烏ヶ嶽 滋賀県湖南市 三雲 残雪の甲賀CCから登山 2015年1月

昨日、2015年(平成27年)1月5日の話。
ティータイムでもということになり、積雪の様子見がてら、お昼頃からAさんと滋賀県へ。
私たちにとっての息抜きとは、それすなわち軽めの山歩きのことです。

積雪する湖南や信楽の山々

当初は阿星山を登る予定で湖南市へと向かいますが、「湖南三山」長壽寺さん(長寿寺)から先、阿星林道は積雪の影響で通行止。
先だって、Aさんは深く雪積もる山に籠っていらしたため、ややお疲れのご様子。
長壽寺さんと山頂の比高は500m程度とはいえ、出発時刻も遅く、雪積もる阿星山を下から登るほどのこともなく。
他の林道も偵察しますが、たとえ通行止でなくとも、標高が上がれば雪がどうなっているか分かりません。
それに、山を下る頃には路面が凍結しているおそれもあり、ひとまず阿星山は見送ることに。

続いて、湖南側から滋賀県道53号牧甲西線に入り、一路、信楽方面へと向かいます。
ところが、こちらも甲賀カントリー倶楽部さん(以下、甲賀CCさん)を過ぎたあたりで通行止。
目の前をゆく融雪作業車、おかげで路上の雪も少なく、信楽側からアセボ峠を越えて向かってくる車も見受けられ、実際問題としては通行できそうです。
少しばかり足を延ばし、アセボ峠の向こうから大納言 [1]へ上る管理道の様子を見ると、こちらは人力で除雪なさっており、邪魔をするのも申し訳なく、けっきょく、信楽越えや大納言、あるいは飯道山といった山々も諦めます。

甲賀CCと甲賀ファミリーランド

そこで、三雲の甲賀CCさんから烏ヶ嶽(からすがたけ)を登れるか調べることにします。
どうやら今の時期は営業なさらないようですが、雪積もる冬のゴルフ場では大勢の方々がお忙しそうに行き来なさってます。
クラブハウス側へ向かうと、それを見た職員の方が駆け寄っていらっしゃいます。
ゴルフ場で勤務なさる方からは物腰柔らかな印象を受けるのが常ですが、こちらの職員さんも同様でした。
ここには立ち入れないとおっしゃるので、私たちはゴルフ場には用がなく、裏山にあたる烏ヶ嶽を登るために訪れた旨をお伝えし、ゴルフ場から山へ取り付けるかお尋ねしました。
職員さんがおっしゃるには、「昔はハイキングコースもあり、ゴルフ場から山を登ることができたが、今は登ることができない」「ゴルフ場の奥は立入禁止となっている」とのこと。
ひとまず、お礼を申し上げて、クラブハウス側から退去します。

しかしながら、具体的な状況が分からず、地形図に見える実線路の様子を見に向かおうとすると、職員さんが追いかけていらっしゃいます。
「ここから先、左に曲がると山へ向かうが、明瞭な山道はなく、山を登るのは諦めたほうがよい」と、先ほどより詳しいお話を。
そこで、地形図をお見せし、「このコースは実線路となっており、山頂まではわずかな距離、せいぜい1km未満の道のりですが、この道が失われているのですか」と、念を押してお尋ねしてみると、「たしかに昔は山道があったが、今は失われており、もう何年も通った人間はいないのではないか」「ただ、獣道らしき跡があるのは見た」と。
地形図の破線路を指差しながら、「近年、山を登る人は東側から入ると聞いた」といったこともご教示いただきます。

こちらとしては無理に山を登る気はありませんが、私は行く先々で、その土地の方からお話を伺うのが好きということもあり、お忙しいところを申し訳ないと思いながらも、興味本位で何点かお尋ねします。
すると、職員さんが「ここはゴルフ場だけではなく、昔は遊園地もあったのですよ」と。
私たちは遊園地の存在を知らず、その呼称をお尋ねしてみると、「甲賀ファミリーランドです」と、どこかで聞いたことがあるような名前が [2]
名前こそお尋ねしたものの、そこまで遊園地に興味があるわけでもなく、その後も会話を続けていると、なぜだか急に態度を軟化され、「登りたいのであれば、(今回に限り、)ここから山を登ってもよいし、そのために敷地を通るのも構わない」「どこそこまでがゴルフ場の土地で、本来は通行を禁止しているが、そこから先はゴルフ場の土地ではないから関知しない」とおっしゃり、すんなり通していただきました。
当方からは「左に曲がり、これから烏ヶ嶽を登るが、ゴルフ場の中には入らない」と申し上げます。

なぜ、山を登ってもよいとおっしゃったのか、そのときは理由が分からず、ただ根負けなさったのかと考えていましたが、帰宅後、「甲賀ファミリーランド」について調べてみると、すぐにその理由らしきものが浮かび上がってきました。
1985年(昭和60年)、甲賀ファミリーランドの廃園後、その廃墟、廃施設を目当てとした方々が遊園地の跡地に許可なく侵入し、いたずらに写真を撮影するなどされ、管理する甲賀CCさんとしても対応に苦慮なさっていたご様子。
その後、2008年(平成20年)までに施設は撤去されましたが、幽霊話などの噂を聞きつけ、今でも跡地を訪ねてくる方がいらっしゃるのでしょう。
どうやら、私たちも当初はそういった不法侵入者と勘違いされ、そちらへ行かないようにやんわりと追い返そうとなさったのではないかと推測します。
ところが、私たちはその遊園地の存在すら知らず、地図を見せ、このコースから烏ヶ嶽を登りたいと具体的に申し出たことから、気が変わられたのではないでしょうか。

こちらを訪れたのは偶然に等しかったものの、結果として職員さんから多くのお話を伺い、新たな知識を得るきっかけとなりました。
甲賀CCさん側から烏ヶ嶽に取り付く場合、必ず敷地の端を通る必要があるため、通行の許可をいただいたほうがよいでしょう。
どのように入山しようとも、「立入禁止」を示すゲートを越える必要があり、断りの無い侵入は軽犯罪法などに抵触するおそれがあります。
職員さんもおっしゃるように、烏ヶ嶽は東から取り付くか、あるいは、地形図に見える(JR三雲駅~)北の管理道から取り付いて登るのが無難で、現状、とくに後者のコースが好まれているようです(ただし、私たちが訪れた日の管理道は雪が積もっていたと思われます)。
この手の山行の話はお蔵入りとするのが常で、表には出さないようにしていますが、インターネット上では甲賀CCさんから許可を受けて登頂した記録が見当たらないため、あくまでも参考程度に公開しておきます。

甲賀CCから烏ヶ嶽を登山

さておき、地形図に従い、甲賀CCさんから烏ヶ嶽へと向かいます。
舗装路を登ると見えてくる古い廃屋群を過ぎ、解けた雪でぬかるんだダートの悪路を詰めると、やがては盛土の奥に見える堰堤群に行き当たります。
この階段状の堰堤群はそう古いものではないようですが、かつては地形図に見える実線路のとおりに山を登ることができたのでしょうか。
現状、甲賀CCさんからのコースで分かりにくいのはこの付近だけで、堰堤群を大きく巻くか、あるいは、藪を漕ぎながらよじ登るかすれば、いずれ崩落地の最下部に出ます。
この斜面が崩落したから、その下に堰堤を造ったのかもしれません。

堰堤の上の岩場

烏ヶ嶽の南西面の崩落地、巨岩を下の堰堤から見上げる 滋賀県湖南市 2015年1月
烏ヶ嶽の南西面の崩落地、巨岩を下の堰堤から見上げる。

下山時に撮影した写真です。
湖南や金勝の山々によく見られるザレた斜面、それに奇異な巨岩。
間近から見上げても、ここが崩落地の下部であるとは分かりません。
やや離れ、牧甲西線から烏ヶ嶽の南西斜面の山肌を見ると、この禿げた崩落がよく目立ち、烏ヶ嶽は険しい山なのではないかという印象を受けます。
もちろん、実際にはそのようなことはなく、コースを選べばありふれた里山にすぎないでしょう。

さらに堰堤群を登っていくと、地形図に見えるコースと合流します。
今でもしっかりとした道が残っているところを見ると、おそらくは物好きな方が稀に歩いていらっしゃるのでしょう。
あとは幾ばくかのイバラや藪をかき分け、少々の倒木を乗り越えながら山頂へと登るだけです。
冬場に訪れたのは幸いだったと言えるかもしれません。

烏ヶ嶽の石垣

烏ヶ嶽の山中に見える石垣 滋賀県湖南市 2015年1月
烏ヶ嶽の南西稜。山中の石垣。

目立つ境界杭に沿うように、人為的な石切や石積が見受けられますが、しっかり調べる時間がなく。
山頂の南西に伸びる尾根周辺は明確に人の手が入っており、ひっそりした里山ではありますが、けっして放置された山ではありません。
山中にはヒノキの植林も育ち、伐採の跡によく見られるヒイラギの葉も多く、株の切り口には目印も付けられています。

烏ヶ嶽の山頂(三角点)

烏ヶ嶽(滋賀県湖南市三雲)の山頂 残雪 2015年1月
烏ヶ嶽の山頂。三等三角点484.9m。点名「烏ヶ岳」。滋賀県湖南市。

三角点の横に残る基本測量の測量標は1983年(昭和58年)7月のものです。
1966年(昭和41年)観測の「点の記」に目を通してみると、「本点はファミリーランドゴルフ場より烏ヶ岳に登る山道を登りきった山頂にある」といった記録が残されており、その頃は確かに一般的なハイキングコースだったのでしょう。

烏ヶ嶽の山頂は広く、かつてはお寺さんなり山城なりがあったのではないかと思わせる平坦さ。
三雲と言えば六角家に仕えた三雲一族の名前が思い浮かびますが、三雲家の居館址や三雲城址からは少しばかり距離が離れています。

烏ヶ嶽 山名の由来考

この山は「烏」ヶ嶽であって、「鳥」ヶ嶽ではありません。
1880年(明治13年)の『滋賀縣管内甲賀郡誌』(滋賀県管内甲賀郡誌)に、三雲の山として「犂カ嶽」の名前が見え、「山脉信楽飯道山ニ連亘シ近ク横田川ニ臨ミ遠ク琵琶湖ヲ瞩シ風光佳麗ナリ」としています。
この描写を見るかぎり、犂カ嶽は(宮町の山としている)飯道山と連なりながら、信楽荘ではなく三雲荘に属する山です。
「犂」の漢字は「からすき」とも読み、農耕機具の「からすき(唐鋤)」「(牛馬に牽かせる)すき」を意味します。

横田川は現代における野洲川で、烏ヶ嶽は飯道山の北に連なる点から考えて、この「犂カ嶽(からすきがたけ)」は現代における「烏ヶ嶽(からすがたけ)」そのものか、あるいは近辺の山を指していると考えられます。
この当時の湖南の山々は植林が進んでおらず、犂カ嶽は「赭山(赤土が露出したはげ山)ニシテ樹木稀疎」、大納言山も「兀山(はげ山)ニシテ樹木無シ」としており、「カラスキ」の山名もそのあたりに由来するのかもしれません(つまり、耕した後のような山)。
お馴染みデ・レーケにより、大河川(ここでは淀川)上流域の治水事業における砂防や植林の重要性が説かれた影響は大きかったのでしょう、その後、1888年(明治21年)に野洲川流域の赭山は砂防工事を施行すべきとされ、周辺の多くの山々で松苗や山榿苗などの植林が進みました(緑化・植林事業において、スギやヒノキを植林するようになったのは後の話です)。
山榿(やまはんのき)は、ここではヤマハンノキではなくヒメヤシャブシを指し、禿げ山の崩落を防ぐため植林されたので、別名をハゲシバリとも言います。

「苗木ノ種類及性質」
ひめやしやぶし(はげしばり)山榿
がけしばり、つちしばり、やましばり、
白山みねばり、やしや
(中略)
因ニ山榿(やまはんのき)ノ漢字ヲ以テひめやしやぶしト訓スルハ全國砂防施行地ニ於ケル一般ノ通稱トナレリ依テ榿(ひめやしやぶし)ノ正字ヲ用ヒズ山榿ノ誤字ヲ用ヒ置キタリ
『砂防工大意』(内務省大阪土木出張所)

近畿地方整備局の前身にあたる、大阪土木出張所による、1926年(大正15年)の『砂防工大意』より。
誤字であることは把握しているが、全国の砂防施行地で一般的な通称となっているので、山榿をそのまま用いる、としています。
同誌では、ヒメヤシャブシの正字を「榿」、続くヤシャブシを「榿子」としていますので、この頃の砂防事業においてはヤシャブシを「夜叉五倍子」とは書かなかったのでしょう。

余談ながら、京都の船岡山の東端にあたる平地は「犂が鼻(からすきがはな)」と呼ばれており、「唐鋤ヶ鼻」とも表記しました。
これは「唐崎の端(はな)」からの転訛ともいいますが、定かではありません。

烏ヶ嶽の展望・眺望

現状、山頂から展望は期待できませんが、地形図に見える東の破線路を0.15kmほど下ったあたり、やや崩れた崖か岩場の上から、木々の合間に南東向き、甲賀市でも水口町や甲南町、甲賀町方面が見えていました。
昨日は今ひとつ遠くが見えにくい日で、距離が離れると霞んでしまいますが、少し条件が良ければ甲賀盆地の向こうに鈴鹿山脈最南端から布引山地北部方面を望むことができそうです。
上で引いた『滋賀縣管内甲賀郡誌』に、犂カ嶽は風光佳麗なりと見えますので、昔の烏ヶ嶽(か、その周辺峰)は、おそらく広い展望を誇っていたのでしょう。
また、甲賀CCさんからの道中も同方面や、あるいは眼下にはゴルフ場の周辺、西には間近にそびえる大納言や阿星山の姿も見ることができました。
岩場の上など、どこか明確に開けた見晴らしの良い場所があれば、さぞや好展望地となるだろうと考えながら下山します。

阿星山に沈む夕日

雪が残る烏ヶ嶽から大納言、阿星山の向こうに沈む夕日と西ほうそ山を望む 滋賀県湖南市 2015年1月
西ほうそ山、大納言、阿星山の間に沈む夕日を雪が残る烏ヶ嶽から望む。
撮影地点から阿星山(滋賀県湖南市、栗東市)まで4.8km。

山頂から撮影した写真ではなく、下山時に撮影した写真です。
奇しくも、この日、登るのを見送った山々のシルエットを拝む形となりました。
厳密には立脚点から大納言の山頂は見えず、その東北東0.76mに所在する標高点548m峰、「西ほうそ山」と呼ばれる山が見えています。
阿星山の山頂は見えていますが、あの目立つ中継所の鉄塔は山の向こうに隠れ、撮影地点からは確認が困難です。

阿星山や大納言が近く、それらの標高が高いため、見掛け上の日が沈む時間は早めです。
昨日は日中の気温が高く、上山時は白さばかりが目立ったゴルフ場も、下山すると芝の緑が姿を現していました。
阿星山や大納言でも、夕暮れ時までには雪解けが進み、この半日で状況は大きく変わったでしょう。
いずれ、このあたりの山々の細かなコースも把握したいものだと考えながら、京都への帰路に着きました。

天山から眼前に近江富士、琵琶湖などを望む 湖南市・野洲市

「近江富士」三上山、天山、「甲西富士」菩提寺山 登山と展望

2013.10.15

過去にAさんとは天山や「甲西富士」菩提寺山(櫻山)から烏ヶ嶽を眺めており、いつかは登りたい山だと考えていました。
天山や菩提寺山から望むと、十二坊(岩根山)と、野洲川を跨いで対岸に所在する烏ヶ嶽はなかなか目立ちます。
今回、訪れたことじたいは偶然に等しく、烏ヶ嶽での滞在時間はきわめて短いものでしたが、結果的に思い出深い山行となりました。
甲賀CCの職員さんには大変お世話になりました。
年明け早々、お忙しいなか、不躾な来訪者にも快く対応していただき、心より感謝いたします。
Aさんともども、ありがとうございました。

…年明けの京都に降り積もった61年ぶりだかの大雪の話、つまり、1月2日や3日の話は、私でなくても他にも多くの方々が語っていらっしゃるでしょうから、私は手が空いたらということで。

追記

烏ヶ嶽や大納言の鉱山(百枚谷鉱山など)

古い鉱床報告や鉱山地図を眺めていたら、かつて、烏ヶ嶽の北面に「百枚谷鉱山」なる長石鉱山が所在していたことに気付きました。
1948年(昭和23年)から採掘が始まるも、1962年(昭和37年)頃には閉山したようです。

クリック(タップ)で「百枚谷鉱山跡(推定地)」周辺の地図を表示

上の地図の中心点は鉱山地図と重ねただけですので、現地の状況は分かりかねますが、当時の記録や、1956年(昭和31年)発行の二万五千分一地形図「三雲」を見るかぎり、現在の地理院地図に見える三雲駅からの実線路や、その延長線とも言える破線路は、元は長石の搬出に利用された道かもしれません。
三雲長石の産地として今も知られる大納言の白水鉱山と異なり、現代において、百枚谷鉱山が存在したことは知られていないようですので、記録として残しておきます。
白水鉱山の東(東南東)には、かつて、東山鉱山も所在していました(1984年に閉山)。
長石は信楽焼との関わりも深く、田上山地(湖南アルプスを含む)から信楽山地(信楽高原)にかけて、多くの山々で産出します。

烏ヶ嶽(地理院 標準地図)

クリック(タップ)で「烏ヶ嶽」周辺の地図を表示
「烏ヶ嶽(カラスガタケ)(からすがたけ)」
標高484.9m(485.0mから改定)(三等三角点「烏ヶ岳」)
滋賀県湖南市

脚注

  1. 「大納言」は山名。標高点596m、三角点583.1m。『甲賀郡誌』を見るかぎり、古くは「大納言山」を称したようです。[]
  2. これは私が幼少時に家族で訪れた宝塚ファミリーランドを思い浮かべたからで、甲賀ファミリーランドを存じていたわけではありません。宝塚ファミリーランドは2003年(平成15年)閉園。[]

Facebookでもコメントできます。

コメントする

コメント本文の入力のみ必須。お名前(HN)とメールアドレス、ウェブサイトの入力は任意。
管理人の承認後、お名前(HN)と本文のみ公開されますが、メールアドレスは管理人にのみ伝わり、他者に公開されることはありません。
入力した本文の内容を確認後、よろしければ「コメントを送信」ボタンを押してください。
当コメントフォームはGoogle reCAPTCHA により保護されており、訪問者が人かロボットかを識別しています。
Google reCAPTCHA の動作に必須なため、ブラウザの設定でJavaScript を有効化してください。

このサイトは reCAPTCHA で保護されており、Google の プライバシーポリシー利用規約が適用されます。

Loading Facebook Comments ...

ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!