滋賀県 ハッチョウトンボとモウセンゴケ 未の刻のヒツジグサ

梅雨時の晴れ間、トンボさんの様子を見るため、この日は滋賀県の山へ。

ハイイヌツゲ、ネジキ林のハッチョウトンボ 滋賀県 2014年7月
日本で最小のトンボであるハッチョウトンボ。2014年7月。

珍しく、湿原そのものではなく、遷移したハイイヌツゲ、ネジキ群落の梢にハッチョウトンボが留まっていました(湿生低木林)。
やや分かりにくですが、写真中央の赤いのがハッチョウトンボです。

細い枝先に留まる小さな小さなハッチョウトンボの姿を見て、一時期、小さな湿生花と併せて撮影するのを楽しみとしていたことを思い出します。
モウセンゴケ、イシモチソウ、ミミカキグサ、ミカヅキグサなどなど。
しかしながら、ヒツジグサと併せて撮影する機会はついぞ訪れることなく。

これを機会に、過去、私が撮影したハッチョウトンボの写真をこちらに掲載しておきます。
過去とは申し上げても、整理の都合で近年の分のみです。撮影時期は2011年から2013年。

モウセンゴケの花柄に留まるハッチョウトンボ 滋賀県 2011年7月
モウセンゴケの花柄に留まるハッチョウトンボ。湖北にて。2011年7月撮影。
赤い雄ですが、成熟しておらず、よく見ると、やや黄色味を残しています。

モウセンゴケの白い花に留まるハッチョウトンボ 滋賀県 2011年7月
モウセンゴケの白いお花に留まるハッチョウトンボ。2011年7月撮影。
1週間後に同じ場所を再訪して撮影しました。真っ赤な雄と真っ白なお花。

湿原のモウセンゴケ(毛氈苔)とハッチョウトンボ 滋賀県 2011年7月
湿原のモウセンゴケ(毛氈苔)とハッチョウトンボ。2011年7月撮影。

イシモチソウ(石持草)の花とハッチョウトンボ 未成熟な雄 滋賀県 2013年6月
羽化直後で未成熟なハッチョウトンボの雄。湖南にて。2013年6月撮影。
ハッチョウトンボにピントを合わせているため、やや分かりにくいですが、右奥に写っている白いお花はイシモチソウ(石持草)です。

ハッチョウトンボの雌と1円玉(一円硬貨)の大きさを比較 滋賀県 2012年7月
ハッチョウトンボの雌。2012年7月撮影。
お約束とも言うべき1円玉(一円硬貨)との大きさ比較。

ハッチョウトンボの雄と1円玉(一円硬貨)の大きさを比較 滋賀県 2012年7月
同じくハッチョウトンボの雄と1円玉(一円硬貨)の構図。2012年7月撮影。
ハッチョウトンボは日本最小のトンボですが、世界的に見ても最小の部類です。

以下はもののついでに……。
2011年(平成23年)7月に撮影したヒツジグサ(スイレンの野生種)の写真を。

全開するヒツジグサの花 14時頃(未の刻) 滋賀県 2011年7月
14時頃(未の刻)に撮影したヒツジグサのお花。全開。湖北にて。

昔はありふれた植物でしたが、年々、数を減らしており、滋賀県では準絶滅危惧種の指定を受けています。

追記しておきますと、本記事の初稿公開時は、私が暮らす京都府でも準絶滅危惧種の扱いでしたが、その後、2015年版の京都府レッドデータブックで絶滅危惧種の指定を受けました。
従来の産地で見られなくなった要因として、「従来の池沼の埋め立てや水質悪化に加えて、ミシシッピアカミミガメなどによる食害も関係していることがあると思われる」としています。
アカミミガメは幼体を俗にミドリガメと呼ぶ外来種ですね(→2023年6月に国の条件付特定外来生物に指定され、輸入、販売、放出が法律により規制されます)。

閉じゆくヒツジグサの花 16時頃(申の刻) 滋賀県 2011年7月
16時頃(申の刻)に撮影。同じ個体ですが、すでにお花を閉じそうですね。

写真で伝わるか分かりませんが、とても小さなお花。
ヒツジグサは日本に自生する睡蓮で、観賞用に輸入された園芸品種の睡蓮とは異なります。

自生するヒツジグサ(未草) 滋賀県 2011年7月
未の時刻(13時~15時)に咲くことがヒツジグサ(未草)の由来とされますが、観察するかぎり、実際には午前中に花開き、夕方に花閉じることが多いようです。
ただ、たしかに、14時頃がもっとも映える時間帯かなとは感じます。
暑い時期の暑い時間帯に見頃を迎える湿地のお花、小さいながらも美しく。

不定時法 であれば、夏至を過ぎたばかりの今の時期、未の刻はやや遅く、やや長くなります。
したがって、(不定時法の)未の刻 あたりにお花を閉じ始めるのがヒツジグサの由来かもしれません。
漢名由来の別称を、文政7年(1824年)の『花暦百詠』によると「午時蓮」や、あるいは文政11年(1828年)の『本草図譜』によると「子午蓮」ともいいますので、中国では正午頃が花の盛りと考えられていたのでしょう。
1930年(昭和5年)の『花鳥寫眞圖鑑 第二輯』(花鳥写真図鑑)によると、「ひつじぐさの名は、元京都の方言であつたとのことであるが、今は一般に用ゐられる和名となつて居る」と見え、ヒツジグサの称は京都発祥なのだとか。
花鳥写真図鑑に掲載される写真は、京都出身の写真家、岡本東洋が撮影したもので、奥付では岡本を著者としていますが、植物の解説は牧野富太郎博士によるものです。
この解説文は1935年(昭和10年)の『牧野植物學全集 第二巻 植物随筆集』(牧野植物学全集)に再録されました。

水草類
睡蓮(ヒツシクサ) ヒツシクサハ京都ノ方言ナリ此花ヒツシノ時ヨリツホム

『大和本草 巻之八』

江戸時代前期~中期の貝原益軒が編纂した『大倭本艸』(大和本草)に「ヒツジグサは京都の方言なり」「この花ひつじの時よりつぼむ」と見えます。
貝原益軒は福岡藩士ですが、約7年ほど藩費で京都に留学(遊学)していた時期があり、その後も京都旅行を何度も繰り返していますので、「京都の方言」にも詳しかったようです。
安永4年(1775年)の方言辞典『物類稱呼諸國方言』(物類称呼)にも「睡蓮といふ京都にひつじぐさと云是なり未ノ剋よりつぼむゆへに名とす」と見えますが、これは『大和本草』を引いた可能性が高いでしょう。
睡蓮に限らず、『物類称呼』は過去の書物から方言を載せた記事を抜粋したと思わしき描写が見受けられます。

近路行者(都賀庭鐘)による天明6年(1786年)の読本『古今竒談續編 莠句冊』(古今奇談続編 莠句冊)、「莠句冊」で「ひつじぐさ」と読みますが、当時の本にはこういった「当て字」的な表題が多く見られます。
これは「ひつじぐさ」という言葉が世間で知られていたから成り立つ当て字でしょう。
都賀庭鐘は大坂出身の作家・儒医で、名医として知られた京都の香川修徳に師事しました。
『孟子』盡心下(尽心下)に、孔子曰として「惡似而非者 惡莠 恐其亂苗也」とあり、孔子のいわんとするところとは微妙にニュアンスが異なるものの、後世における「似て非なるもの」の由来となりました。
(外見上は似ていてまぎらわしく、)「莠」は穀物の苗を乱すおそれがあるのでにくむ、といった話で、「佞(へつらい)」も義を乱すおそれがあるのでにくむ、といった話に繋げています。
後漢代の字典『説文解字』艸部に「莠」の漢字は「禾粟下生莠」とあり、稲田・粟畑に生える狗尾草(エノコログサ)などの雑草を指すようになりましたが、『孟子』からも伝わるように、この漢字にヒツジグサの意味はありません。

追記。

ハッチョウトンボ 赤く成熟した雄 山上の湿地 滋賀県 2015年5月

滋賀 ハッチョウトンボも今年は早く トウカイコモウセンゴケ

2015.06.12

2015年に別の山で撮影したハッチョウトンボの写真は上の記事に掲載しています。

2014年7月
滋賀県

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Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!