京都の白川(現在の京都市左京区北白川)から近江の志賀へ通じる峠道(志賀越道)として、古くは「志賀峠」を越える山道が利用されました。
これは山中(志賀の山中)(現在の大津市山中町)から東の志賀峠を乗り越え、崇福寺や「志賀の大仏」を経て、穴生や唐崎、やがては坂本へ至る道のりで、山中を通ることから「山中越」とも称しました。
現代において、この志賀峠は比叡山ドライブウェイのコース下となってしまい、かつての峠としての姿は失われましたが、古道を好むハイカーに今も歩かれています。
目次
山中越と志賀の山越
「山中を通る」という意味での「山中越」は時代によって道のりが異なり、古くは「志賀の山越」と呼ばれる道が利用されていました。
「志賀の山越」は歌枕ともなっています。
しかの山こえに女のおほくあへりけるによみてつかはしける
つらゆき
あつさゆみはるの山辺をこえくれは道もさりあへす花そちりける
『古今和歌集』
紀貫之による「梓弓春の山辺を越えくれば道もさりあへず花ぞ散りける」の歌の詞書「志賀の山越に女の多く逢えりけるに詠みてつかわしける」に見える「志賀の山越」について、平安時代末期~鎌倉時代初期の顕昭による注釈書『古今集註』(顕昭古今集註)では、「如意越よりは北、今路越の南に志賀へ越える道がありと云えり」としています。
江戸時代前期、貞享3年(1686年)の『雍州府志』では「志賀の山越は山中越の南に在る」としており、古歌に詠まれる「志賀の山越」は山中越と異なる道のりで、山中越の南にあることが示されています。
したがって、いにしえの「志賀の山越」と、後世の「山中越」は別の道であり、明確に区別する必要があります。
この両者を混同している方がきわめて多く、なかなか説明に苦労します。
このあたりの話は過去の記事でも触れています。
江戸時代中期、享保19年(1733年)に大成した『近江國輿地志略』では、旧記によると、如意越は「志賀の山越」だとしています。
平安時代中期の源経頼による日記『経頼卿記』(左経記)などを参考に、「瓜生山は北白川の瀧の上なり。土人云、山中の東の端に石橋あり。それより東南へ行道、志賀の山越なり。南志賀へ出る順路なりと云えり」としたうえで、「如意越を志賀の山越とする事、不当にあらず」と結論付けています。
しかしながら、「山中の東の端から東南へ行き、南志賀へ出る道」は、如意ヶ岳(大文字山)を越える後世の如意越の道のりとは一致せず、どちらかといえば現代における山中越(下鴨大津線)に近いもので、なにかしらの混同が見られます。
『近江國輿地志略』では、顕昭による歌学書『袖中抄』を参考に、「北白川の瀧」(白川の滝)を如意輪堂(如意寺)の「楼門の滝」と同一視していますが、これは疑問が残るところでしょう。
しかしながら、こういった描写は、瓜生山を大文字山と同一視する、元禄3年(1690年)の『名所都鳥』といった、一部の地誌に通じるものがあります。
興福寺の塔頭である多聞院の僧らが書き継いだ古記録『多聞院日記』によると、宇佐山城の築城に伴い、戦国時代、永禄年間末期には宇佐山沿いに「新路」を整備しており、通行止めとした「今道」や「ワラ坂」の代わりとしています。
宇佐山沿いに峠を越えて山中を経て白川へ出る道のりとしていますので、『多聞院日記』に見える「新路」は現代における山中越に近いコースだと察せられます。
江戸時代中期、享保4年(1719年)の『京城勝覧』によると、江戸時代の中期には「志賀の山越」は「むかし道」と呼ばれており、それに対し、山中村から坂本へ行く道を「新道」や「今道峠」としています。
『多聞院日記』と『京城勝覧』では「新道」が指す道のりが明らかに異なりますが、その時代時代に応じて開かれた道や利用された道を「新道」とした、場合もあるようです。
すでに「むかし道」扱いされていた「志賀山越」は、江戸時代の京都絵図には表れにくいですが、
『校正山城國全圖』
https://www.library.pref.gifu.lg.jp/mapdata/15-14-1.htm
岐阜県図書館
江戸時代末期(幕末期)、慶応元年(1865年)の『校正山城國全圖』(校正山城国全図)には「山中峠越」の右(南)に、あるいは「如意越」の左(北)に「志賀山越」が描かれています。
「志賀山越」が「山中の東の端に石橋あり。それより東南へ行道、志賀の山越なり。南志賀へ出る順路なり」と考えられていたことは明らかです。
校正山城国全図では白川以南の大文字山(如意嶽)に「石フチ谷」「桃谷」と「ハチフセ」「大カタ」の地名も見え、これも興味深いところですね。
大文字山の北部に櫻谷(桜谷)の地名があることは存じていましたが、かつては桃もあったことが窺えます。
戦後になり、北白川から田ノ谷峠(田の谷峠)を経て南志賀へ至る「新たな山中越」(現代の山中越)が主要地方道(京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線)として整備され、結果的に「志賀の山越」が蘇ることになりました。
田ノ谷峠から延暦寺さんや四明岳まで上れる比叡山ドライブウェイも開業し、すっかり往時の面影は失ったものの、車で安全かつ早く往来できるようになったと言えるでしょう。
志賀峠を越える旧道(旧山中越)と異なり、山歩きを好むハイカーにとって、ほぼ全線が車道歩きとなる「現代の山中越」はハイキングの対象とはなりまぜんが、山中越の大津市側には見晴らしの良い展望台があること、それに、このコースは近江神宮さんや皇子山古墳へのアクセスと直結しているので、一度、こちらでも取り上げておきます。
なお、「山中越」「志賀越の道」「志賀の山越」「むかし道」「今道」「新道」に限らず、「白鳥越」(白取越とも)や「青山越」、あるいは「如意越」といった、京都から志賀や坂本、あるいは大津へと山を越える道のりは複数ありますが、これらは同じ呼称でも時代によりコースが変化していると考えられます。
史料によって記述も大きく異なることから、今となっては正確なコースを特定できません。
同じ呼称(とくに「新道」で顕著)だからといって、必ずしも同じ道のりを指しているとは限らない点に留意する必要があります。
また、歌枕としての「志賀の山越」は後世に至るまで好まれていました。
いにしえの道としては廃れ、新たな道に置き換わった後も、歌には広義の「志賀の山越」が残ったのでしょう。
羇中湖
旅人はけさからさきの舟とめていそぎやすらむ志賀の山越
『詠千首和歌』(宗良親王千首)
後醍醐天皇の皇子、中務卿宗良親王が詠じた歌。
「旅人は今朝からさきの舟とめて急ぎやすらむ志賀の山越」、「羇」は「たび」「たびびと」。
『古今和歌集』に収載される、阿保経覧の「いつからさきに」の歌や、伊勢の「沖からさきて」の歌のように、「今朝からさきの」は「唐崎」と掛かっているのでしょう。
「今朝から異(こと)に」に、地名の「唐琴」(現在の岡山県倉敷市、備前児島の唐琴ノ浦か)を詠み込む安倍清行の歌が知られます。
宗良親王の外祖父(母の父)は二条派の二条為世で、親王も幼い頃から歌に親しんでいましたが、南朝の皇子ということで、歌人としても複雑な立場に置かれました。
過去の記事でも取り上げていますが、宗良親王の時代を描いた軍記物語『太平記』では、坂本にいた官軍が北白川に陣取る際に「今道」を越えています。
また別の場面では足利方が「今道越」を利用していますが、『太平記』に「志賀の山越」は見えません。
山中越ハイキング
山中越 田の谷峠
山中越の田ノ谷峠(田の谷峠)。比叡山ドライブウェイ。京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線。
前置きが長くなりましたが、2016年6月に「山中越」の一部を歩きました。
ここでいう「山中越」は、現代における「山中越」で、古い史料に見える「山中越」とは異なる道のりです。
現代の「山中越」は、『顕昭古今集註』や『雍州府志』がいうところの「志賀の山越」に近いコースだと考えられます。
私にとっては京都市側から登る大文字山ハイキングの延長ですので、池ノ谷を経て比叡平の端から田ノ谷峠へ抜けました。
「山中越ハイク」と言いつつ、肝心要の山中町は通っておらず、せいぜい「田ノ谷峠ハイク」とでも呼ぶべきところですが、便宜上、「山中越ハイク」としておきます。
私が田ノ谷峠を訪れる少し前、5月22日に比叡平口のコンビニの東(田ノ谷峠の西)でツキノワグマ(熊)が目撃されたと聞き、その確認のために立ち寄ったのもあります。
写真では左が比叡山ドライブウェイの入り口(料金ゲート)ですが、徒歩では通行できません。
右の県道30号を宇佐山、南志賀、大津京方面へ下ります。
梅雨時としては珍しく、この日は大文字山から大阪の高層ビル群が見えており、田ノ谷峠の先から琵琶湖の対岸も見えやすいのではないかと期待します。
田ノ谷峠から御池岳や近江富士を遠望
山中越「田ノ谷峠」の展望。近江富士や鈴鹿最高峰の御池岳を遠望する。滋賀県大津市。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
三国岳 | 56.5km | 894m | 滋賀県犬上郡多賀町 三重県いなべ市 (岐阜県大垣市) | |
御池岳 (御池岳 丸山) | 55.0km | 1247m | 滋賀県東近江市 | 鈴鹿山脈最高峰 |
天狗岩 (藤原岳 天狗岩) | 57.3km | 1171m | 滋賀県東近江市 三重県いなべ市 | |
静ヶ岳 | 55.5km | 1088.5m | 滋賀県東近江市 (三重県いなべ市) | |
日本コバ | 46.7km | 934.2m | 滋賀県東近江市 | |
黒尾山最高点 | 49.0km | 971m | 滋賀県東近江市 | |
鏡山 (西の竜王山) | 22.5km | 384.5m | 滋賀県蒲生郡竜王町 滋賀県野洲市 | |
三上山 | 18.4km | 432m | 滋賀県野洲市 | 近江富士 |
田ノ谷峠から少しだけ山を下ったあたりが開けており、ガードレール沿いに琵琶湖や鈴鹿山脈などの景色を広く見渡せます。
標高が高いこともあり、山中越で最も視界が広いのは当地点ですが、次の「展望台」と異なり、車を駐停車して眺望を楽しむことはできないでしょう。
次の「展望台」まで下ってしまうと、「近江富士」三上山や御池岳が見えなくなることは把握しているので、ここで写真を撮影しておきます。
竜ヶ岳は日本コバの後方に重なっており、上の写真では山頂が分かりません。
天狗岩の右が藤原岳の本峰ですが、こちらは送電鉄塔と重なるので分かりにくいです。
静ヶ岳の左のピークは銚子岳です。
ミヤコツツジを探す 山中越の植物
山中越(比叡山地)。このお花はモチツツジでしょうか、あるいはミヤコツツジでしょうか。
比叡山はモチツツジとヤマツツジの自然交雑種であるミヤコツツジのタイプ産地らしく、それらしいお花を山中越周辺の山中でも見掛けますが、モチツツジとの区別は難しいです。
上の写真に写るお花も、モチツツジとしては明らかに萼が短く、お花も小ぶりで色も濃く、ミヤコツツジらしい特徴が出ていますが、花柄や萼は粘り気が強く、モチツツジのようにも感じました。
撮影地点は大津市側ですが、かつて、山中越の京都市側にはセリ科のホタルサイコも咲いていたらしく、それが京都府では唯一の産地だったそうです(現在は絶滅種)。
京阪バス「展望台前」停留所
京阪バス「展望台前」停留所。山中越(滋賀県道30号下鴨大津線)。
田ノ谷峠から山中越を下っていくと、「展望台前」バス停に着きます。
とくに説明もない、簡潔な「展望台前」という停留所名には驚きます。
このバス停の先に喫茶お食事処「馬ヶ背」さんと、お店に付随する数台分の駐車場があり、この「馬ヶ背」さんのテラスは見晴らしが良いです。
停留所名の「展望台」はテラス状に整地された展望所を指しているものと考えられますが、自動車関連でしょうか、どこかの会社さんの施設や駐車場がバス停の前にあり、「馬ヶ背」さんとは別に、このあたりも大津や湖南を見晴らせる好展望地となっています。
人に慣れた飼い猫さんを横目に、駐車場で景色を撮影していても、私は会社の方に何も言われなかったものの、車が出入りしますので、周りの状況には注意が必要です。
以下の風景写真はそちらから撮影しました。
展望台前(馬ヶ背)の展望・眺望
琵琶湖を望む
山中越の展望台前(馬ヶ背)から琵琶湖、鈴鹿中南部、阿星山、金勝アルプスを一望する。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
雨乞岳 | 49.6km | 1237.7m | 滋賀県東近江市 滋賀県甲賀市 | |
仙ヶ岳 | 51.4km | 961m | 三重県亀山市 三重県鈴鹿市 滋賀県甲賀市 | |
阿星山 | 21.4km | 693.0m | 滋賀県湖南市 滋賀県栗東市 | |
竜王山 | 18.3km | 604.6m | 滋賀県栗東市 | 金勝アルプス |
四百山 | 22.0km | 568m | 滋賀県甲賀市 滋賀県大津市 | 大鳥居の南 |
太神山 | 18.3km | 599.6m | 滋賀県大津市 |
この日は強い風が吹いており、6月とは思えないほど空気が澄み、青い空に琵琶湖が映えていました。
写真を見ても、恐ろしくシャープかつ鮮やかで、緑が濃くなければ冬場に撮影したと申し上げても信じてもらえそうです。
ただ、この「強い風が吹いていた」のが曲者で、山中越では気にならなかったものの、後々、私を苦しめることに……。
右下には大津港や浜大津が小さく写っていますが、この後、私は山中越から急ぎ近江神宮ランプ・南志賀ランプ方面へ下り、近江神宮さんを参拝し、近くの皇子山古墳を登った後、さらに大津京から浜大津まで歩きました。
琵琶湖畔まで下ってみると、初夏とは思えないほど湖面が激しく波打っており、日没時には暴風に煽られて凍えそうになります。
まさか6月の平地で防寒具が必要になるとは考えてもおらず、長袖とはいえ薄いシャツ1枚で寒気に耐えながら、冬場さながらに下位蜃気楼を起こして浮き上がる琵琶湖大橋や、時化た湖上を進む汽船などを撮影しました。
滋賀県にお住まいの方々も、6月にこれほど大きく荒れた琵琶湖を見たのは初めてかもしれないと口ぐちにおっしゃっていましたので、やはり相当珍しい出来事だったのではないでしょうか。
雨乞岳や綿向山を遠望
山中越の展望台前から鈴鹿山脈の雨乞岳やイブネ、綿向山を遠望する。滋賀県大津市。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 |
---|---|---|---|
大峠ノ頭 (深谷山) | 49.5km | 1087m | 滋賀県東近江市 |
イブネ | 50.0km | 1160m | 滋賀県東近江市 |
綿向山 | 45.7km | 1110m | 滋賀県甲賀市 滋賀県蒲生郡日野町 |
鎌ヶ岳 | 53.1km | 1161m | 三重県三重郡菰野町 滋賀県甲賀市 |
宮越山 (水沢岳) | 52.7km | 1029.3m | 三重県四日市市 滋賀県甲賀市 |
鈴鹿中核部でも滋賀県側の山々を遠望できました。
お約束ですが、雨乞岳に遮られるため、比叡山や大文字山の周辺から御在所岳(御在所山)は見えません。
鎌ヶ岳の手前に見えているのは十二坊(岩根山)で、その左手前には「甲西富士」菩提寺山が重なっていますが、場所が分かりにくいです。
視点を左に移すと、宇佐山の送信施設が見えます。
宇佐山と霊仙山を望む
宇佐山の大津テレビ送信所と霊仙山を山中越の展望台前(馬ヶ背)から望む。
宇佐山の大津テレビ送信所・中継局(大津局宇佐山送信所)が眼前で目立ちます。
山中越(滋賀県道30号下鴨大津線)は宇佐山を巻くように琵琶湖西縦貫道路(国道161号西大津バイパス)や近江神宮さん方面へ下るので、宇佐山の山頂(標高335m)は通りません。
宇佐山の左手、山の合い間に遠く霊仙山の姿が見えることに気付きました。
6月に大津側から霊仙山まで見通せるのは珍しいでしょうか。
霊仙山や鶴翼山(八幡山)を遠望
山中越の展望台前から鈴鹿山脈の霊仙山や近江八幡の鶴翼山を遠望する。滋賀県大津市。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
男鬼山 | 51.8km | 683m | 滋賀県彦根市 | |
阿弥陀岳 (阿弥陀ヶ峰) (仏返山) | 57.5km | 876m | 滋賀県米原市 | |
霊仙山 | 56.3km | 1094m | 滋賀県犬上郡多賀町 | |
ソノド (霧ヶ峰) | 58.3km | 925.8m | 岐阜県大垣市 | |
鍋尻山 | 52.8km | 838.2m | 滋賀県犬上郡多賀町 | |
鶴翼山 (八幡山) | 25.3km | 271.7m | 滋賀県近江八幡市 | 最高点は約280m |
霊仙山の手前には近江八幡の鶴翼山(八幡山)も見えていますが、伊吹山などは展望台前から見えません。
個人的に好きな霊仙山と鶴翼山をピンポイントに縦並びで見通せて感動しますが、近くを通った方に「あそこに霊仙山が見えてますよ、ほらほら!」なんて申し上げても話が通じないのは分かり切っていますので、黙って撮影を続けました。
ただ、この時の私はよほど嬉しかったようで、わざわざインターネット上にリアルタイムでメモ書きを残しています。
喫茶「馬ヶ背」
喫茶お食事処「馬ヶ背」。山中越(滋賀県道30号下鴨大津線)の「展望台前」バス停付近。
こちらが「馬ヶ背」さんです。
鉄扉の向こうが展望台となっていますが、残念ながら、私が到着した時には閉店の準備をなさっていました(営業時間は16時30分頃まで?)。
隣にはおそば屋さん(そば処幸山 月見台店)もありますが、営業なさってないように見受けられます。
(「そば処 幸山」さんは比叡平が創業の地で、この山中越の支店が2号店。現在は関ケ原に本社を移し、店舗も関ケ原に集約なさったとのこと)
「馬ヶ背」(馬ケ背)は当地周辺の古い地名やコース名に見られますので、おそらくそちらから頂いたお名前だと推測していますが、機会があれば、そのあたりのお話も伺いたいものです。
たとえば、寛延2年(1749年)の『皇州緒餘撰部 山城國舊地圖』(山城国旧地図)では、「志賀山越」の先、山城国と近江国の国境付近に「馬背山」が描かれています。
馬背山はどうやら「マセヤマ」と読んだらしい。
また別の地図ですが、元禄国絵図の「山城国図」(元禄山城国絵図)には国境付近に「四ツ佛」なる地名が描かれており、「近江国図」(元禄近江国絵図)では「四つ佛」の表記です。
なぜ当地に四仏の地名が生じたのでしょうね。
白川側から比叡山を登山するコースとして、今でも利用されている不動谷を詰めて無動寺谷(南山)へ至るコースのみならず、山中から一本杉を経て登るコース(いわゆる「比叡アルプス」とは異なります)や、志賀峠から青山や一本杉を経て登るコースも昔は利用されており、いずれも古い地形図では破線路として描かれています。
最後のコースが現在の比叡山ドライブウェイの前身にあたり、その供用に伴い登山道としては失われました。
長くなってきたので記事を分けます。
続きは上の記事に。
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山中越 展望台前(馬ヶ背)(地理院 標準地図)
「展望台前(テンボウダイマエ)(てんぼうだいまえ)」標高約320m
滋賀県大津市
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