今日、2017年(平成29年)1月30日の京都は朝から雨が降ったり止んだりの空模様でしたが、午後には晴れに転じ、雨上がりの澄んだ青空が広がりました。
お昼頃から午後にかけて、京都の各所で山に架かる虹が観測されており、それならば私もとばかりに船岡山を軽くハイキング。
残念ながら、北東や東向きが開けた船岡山公園の広場(山頂北側の広場)に到着した15時過ぎには虹は跡形も無く失せていましたが、私は昔から「虹運」のようなものに恵まれていないので、今回も縁が無かったのだろうと諦めます。
南向きが開けた船岡山の山頂(三角点の広場)からは京都の街並みや生駒山が綺麗に見えていましたが、より遠くに所在する金剛山や和泉山脈は雲の中に隠れて見えません。
雨の後で地面はぬかるんでおり、どうも撮影意欲が湧かず、そのまま建勲神社さんを参拝します。
今日、船岡山を訪れた理由は他にもあり、山上に鎮座する建勲神社さんの眺めが良くなったと聞いて、そちらの確認も兼ねていました。

雨上がりの京都、建勲神社さんの参道から「都富士」比叡山と大文字山を望む。
このたび、1月半ばから進められていた高木の剪定作業が完了し、参道(東参道と北参道の合流点)から東向きの見晴らしが良くなりました。
いわゆる比叡山は「都富士」や「都の富士」とも称します。
京都の南側から比叡山を眺めると、四明岳と大比叡、双耳峰2座のピークが分かれて見え、富嶽らしい印象は受けません。
後世に多大な影響を与えた『伊勢物語』の「東下り」の段に、富士山について、「比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは鹽尻のやうにありなむける」と評する有名なくだりがあり、ここで比叡山を引き合いに出していることから、比叡山を「都の富士」と呼ぶようになったと考えられています。
したがって、「都の富士」はその山容から比叡山を富士山にたとえたものではありませんが、京都でも北西にあたる船岡山から比叡山を眺めたり、あるいは滋賀でも琵琶湖の東側から比叡山を眺めると、四明岳と大比叡が重なって見え、大きなひとつの山だと感じるのも確かです。
恋
題しらず
詠み人しらず
わが恋の顕はに見ゆる物ならば都のふじといはれなましを『拾遺和歌集』
平安時代中期に成立した『拾遺和歌集』には「我が恋のあらわに見ゆるものならば都の富士といわれなましを」の恋歌が収載されており、これが「都の富士」の初出でしょうか。
これは比叡山を詠んだ歌ではなく、激しく燃える恋の歌だけに、富士山のイメージを詠んだと見る解釈が古くから根強いですが、いずれにせよ、後世には「都の富士」は比叡山を指すようになりました。

建勲神社さんの境内。『刀剣乱舞』宗三左文字さんのパネル展示。
建勲神社さんの境内に女性が多くいらっしゃるなと思ったら、2017年(平成29年)1月17日より「『京都刀剣御朱印めぐり』第4弾」が開催中でした。
当日の記事では触れなかったですが、昨年、2016年(平成28年)4月に桜の写真を撮影に当地を訪れた時も、やはり境内に若い女性が多くいらっしゃったことを覚えています。
せっかくですので、建勲神社さんにお立ち寄りの際は、明るく開けた参道からの眺望や、少しばかり足を延ばして船岡山の山上からの展望もお楽しみください。
建勲神社(OpenStreetMap日本)
「建勲神社(タケイサオジンジャ、ケンクンジンジャ)(たけいさおじんじゃ、けんくんじんじゃ)」京都府京都市北区紫野北舟岡町 付近
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