2013年(平成25年)1月11日の話。
今日はAさんと大文字山や如意ヶ岳(如意ヶ嶽)の周辺山域をハイキング。
大文字山でもやや深いと言えるであろう北寄りの山域、中尾山から中尾滝の上~子熊山~熊山にかけて歩き、大文字山の山頂(三角点)を経て、その後、如意寺子院である深禅院跡推定地の見回りを行いました。
やや深い山域ではありますが、いわゆる御領山(白川御領山)と比較すると、まだ浅い山域と言えます。
大文字山の支峰とも言える子熊山の山頂にて。京都市左京区。
「子熊山」は大文字山山頂の北0.88kmに所在する標高点328m峰を指しています(北白川新田の西)。
その呼称は昭和のハイキングブーム時に用いられていましたが、近年ではそのことを知る人もきわめて少なくなっていました。
それを知識として受け継いだ私は、かたくなに子熊山(こぐま山、小熊山)と呼び続け、某SNSなどで紹介していたものの、たとえ、大文字山の常連さんと言えるようなベテランの方々であっても、それがどちらの山を指しているか、その山名を聞いただけで分かる方は極端に減っていました。
ところが、近年になり、どなたかが山頂の樹に山名を示す札を付けたこともあり、再び、「子熊山」の呼称が用いられるようになり、その名も広まってきたようです。
自身で撮影した写真を確認するかぎり、2009年(平成21年)頃までは山頂に赤と白の測量杭がありましたが、いつの間にやら失われてしまいました。
加えて、「熊山」なる呼称(や、他の細々とした地名や山名)も用いられるようになりましたが、私が知るかぎり、これは古くから存在した呼称ではありません。
ある方が勝手に命名されたようです。
…実は、大文字山には子熊山だけではなく、かつては「猫山」と呼ばれた山もありますが、さすがにこのことをご存じの方は、もう私以外にはいらっしゃらないでしょう。
いちおう補足しておきますと、私の父は浄土寺出身で、子どもの頃は大文字山を「秘密基地」として遊んでいたそうです。
私自身も幼少期より大文字山を登り続けていますが、幻の「如意ヶ嶽アルプス」などは記憶にありません(それを示す写真はありますが、私が撮影したものではありません)。
私が記憶しているのは、私が子どもの頃は、大文字山にお馬さんがいたことくらいです。
以下は、また別の場所の話。
雨社の南寄りの地点ですが、詳細は省きます。
如意寺子院、深禅院跡推定地の五輪塔。
大文字山、如意ヶ岳の山中に眠る如意寺の子院跡のうち、深禅院の推定地にお参りしました。
私とAさんは2012年(平成24年)1月22日にも見回りでこちらを訪れています。
上の写真に写る五輪塔は、2008年(平成20年)頃、倒れて地面に埋まった状態にあったものを私が掘り起こし、付近と併せて掃除し、そのあたりに置いておいたものです。
そういったいきさつもあって、その後、定期的に見回りを続け、毎年、同じ時期(おおむね1月頃)に、記録として写真を撮影しています。
その当時、如意寺の各子院の比定地(とされる地点)を探索することを個人的な趣味としていました。
近年になり、この五輪塔が立てかけられていることに気付いた方もいらっしゃるようです。
深禅院跡推定地はやや分かりにくい場所に所在するため、私以外の誰かが五輪塔を発見して、どこで話の種として取り上げてくださるか、それがいつ日となるか、個人的に楽しみな部分はありました。
私なりの、ちょっとしたいたずら心のようなものです。
深禅院跡推定地で見ることができる様々な遺物(表採)。
『三井續燈記』(三井続灯記)には、如意寺内西方院の寺領として、西方院本堂、赤龍社(雨社の前身と考えられています)、閼伽井屋、浴堂などと並んで「深禅院如法堂」の名前が見えます。
これにしたがえば、深禅院は如意寺の独立した子院ではなく、如意寺の子院である西方院の内として扱われていたと考えられます。
長く様子を見ていますが、私以外、このことを指摘する方がなかなか現れません。
深禅院跡推定地のチャノキ(茶の木)。
この地にチャノキがあることには意味があるそうですよ。
追記
その後も定期的に見回りを続け、当サイトでも記録として残していますが、2016年1月~に深禅院跡の状況が少し変化しました。
その話は上の記事に。
さらに追記。
今まで、如意寺子院の大慈院跡推定地とされてきた地点の周辺(大文字山の山頂から見て南0.3kmほどの地点に所在する平坦地や谷間周辺)が、どうも、いにしえ幻の寺院扱いを受けてきた「檜尾古寺(ひのお)」の跡ではないかという話になっているようです。
随分昔の話ですが、当地にIさんを案内したことが懐かしく思い出されます。
その頃は草木をかき分けて訪れましたが、近年は伐採や食害の影響で藪が薄れており、周辺の調査が進んだとか……。
素晴らしい話ですね。現地で調査にあたられた方々に敬意を表します。
ついでに申し上げれば、「~尾」が示す地名、これは本峰に対して尾根先を示すケースが多いですが、この「~尾」を「ノオ」「ノー(ノ)」と発音するケースについて個人的に研究・調査しています。
海南市と和歌山市を分ける「船尾山(ふのおやま)」や、あるいは愛宕山の南南西麓にあたる嵯峨の「水尾(みのお)」など、近年では失われつつある読み(読めない地名)となっていることを惜しく思います。
船尾は今でも「ふのお」と読みますが、水尾は「みずお」と読まれます。
宇治田原町に所在する大峰山・荒木山の西中腹には隠れ里的な「高尾(こうの・こおの)」の集落がありますが、高尾の集落から見て、宇治川の対岸、天ヶ瀬ダム(鳳凰湖)の裏山にあたる高尾山(たかお山)は、この地名と関係があるのかないのか?
子熊山(地理院 標準地図)
「中尾山(ナカオヤマ)(なかおやま)」標高280m
「子熊山(コグマヤマ)(こぐまやま)」
標高328m
京都府京都市左京区
「大文字山(ダイモンジヤマ)(だいもんじやま)」
標高465.4m(→465.3m)(三等三角点「鹿ケ谷」)
京都市左京区(山体は山科区に跨る)
「如意ヶ岳(ニョイガタケ)(にょいがたけ)」
標高472m
京都市左京区(山体は滋賀県大津市に跨る)
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