速報性を優先する都合で記事とする順番が後先していますが、2015年(平成27年)3月下旬、朝から車折神社さんを参拝した日の話。
車折神社さんを後にし、「嵐山虚空蔵」法輪寺さんへ。
私はこのお寺さんの境内に咲くカンザクラ(寒桜)を昔から好んでおり、この時期になると見物がてらに参詣しています。
また、今年は未年ということもあり、貴重な「ひつじの山」としても登っておかねばなりません。
目次
京都市西京区 「嵐山虚空蔵」法輪寺
カンザクラ(寒桜)と駒虎
「嵐山虚空蔵」法輪寺さんのカンザクラ(寒桜)と駒虎。
虚空蔵菩薩さんは丑年、寅年の守護本尊ということで、境内には駒牛、駒虎がいらっしゃいます。
この早咲きのサクラはカンヒザクラ系カンザクラの一種で、ピンクが差して殊のほか美しく。
ちょうど満開の桜と青い空にトラさんも嬉しそうです。
未年の羊
こちらではヒツジさんを虚空蔵菩薩さんの「使い」としていらっしゃり、境内には羊の像があります。
京都では珍しいヒツジさんということもあり、未年の干支のお参りに訪れる方も少なくありません。
上の写真で後方に見えているのが法輪寺さんの舞台(展望台)です。
法輪寺さんは(山としての)嵐山の東の中腹に所在しており、境内の舞台からは、桂川の向こう、そして、京都の街並みの向こうに比叡醍醐山地、京都東山の山々などの連なりを眺めることができます。
標高としてはせいぜい50~60m程度ながら、どなたでも容易に登る、訪れることができる点で貴重と言えるでしょう。
ちょうど、「十三まいり」の時期と重なるため、境内には多くの方々がいらっしゃいましたが、開けた舞台の上は空いていました。
春としては澄んだ青空の下、眼下に広がる景色を楽しみます。
舞台から京都を一望
法輪寺さんの展望台から京都、比叡醍醐山地、京都東山、京都タワーなどを一望する。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 | 備考 |
---|---|---|---|---|
水井山 (阿弥陀ヶ峯) | 17.4km | 793.9m | 京都府京都市左京区 滋賀県大津市 | |
横高山 (釈迦ヶ岳) | 16.9km | 767m | 京都府京都市左京区 滋賀県大津市 | |
四明岳 (比叡山) | 15.1km | 838m | 京都府京都市左京区 | 都富士 |
大文字山 | 12.3km | 465.3m | 京都府京都市左京区 | |
音羽山 | 16.4km | 593.1m | 京都府京都市山科区 (滋賀県大津市) | |
西千頭岳 (千頭岳三角点峰) | 17.5km | 601.8m | 京都府京都市伏見区 |
京都タワーは西千頭岳の手前ですが、広角で撮影した写真では場所が分かりにくいです。
音羽山の手前には清水山など東山の連なり。
舞台から「鳥居形」や愛宕山、高雄山を望む
法輪寺さんの展望台から嵐山渡月橋、愛宕山、高雄山、五山送り火「鳥居形」の字跡を望む。
主な山 | 距離 | 標高 | 山頂所在地 |
---|---|---|---|
愛宕山 | 924m | 6.8km | 京都府京都市右京区 |
朝日峯 | 688.1m | 8.8km | |
峰山 | 537.4m | 6.7km | |
長尾山 | 295.9m | 3.4m |
嵯峨鳥居本の曼荼羅山(仙翁寺山)、いわゆる「鳥居形」、嵯峨野、「嵐山・高雄パークウエイ」周辺の山、その向こうには愛宕山、高雄山といった山々が見えています。
とくに示していませんが、渡月橋は右手前、高雄山は朝日峯の前です。
嵯峨の長尾山?
菖蒲谷池の東に所在する、ハイカーの間で「長尾山」と呼ばれる三等三角点295.9m峰(点名「嵯峨」)は、付近の京見峠(山神峠)にちなんだものか、過去には「京見山」とも呼ばれていたようです [1]。
北嵯峨の地に建つ「菖蒲谷池碑」では、人工の溜池である菖蒲谷池から細谷川まで水を送る水路、俗に「角倉隧道」 [2]と呼ばれるトンネルが通る山を「長尾山」としており、これにしたがうと、菖蒲谷池付近の山を広く「長尾山」と呼ぶのは適切だと考えられます。
その一方で、江戸時代前期頃に成立したと考えられる南朝史『南朝紀傳』(南朝紀伝)、あるいは『南方紀傳』(南方紀伝)の冒頭には、「弾正尹前亜相(大納言)師賢卿(花山院師賢)が遁世し、北長尾山の庄に引き籠った」と見え、それを受けた正徳元年(1711年)の『山城名勝志』では、この話に見える「長尾」の地は鳴瀧(鳴滝)のことだと補足しています。
鳴滝(地名の由来となった滝を中心とした地域)に近接する、福王子のすぐ南方に右京区宇多野長尾町の地名が残されており、この話を裏付けています。
師賢が隠棲した北長尾=鳴滝の北の地から、現在、長尾山と呼ばれている山や、あるいは「角倉隧道」が通る山とはやや離れており、このあたりは混同が見られます。
嵐電さん(京福電鉄)の「桜のトンネル」で鳴滝や宇多野の名をご存じの方もいらっしゃるでしょう。
「長尾山」の件について追記。
安政元年(1854年)の『聖蹟圖志』(聖蹟図志)に、「五智山 蓮華峰寺」の北西、鳴滝川(御室川)源流の西の山に「古名 仁和寺長尾 今音頭山ト云 平岡村領」と見えます。
ここでは現在の「音戸山(音頭山)」の旧称を「仁和寺長尾(山)」としています(右京区鳴滝音戸山町)。
また、宝暦4年(1754年)の『山城名跡巡行志』では、村上天皇陵の山を御廟山とし、「古記に仁和寺の長尾にある云々」「長尾は鳴瀧の古名なり」としています。
谷森善臣による『山陵考』の村上天皇陵を確認してみると、「山城國葛野郡田邑郷、北長尾の村上といふ地にありけむを、今はその村上といふ地名は亡せ、長尾といふ名は福王子村に形ばかり存りたれど、(後略)」と見え、谷森が調査した江戸時代後期~幕末には「長尾という名は福王子村に形ばかり存(のこ)る」状態であったことが窺えます。
1903年(明治36年)の「点の記」では、三角点「嵯峨」を設置した山について、「俗稱 朝原山」としており、「長尾山」の地名は見えません。
三角点「嵯峨」は、右京区北嵯峨朝原山町と右京区梅ケ畑菖蒲谷、梅ケ畑奥殿町、梅ケ畑篝町の境付近に所在します。
これらから察するに、「長尾」は鳴滝のあたりを指しており、「長尾山」は点名「嵯峨」の山ではないような印象も受けますね。
あるいは、「菖蒲谷池碑」で「長尾山」としている山と、鳴滝の「長尾山」は別の地を指すのでしょうか。
「長尾」の呼称じたいはありふれたものですので、何ヶ所あっても不思議ではなく、鳴滝側と北嵯峨側における呼び名が異なっていた可能性もあります。
貞享3年(1686年)の『雍州府志』では「長尾越」を紹介していますが、梅ヶ畑から北嵯峨へ通じる「長尾越」の道は複数あったようで、そのあたりも影響している可能性がありそうです。
近年、再注目される『新蔵人物語絵巻』の終盤で、「新蔵人」三君が梅ヶ畑の尼寺を訪れますが、室町時代頃の周山街道や長尾越はどのような姿だったのでしょうね。
「長尾山」の呼称については、いずれ機会を設けて個別の記事にできれば。
追記終わり。
長坂越の京見峠は上の記事が詳しい。
長尾越の京見峠(古くは山神峠と呼ばれた嵯峨の京見峠)の呼称を、昭和30年頃に長坂越の峠に移し、新たに京見峠と命名したといった説が、近年、ネット上で広まっていますが、これは誤りです。
舞台から桂川や比叡山、大文字山を望む
「嵐山虚空蔵」法輪寺さんの展望台から比叡山、大文字山を望む。
高度感はありませんが、比叡山と大文字山を一望できる好展望地と言えるでしょう。
写真の手前は桂川の堤防で、比叡山との間に見える丘陵は雙ヶ岡(双ヶ丘)です。
「十三まいり」と多宝塔
「十三まいり」でにぎわう法輪寺さんの境内。多宝塔、サクラ、ウメなど。
右のほうにカンザクラ、左のほうにウメ(梅)、その後方に多宝塔が見えます。
展望台から振り返ると、先ほどよりも「十三まいり」の参詣者さんらで境内は混雑していました。
これ以上の長居は無用、次の用事も控えており、ヒツジさんやトラさんにお別れの挨拶をし、お寺さんを下ります。
渡月橋から嵐山公園臨川寺地区にかけては多くの観光客さんらで溢れかえっており、さすがに気分がすぐれません。
この時期に訪れたい山(お寺さん)ですが、この時期を避けたい山でもあります。
以上、2015年3月の話。
追記しておきますと、この年の年末にも法輪寺さんを参詣しました。
その日も空気が澄んでおり、遠くの山並みや京都タワーが綺麗に見えていました。
上の記事に写真を掲載していますので、展望に興味がある方はどうぞ。
法輪寺(地理院 標準地図)
「法輪寺(嵐山虚空蔵)」
京都府京都市西京区嵐山虚空蔵山町・嵐山中尾下町 付近
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