西陣 水火天満宮で夜桜観賞 京都の桜 京都市上京区

2014年(平成26年)4月1日、枝垂桜の見物がてら、京都西陣、水火天満宮さんを参拝しました。

京都の桜 西陣 水火天満宮 枝垂桜 2014年4月1日 満開
水火天満宮さんの枝垂桜。ちょうど盛りの時期でした。
空が青い日は色濃いサクラもとくに美しく感じますね。

この後、熊野若王子神社さんの「桜花苑」を訪れました。

熊野若王子神社 桜花苑 ヨウコウ(陽光)とメジロ 2014年4月1日

熊野若王子神社 桜花苑から陽光と夕日を 京都東山 京都の桜

2014.04.05

その話は上の記事で。
桜花苑でヨウコウ(陽光桜)と夕日を眺め……、

京都の桜 西陣 水火天満宮 枝垂桜 2014年4月1日 夜桜観賞
さらに、同日の夜にも水火天満宮さんを再訪し、夜桜を楽しみました。

同じ日の昼と夜、同じような構図で撮影しています。
何年か前、ちょうど、満開の時期と満月の夜が重なることに気付き、夜桜と満月の構図を撮影するために寄らせていただいたことを思い出します。
その夜は私が訪れる直前に、京都の写真家として高名な水野先生も水火天満宮さんにいらっしゃったそうで、神社の方が「水野さんがいらっしゃった時には月が出ていなかったので、あなたはタイミングが良かった」と笑っていらっしゃいました。
もっとも、私は計算したうえで時間を合わせて訪れましたが……。

水火天満宮さんは「天満宮」を称していらっしゃるので、もちろん、菅原道真を祭神となさっています。
比叡山の僧、法性坊(尊意)と菅公ゆかりの登天石の話は諸誌に見えますが、この登天石の上で猫が寝ている姿を何度か見ました。
水火天満宮は悲田院の伽藍神(寺院の守護神)という、神社の東の大応寺の地が悲田院の旧址であるといった話が、明治時代に京都市参事会が編纂した『平安通志』に見えます。
堀川通の拡幅工事に伴い、1950年(昭和25年)に水火天満宮さんは堀川通の西側から東側に移転なさいました。
現在、大応寺さんは水火天満宮さんの北に所在しますが、『平安通志』で大応寺の地が「神社の東」となっているのはそのためです。
また、上京区天神北町や上天神町、下天神町といった住所地名が堀川通の西側にあるのも、その名残といえるでしょう。

京都の桜 白峯神宮 キザクラ(ウコン) 2014年4月7日 開花間近
日と話は変わって、上は昨日(4月7日)、撮影した写真です。

上の写真だけで何のつぼみか分かる方はいらっしゃらないと思いますが、これは白峯神宮さんが誇るキザクラ(ウコン)のつぼみです。
自身の目で確認していないため、断言はできませんが、今日、開花したものと見ています。

そろそろソメイヨシノも見納め、次は八重桜の類ですね。

2014年4月1日、7日

水火天満宮(OpenStreetMap日本)

クリック(タップ)で「水火天満宮」周辺の地図を表示
「水火天満宮」
京都府京都市上京区扇町 付近
「白峯神宮」
京都府京都市上京区飛鳥井町 付近

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ABOUTこの記事をかいた人

Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!