の頭(3区境)」までの区間が、今年3月に新たに指定された「京都丹波高原国定公園」の外縁(外周)にあたります。
いわば、勝手に「京都丹波高原国定公園外縁トレイル」を歩きました。
京都丹波高原国定公園の区域図などは上の記事に。
この日は標高759mの花脊峠を起点とし、標高837mの天狗杉がコースにおける最高標高ピークですので、大した標高差ではありません。
距離もせいぜい16km程度の道のりですが、細かなアップダウンを繰り返すため、大雑把に申し上げて、登りの累積標高は+1000m、下りの累積標高は-1500m程度になります。
目次
京都北山のヤマシャクヤク
当ウェブサイトをご覧になる方の中には、「自分にとって必要な情報」しか興味がない方もいらっしゃるでしょうから、先に書いておきますが、
京都北山・魚谷山のヤマシャクヤク(山芍薬)。2016年4月。
全体としては三分~五分咲き前後の印象を受けました。
数年前、まとめて盗掘された時はどうなるかと思いましたが、今年はいつになく当たり年のようで、数多くお花を付けています。
すでに開花が進んでいる株については昨日今日の大雨の影響を受けるでしょうが、まだ蕾も数多く残していましたので、ゴールデンウィークの間は綺麗なお花を楽しめるでしょう。
ヤマシャクヤクは2015年(平成27年)版の京都府レッドデータブックで新たに絶滅危惧種の指定を受けました。
あまり知られていない山とは異なり、魚谷山にヤマシャクヤクが自生することは広く知れ渡っているため、当地に限定すれば、山名を伏せることに大した意味はないと考えています。
今後も採集圧が増すことが予想されますが、各人の保護の意識を高めるしかないでしょう。
伐採や搬出に巻き込まれて消滅した群生地もあり(ただし、その後、復活を確認した地点もあります)、希少種であることや、生育地を林業関係者さんらに周知することも大切だと考えられます。
花脊峠~天狗杉~旧花脊峠
花脊峠(花背峠)。京都市左京区花脊・左京区鞍馬の境。
この日の起点。11時13分で気温は21℃。
広河原行きの京都バスさんを利用して11時10分頃に花脊峠へ。
入山に備えて準備する私の目の前に観光バスが現れたため、峠が分かりやすい写真を撮影できず。
峠の北にあたる花脊側は京都丹波高原国定公園の区域内で、峠の南にあたる鞍馬側は区域外です。
天狗杉(花背山)の山頂。標高837.0m。三角点「三輪谷」。11時30分。
右後ろの樹に白いお花が咲いていますね。
オオカメノキ(大亀の木)のお花です。ムシカリ(虫狩)とも。
よく似たヤブデマリの葉より葉脈の「しわ」が深く、鋸歯が細かいです。
天狗杉(花背山)の山名の由来
別称の「花背山」も併記した山名標。他の山名標は「天狗杉」のみ。
1934年(昭和9年)の『山城三十山記 上篇』には、
「天狗杉山」
この山も今まで花脊山といつて来たが、天狗杉山が本名らしい。多分三角点近くに、大きな天狗杉が五、六本あるからいふのだらう。『山城三十山記 上篇』(京都府立京都第一中学校山岳部)
と見えますが、翌1935年(昭和10年)の『峠 山城三十山記 下篇』では、
天狗杉山は芹生の木樵に聞いた名であるが此頃少し疑問に思ふ点がある。誰か確かめて来てほしい。當分この名にしておく。
『峠 山城三十山記 下篇』(京都府立京都第一中学校山岳部)
と補足しています。
当時の事情は分かりかねますが、その後、「当分この名にしておかれた」まま、「天狗杉」の呼称が定着したようです。
天狗杉は鞍馬の奥にあたる山ですので、天狗杉の呼称に違和感は覚えませんが、鞍馬側ではなく芹生側(京北側)での呼称だというのは意外です。
(※よく考えてみたら、芹生の木樵が、この山を越えれば鞍馬だと考えていたとすれば、意外でもありませんね)
花脊峠の上ではなく、鞍馬寺の上(鞍馬山の僧正が谷)に「天狗杉」を描いている古い絵図もありますが、「天狗~」や「~杉」を称する山名や地名は珍しいものではありません。
牛若丸(源義経)や、いわゆる鞍馬の天狗と合わせて語られやすい僧正が谷の天狗杉(魔王杉)については、たとえば、1919年(大正8年)の『山嶽巡禮』(山岳巡礼)に、
「愛宕と鞍馬」
(前略)
私は、鞍馬といふ山を未だ知らない。併し、幼い、が牛若丸の傳説に依つて、世に知られたほどの。いろ――な草双紙の物語。僧正谷の天狗杉の話を始め、
(中略)
天狗杉の樹冠の、二股になつてゐる處は、杉皮がめくられ、つる――と磨き立てられてゐて、そこは天狗の腰かけ場所と傳へられてゐるが、三十年程前、ヘールツ博士が之を見て、猿の仕業だといふ話なども聞いた。『山嶽巡禮』(北尾鐐之助)
(※「いろ――」「つる――」は原文では縦書き「くの字」点)
などと見えます。
ヘールツ博士(ゲールツ博士)(Anton Johannes Cornelis Geerts)は1869年(明治2年)に明治政府の招請により来日したオランダ出身の若き薬学者で、1875年(明治8年)から京都司薬場の薬品試験監督を務めました(京都司薬場は大阪司薬場と統合され、後に大阪衛生試験所となります)。
日本の鉱泉・温泉の分析調査にあたったことでも知られます。
京都に滞在した期間は2年足らずのようですが、その間に鞍馬を訪れたのかもしれませんね。
ヘールツはその後も日本で薬事行政の発展に寄与しましたが、1883年(明治16年)に40歳の若さで亡くなり、横浜の外国人墓地に眠っています。
『山嶽巡禮』の出版年は1919年ですが、各記事の執筆年と出版年は一致しておらず、さらに、「愛宕と鞍馬」など、「近畿の山山」の記録は筆者の「古い記憶を辿つて」記されたものですので、鞍馬の訪問時期にずれがある(ように感じる)のはそのあたりが原因のようです。
Geerts はオランダ語読みではヘールツが近いので、『山嶽巡禮』の表記は誤りではありません。
もっとも、それをいうなら、オランダ出身の画家、Vincent Willem van Gogh もヴァン・ゴッホではなくファン・ホッホではという。
これも正しい一面があり、戦前は「ファン・ホッホ」と紹介している書も珍しくありません。
ヘールツは近代日本における薬事行政や防疫業務の恩人ですが、日本で入手した陶芸品や美術品をヨーロッパへ送っていました。
この海外流出は時代背景的にやむを得ないでしょう。
花脊・鞍馬 天狗杉の展望
天狗杉の山頂直下は見晴らしが良い好展望地ですが、あいにく、この日は霞んだ空模様で遠くは見えにくく。
また別の日に京都盆地を撮影した写真を。
年は異なりますが、撮影した季節は同時期(ゴールデンウィークの時期)です。
北山の天狗杉(花背山)から京都を一望。大峰山、金剛山、葛城山、あべのハルカス遠望。
上の写真のみ2014年5月撮影。
主な山、建築物 | 距離 | 標高 (地上高) | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
八経ヶ岳 (八剣山) (仏教ヶ岳) | 109.5km | 1915.2m | 奈良県吉野郡天川村 奈良県吉野郡上北山村 | 近畿地方最高峰 奈良県最高峰 大峰山脈最高峰 |
金剛山 (葛木岳) | 82.2km | 1125m | 奈良県御所市 | 金剛山地最高峰 |
南葛城山 (嵯峨谷ノ峰) | 91.3km | 922m | 大阪府河内長野市 和歌山県橋本市 | 和泉山脈最高峰 標高の値は10mDEMによる |
葛城山 (和泉葛城山) | 95.0km | 858m | 和歌山県紀の川市 大阪府岸和田市 大阪府貝塚市 | |
生駒山 | 53.7km | 642.0m | 奈良県生駒市 (大阪府東大阪市) | 生駒山地最高峰 |
あべのハルカス | 61.5km | (300m) | 大阪府大阪市阿倍野区 | |
鳩ヶ峰 | 31.4km | 142.4m | 京都府八幡市 | |
天王山 | 29.7km | 270m | 京都府乙訓郡大山崎町 | |
京都タワー | 18.7km | (131m) | 京都府京都市下京区 |
春としては空気が澄んだ空で、どちらかと言えば遠くまで見えやすい日でした。
大阪の超高層ビル「あべのハルカス」はもちろん、奈良の大峰山も肉眼で見えていましたが、これほど好条件でも、やはり、遠望の難関、和歌山の龍神岳だけ写っていません。
中央の手前に京都御苑、その後方に京都タワー、左端には大文字山の「大」の字跡が写っていますが、お分かりでしょうか。
天狗杉から龍神岳を撮影した写真は上の記事に。
京都市内から護摩壇山~千の時の連なりを明確に分かる形で意識的に撮影した、史上初めての写真だと考えられます。
日光浴がてら、この展望地で25分ほどお昼寝をし、旧花脊峠へ向けて山を下ります。
旧花脊峠~京見坂~送電鉄塔
旧花脊峠のお地蔵さん。花脊・鞍馬・芹生分岐。いわゆる「京都北山の峠の地蔵」のひとつ。12時5分。
上の写真の地点で、お地蔵さんの右の道を選べば古道岐から花脊別所町へ下れます。
「古道岐」は京都バスさんの停留所としては「旧道別れ(ふるみちわかれ)」だったように記憶していますが、近年、設置されたと思わしき道標では「古道岐(こどうわかれ)」と振り仮名を振っています。
左の道を選べは「峠下」から鞍馬方面へ下れますが、途中で鞍馬尾根(鞍馬山)やアソガ谷(阿蔵ヶ谷、阿蘇ヶ谷、安造ヶ谷)に分かれます。
奥は京北芹生町で、この日は奥の道を選びました。
「旧花背峠」
旧花背峠といえば杉の老木が一本あって、その根方に地蔵堂がある衆知の峠だが、
(中略)
それともう一つこの峠で想起するのは、芹生へ赴く京見坂の道が美しい道だったことである。
(後略)
『北山の峠(上)』(金久昌業)
1978年(昭和53年)の『北山の峠』に従い、上では「旧花脊峠のお地蔵さん」としましたが、1932年(昭和7年)の『近畿の山と谷』 (初版)の描写を見るかぎり、本来は地蔵堂ではなく如来堂なのかもしれません。
ですが、一般的に、北山の峠で祀られる仏様は地蔵菩薩です [1]。
「花脊峠」
鞍馬村から此峠を越して別所へ通ふ立派な新道が開けてバスが通ふ様になつた。
(中略)
別所に至る古い道がある。此れが昔の峠路だ。黒ずんだ昔ながらの敷石を踏んで登つて行くと暗い杉林に入つて、幹の直径一間以上もある特に巨大な老杉の根元に、一宇の古びた小さな如来堂があり、
(中略)
如来堂の横から西へ芹生村に通じる小径を、峠から少し入つた短い熊笹原の平地に小さな小屋が二つある。
(中略)
之から城、丹國境の小さな峠を越えて灰屋川の流域に下り、芹生へ通ふ間道は細いけれど好く踏まれた好い径で
(後略)
『近畿の山と谷』(住友山岳会)
ここに見える「小さな如来堂」が旧花脊峠のお堂で、「城、丹国境の小さな峠」が次の写真の地点です。
旧花脊峠から、いわゆる「京見坂の道」を歩きます。
京見坂
旧花脊峠から芹生方面へ0.5kmほど進むと芹生峠の分岐。京見坂の付近。
左京区花脊・左京区鞍馬・右京区京北の境。
この地点が「城丹国境の小さな峠」にあたります。
写真では手前が旧花脊峠。奥が芹生谷(花脊谷)~灰屋川~京北芹生町。左が芹生峠。
峠を越えて直進すれば京北芹生へ至りますが、この日は芹生峠へ。
左に見える林道は車止めのゲートがありますが、ハイカーは通行でき、アップダウンが少ないため、そちらの林道を歩くほうが楽でしょう。
ただ、左京区・右京区の区境尾根(城丹国境尾根)を伝う、あるいは京都丹波高原国定公園の外縁(外周)を正確に辿りたいのであれば、写真の矢印のあたりから尾根に乗り、左端に見えている紫色のミツバツツジの上を歩きます。
次の送電鉄塔へ至る尾根はテープ類が少なく、稀に見かけても他の尾根や谷に誘導するもので、縦走路とは無関係な古いテープ類のみです。
ごく短い区間のみですが、関西電力さんの巡視路と重なります。
先ほどの林道と並走していますが、このあたりで岐れるため、林道から尾根に乗るなら関電巡視路の階段から。
送電鉄塔「山城北線 九十八」
アセビが多い送電鉄塔の小ピークに出ます。鉄塔番号「山城北線 九十八」。12時30分。
例に漏れず、この送電鉄塔も見晴らしが良いですが、残念ながら京都盆地方面は樹木が茂って見えません。
右のなだらかな山が天狗杉で、その向こうに杉ノ峠の紅白鉄塔(元・鞍馬無線中継所)の上部が見えていますね。
向こうからこちらへ歩いてきました。
旧花脊峠~芹生峠。左京区・右京区境尾根(城丹国境)から比叡山を望む。
撮影地点から大比叡(滋賀県大津市、京都市左京区)まで11.4km。
春らしく霞んだ空のため、曖昧な見え方に過ぎませんが、水井山の左遠方に湖南の阿星山や甲賀の飯道山がうっすらと。
送電鉄塔からのコースが分かりにくく、巡視路から外れて正確に南西へ下り、あとは細かなアップダウンを何度も繰り返しながら区境尾根を伝います。
ここが鞍部で、ここがピークと明確に分かるような地形ではなく、区間によっては踏み跡も薄れており、油断すると支尾根や谷に入り込んでしまうので慎重に。
追記 元・NTT鞍馬無線中継所が解体
本題とは無関係ですが、2018年(平成30年)11月末日頃より、2つ上の写真に写る元・NTT鞍馬無線中継所の撤去作業が始まりました。
杉ノ峠の鉄塔や花背の鉄塔、年輩の方々からは電電公社の鉄塔などと呼ばれており、京都の多くの場所から見通せる建造物として知られています。
当サイトでは以前より「元・NTT鞍馬無線中継所」としていますが、あくまでも「元」であり、「電電公社鞍馬無線中継所」→「NTT鞍馬無線中継所」→「警察庁鞍馬無線中継所(京都府警)」と管轄が移ってきました。
京都府警はこの無線中継所を運用していないという話もあり、半ば見捨てられた状態となっていましたが、ついに解体されることに。
私自身、鴨川に架かる橋の上や、京都の山の上からのみならず、他府県からも眺めてきた、とても思い出深い建造物です。
京都北山の方角を示す重要なランドマークだっただけに残念ですが、保安上の問題もあり、仕方がありませんね。
今よりも若かった頃、雲取山の国体コースを何度か縦走した際、寺山峠の上から振り返って眺めたことが強く印象に残っています。
お疲れ様でした。
滋賀県近江八幡市の平地(琵琶湖畔)から見通せていた証拠となる写真を上の記事に掲載しています。
送電鉄塔~芹生峠
写真のあたりの谷や尾根は自然林の新緑が美しく、無粋なテープ類も見当たりません。
(上は記事の初稿公開時点の話で、その後、どなたかがテープをお付けになられたようです)
開けた谷間を散歩するのも好きなため、ある種の植物の様子見がてら、この日も少し寄り道をしていますが、今は歩く人も少なく。
釜ヶ谷やシンジョウボウ谷といった谷の名前は失われつつあるようで、現状、インターネット上では触れた山行記録が見当たりません。
もっとも、わざわざ谷の名前を明示していないだけで、私の過去の記事では写真も掲載していますが……。
ミツバツツジ(三つ葉躑躅)じたいはありふれた植物ですが、ヤマザクラやタムシバと同様、山において春を感じさせる樹と言えます。
なにより、お花が遠くからでも目立つのが大きく、たとえば、先ほどの送電鉄塔から近く遠くを眺めてみると、ところどころに紫色やピンク色で山肌が彩られているのが分かります。
逆に芹生峠から旧花脊峠への区境尾根(城丹国境尾根)に取り付く場合は上の写真の地点(芹生峠の北側)から乗ります。
薄い踏み跡が分かるでしょうか。
芹生峠(せりょうとうげ)。左京区鞍馬・右京区京北の境。13時50分。
写真では右(南)が奥貴船で、左(北)は京北芹生町。
「芹生峠 標高約680m 比叡山を望む」とありますが、実際には700m近いです。
左京区鞍馬(貴船)は山城国にあたり、右京区京北は丹波国にあたるため、芹生峠は城丹の国境を成す峠でもあります。
花脊峠と旧花脊峠は山城国愛宕郡別所村と愛宕郡鞍馬村を分ける峠ですので、城丹国境ではありません。
今回、私が歩いたコースで城丹国境にあたるのは、京見坂~芹生峠~白倉の頭(3区境)の間のみです。
芹生峠~白倉の頭~柳谷峠
わずか数年で大きく姿を変えた芹生峠から魚谷山の取付(登山口)。
2013年(平成25年)6月に芹生峠の周辺をハイキングしていたら、ちょうど、峠周辺の伐採が始まるところでした。
私の目の前で次々と払われていく木々を見て、少し寂しく思いましたが、明るく開けた感じになり、昔に戻ったとも言えるのでしょう。
写真に写る青い標識(冬期・悪天候時の通行規制区間)は「峠の上」から見えます。
ネットの内側(写真では右側)はハイカーは通行できないので、ネットの外側(写真では左側)を辿ります。
ここはきわめて急登の区間で、すでに体力を消耗しているため、休み休み登ります。
芹生峠の上から天狗杉、蓬莱山方面を望む。
撮影地点から蓬莱山(滋賀県大津市)まで13.6km。
この日、私が歩いてきた連なりが見えています。
植林と自然林や二次林との境目が分かりやすいですね。
写真では右端に天狗杉と、その遠方に杉ノ峠の紅白鉄塔が見えており、その左に比良の蓬莱山の頂が覗いてます。
この地点からでは山頂域しか見えませんが、もう少し高度を上げればはっきり蓬莱山だと分かります。
ただし、これ以上、高度を上げると、左下に写る芹生峠の車道が見えなくなります。
表裏が逆ですが、先ほどの「青い標識」が小さく写っていることがお分かりでしょうか。
南に標高点760mを経由して滝谷峠へ至る尾根と、西に柳谷峠へ至る区境尾根に岐れますが、後者を取ります。
前者の標高点760mに昔は某ピークハンターさんの標がありましたが、今も残っているかは分かりません(と書いておいたら、わざわざ多くの方々が確かめに登ってくださったようで、現在も残っていることが分かりました)(→その後、失われたようです)。
この前者のコースを古くは「茂七ヶ段」と称していましたが、もうご存じの方もいらっしゃらないようです。
後世に伝わるよう、記録として残しておきます。
テープ類が目立たない旧花脊峠~芹生峠の区間と異なり、芹生峠~柳谷峠の区間はしつこいくらいにテープが付けられており、細かなアップダウンを繰り返すという点では同じながら、こちらは道迷いの心配はないでしょう。
相変わらず、稜線上ではミツバツツジが多く見られますが、すでに疲れ切っており、ここでは撮影する気力が湧きません。
白倉の頭(3区境)
白倉の頭。芹生峠~柳谷峠(魚谷山)の間、標高820m小ピーク。京都丹波高原国定公園外縁の端。
左京区鞍馬・右京区京北・北区雲ケ畑の3区境(3区界)。15時。
境界杭が見当たりませんが、ここが3区境の約820m小ピークで、この日の目的地でもあります。
令制国3国を分ける「三国岳」ならぬ、京都市の3区を分ける「三区岳」。
すっかり文字が薄れていますが、写真に写る小さなプレートに「倉ヶ谷・芹生」の字が見えます。
先にも引いた『山城三十山記 上篇』に、
白倉峠は柳谷峠から芹生へ行く近道になりますが、道は殆どなく、かへつて時間をとります。柳谷の美しい谷を行く方が、餘程氣持良く行けませう。
『山城三十山記 上篇』(京都府立京都第一中学校山岳部)
と見えます。
柳谷峠から芹生へ乗り越える峠越の鞍部(3区境の北、かつての国境尾根上の鞍部と考えられます)を「白倉峠」と呼んでいたことが窺えます。
現在は3区境の小ピークを「白倉の頭」と呼びますが、尾根の通過点に過ぎず、固有の「山」としてとらえる方は少ないでしょうか。
写真では右(東)が芹生峠、左(西)が柳谷峠(~魚谷山)、奥(北)が右京区・北区の区境尾根。
京都丹波高原国定公園の外縁トレイルは北の区境尾根へと続きますが、やがて灰屋川支流の魚谷(医王沢、古くは柳谷とも)に行き当たるため、この日はここまで。
以降は魚谷山~貴船山ハイキングに切り替わりますが、この後の山歩きのほうが長かった、というのは御愛嬌。
しつこく書いておきますが、今回、私が歩いたコースで、京都丹波高原国定公園の外周にあたるのは「花脊峠~天狗杉~旧花脊峠~芹生峠~白倉の頭(3区境)」までの区間です。
これより先(白倉の頭~柳谷峠方面)は京都丹波高原国定公園の区域外となります。
京都丹波高原国定公園の外縁は右京区と北区の区境、石仏峠~祖父谷峠~飯盛山・天童山と続きますが、一度、大きく落ちる魚谷の存在は大きく、正確に外縁を辿るのは困難でしょう。
また、花脊峠の北に出る別所川や、旧花脊峠の北に出る灰屋川は桂川に、花脊峠の南に出る鞍馬川や、芹生峠の南に出る貴船川は鴨川(賀茂川)に流入するため、この日、歩いた尾根は桂川と鴨川の分水嶺にあたります。
柳谷峠。魚谷山の山頂の東。北区雲ケ畑・左京区鞍馬の境。15時15分。
写真では右奥の「芹生峠(尾根道)」と示されたコースから下ってきました。
時間の都合で今回の記事はここまで。
この後はよく知られる一般的な登山道……、細ヶ谷(細ガ谷)~直谷~滝谷峠~貴船山~二ノ瀬を歩いたため、特筆することもありませんが、気が向いたら写真を。
上の記事に続きます。
二ノ瀬ユリの呼称や、貴船山の山頂について少し考察しています。
関連記事 京都北山 花脊峠~魚谷山~貴船山 縦走
すべて同日の山行記録です。併せてご覧ください。
- 花脊峠~天狗杉~京見坂~芹生峠~白倉の頭 京都丹波高原
- 魚谷山のヤマシャクヤク 京都北山 柳谷峠~貴船山・二ノ瀬ユリ
白倉の頭(地理院 標準地図)
「天狗杉(テングスギ)(てんぐすぎ)」 別称として「花背山」標高837.0m(三等三角点「三輪谷」)
京都府京都市左京区
「白倉の頭(シラクラノカシラ)(しらくらのかしら)」
標高820m
京都府京都市左京区、右京区、北区
「魚谷山(イオダニヤマ)(いおだにやま)」
標高816.0m(三等三角点「柳谷」)
京都府京都市北区(山域は左京区に跨る)
脚注
- 釈迦岳や大日山など、京都には釈迦如来や大日如来と縁ある山名の山も見受けられますが、峠や辻など、村落の境界を示す目的としては地蔵菩薩を祀る例が大半です。これは道祖神信仰に通じるものです。古くは境の峠に道祖神を祀り、とくに国境の峠を「手向山(たむけ山)」と呼んでいました。[↩]
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