琴滝イルミネーション 冬ほたる2012 京都府船井郡京丹波町

2012年(平成24年)12月の話。
この日は「冬ほたる」を称するイルミネーションイベントを楽しむため、京都府船井郡京丹波町市森の琴滝へ。
琴滝を訪れるのは2年ぶりとなります。

NPO法人 丹波みらい研究会 – 冬ほたる2012
http://mirai.himl.net/contents/20.html (リンク切れ)

冬ほたる 琴滝 イルミネーションとライトアップ 京丹波町 2012年
冬ほたる。琴滝のイルミネーションとライトアップ。
約43mの落差を誇る琴滝、「京都の自然200選」にも選定されており、(多段ではない滝としては)京都府下でも最大級のものです。

開催地である琴滝は船井郡京丹波町でも南丹市園部町との郡市境に近く、美女山という素敵な名前の山から見て京都縦貫自動車道を跨いだ南側に所在します。
京都の山に詳しい方でも、どちらかといえばマイナであろう美女山を登った方は少ないのではないでしょうか。
美女山は二等三角点482.2m峰で、三角点の点名も「美女山」。
京都府立須知農林学校(現在の府立須知高等学校)の調査によると、西麓の須知では「美女山が雲の鉢巻をすると、雨近し」との言い伝えがあったそうです。

道中、園部町のあたりでは激しく吹雪いていましたが、京丹波町に到着する頃にはおおむね止んでいました。
琴滝は標高250m程度、山間部に所在することもあり、日没後の体感気温は低めでしたが、雪はちらほら舞ったり止んだり程度。
あまりに雪が激しく降っているようでしたら、とても撮影どころではないと考えていたので、これには助かりました。

冬ほたる2012 味夢くんとまゆまろくん 京都府船井郡京丹波町
味夢くん(京丹波町のゆるキャラ)、まゆまろくん(京都府のゆるキャラ)がお出迎え。
「味夢くんは京丹波の特産物を全身で表して、食をPRしています」だそうで、頭部が黒大豆、身体は栗でできており、頭にはマツタケや紫ずきん(枝豆)、みず菜などを飾っています。

冬ほたる2012 ベルカノン(ハンドベル演奏)
この日は和太鼓、ハンドベル、オカリナのライブも行われていました。
こちらはハンドベルの演奏。

冬ほたる2010 琴滝のイルミネーションとライトアップ 京丹波町
「琴滝」、琴の弦に見立てています。
上の写真のみ、2010年(平成22年)12月に撮影したもので、当初は他所で公開していましたが、こちらに再掲しておきます。

琴滝は京都府レッドリスト(レッドデータブック)では「要継続保護指定地形」の指定を受けています。

琴滝|京都府レッドデータブック2015

京都縦貫自動車道丹波ICから南東に入った山間に落差約43mの琴滝がある。その規模は府内で最大級である。
滝は一枚の大きなチャートを流れ落ち、その流水が琴糸に似ていることから、当時の領主松平紀伊守(寛延年間)が命名したと言われている。季節によって流れ落ちる水量に変化はあるが、訪れる人々を楽しませてくれる。滝壺の周りは環境整備が行われている。
(後略)

https://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/sur0069.html

「京都の自然200選」記事から引いたと思わしき、「当時の領主松平紀伊守(寛延年間)」が雑な印象。
このエピソードが歴史的な事実を正しく伝えているかは別として、これは形原松平家丹波亀山藩初代藩主の松平信岑を指していると考えられます。
琴滝が所在した市森村は、船井郡でも園部藩領ではなく亀山藩領に属していました。
松平信岑は寛延元年(1748年)に丹波篠山藩から丹波亀山藩に移封されており、新たな領地の中で、琴滝も気に入ったのでしょう。
後年、宝暦11年(1761年)に、39歳も年少の儒学者、京都の皆川淇園を賓師として招いたといった話も残ります。

市森の瀧
須知村字市森に瀑布あり、高さ十餘丈、幅六尺餘、樹木生ひ茂りたる間、奔流絕壁より降り、其狀恰も琴絃に似たるを以て、また琴瀧と稱す、
『船井郡地誌』

1896年(明治29年)の『船井郡地誌』によると、地名から単純に「市森の滝」とも呼ばれていたようですね。
この頃は「琴滝」が別称のような扱いを受けていますが、1915年(大正4年)の『船井郡誌』では「市森の滝」の称が消え、「琴瀧」のみとなっています。
松平紀伊守云々の話も、私が知る範囲では、この頃の地誌・郷土史には見当たりません。
『船井郡誌』では「乗鞍鹿鳴」「市森琴瀧」「花岡躑躅」「深野朝霧」「上野晴雪」「紅野蟲聲」「城址桃花」「美女名月」を「須知八景」としていますが、この「市森琴瀧」はいわゆる「八景」の基本的な様式(地名+事物・事象)に則ったものです。
須知でツツジの名所として知られていたのは紅野(蒲生野)ですので、「花岡躑躅」「紅野蟲聲」はやや不思議に思えます。
「乗鞍」は富田あたりの古い地名ですが、今は乗鞍古墳(カナヤ1号墳)に名を残すのみでしょうか。

また、平安時代中期に成立したとされる『大日本國法華經驗記』(本朝法華験記)(法華験記)の巻下における信誓阿閣梨の伝記や、平安院政期に成立したとされる『今昔物語集』の「巻十二 信誓阿閣梨依經力活父母語第三十七」(信誓阿閣梨、経力に依り父母を活かす)の話に見える「丹波國船井郡棚波瀧」(棚波滝)を当地に比定する説もあるようです。
それに従えば、さらに古く、平安時代頃には「棚波の滝」と呼ばれていたことになります。
法華験記や今昔物語集によると、棚波の滝に籠った信誓阿閣梨は安房守高階眞人兼博なる人物の三男で、天台観明律師の弟子としていますが、詳しい史料が残されていません。
より後世の『元亨釋書』(元亨釈書)では、釋信誓について、姓を高氏、その父は房州刺史とするに留めています。

冬ほたる2012 渓流のイルミネーションと「冬の蛍」 京丹波町
琴滝だけでなく、下流のイルミネーションもなかなか綺麗です。まさに「冬の蛍」。
こちらの渓流、大滝池・小滝池から流れ出て琴滝を落ち、須知川と合わさり、やがて由良川となり日本海へ流入する川ですが、名前は分かりません。
国土交通省河川局による河川コードは”8606090000″ で「名称不明」(由良川水系であることのみを示す河川コード)。

田園日記
(中略)
八月五日(第十二日)
(中略)
ざあざあと落ちる水の音にはつとあふげば、高さ十餘丈幅一丈餘りの琴瀧の、雄大な、壯快な、見ても凉しい姿だ。水は中央の岩の突起にあたつてはくだけあたつてはくだけして、其のしぶきはまた四分五裂し、「落ちてくだけてくだけて落ちて」といふがいかにもさうだつた。かうしたすばらしい眺めの中に、苔むした岩によぢりついて、山百合の花が一輪水にゆれて居るのはゆかしく見えた。
(後略)
『我等の田園生活 1927年刊』

京都府立京都第一中学校(現在の府立洛北高等学校)の生徒による、1928年(昭和3年)発行の『我等の田園生活』より。
表題の刊行年と奥付の発行年は異なる。

滝の上の池は昭和初期頃に貯水池(大滝貯水池)として築造されたようですが、その当時、8月上旬にヤマユリ(山百合)の花が琴滝の岩場に一輪咲いていたと見え、花期的にササユリ(笹百合)ではなく確かにヤマユリの可能性があり、もし事実であれば、京都府においてはきわめて貴重な記録でしょう。
ヤマユリ(エイザンユリ)は京都府では過去に比叡山以外での採集例や現存標本がなく、現在では絶滅種。
ただし、今も昔もササユリを指してヤマユリと呼ぶ方はいらっしゃいますので、実際のところがどうであるかは分かりません。
もちろん、花期が重なる他のユリと混同なさった可能性もあるでしょう。
記録なさった方が京都市育ちの方であれば、それまでにヤマユリを見る機会がなかったかもしれません。
当時の京都の人がいう「山百合」とは何であったか?
数年前、岩湧山の大滝の付近で、夏場にウバユリが咲いているのを見ましたが、あれは遠目にユリと感じるものでしょうか。

琴滝には「冬ほたる」の時期以外に訪れたことがありませんが、いつの日か、見晴らしの良い美女山ハイクと併せて訪れてみたいものです。
美女山の呼称は「美女の眉」に由来するとされますが、これはいわゆる翠黛山 で、当地に「美女の眉」と「青く(緑色に)霞む美しい山」が同義だとご存じの方、おそらく漢籍か古典に通じた方がいらっしゃったのかなと考えています。
江戸時代後期の学者・文人、頼山陽による命名とされる眉山(岐阜県岐阜市)も似た例ですね。

以上、2012年(平成24年)12月の話。

追記。
琴滝の冬の名物となっていた「冬ほたる」は2015年(平成27年)をもって終了しました。
長年、お疲れ様でした。

再追記。
公式サイトにも2022年(令和4年)頃から繋がらなくなりました。
今までありがとうございました。
いつの間にやら、琴滝の下流の北側に所在する須知城跡(古くは「市森城址」)も整備されたと聞きましたので、近いうちに訪れてみたい。
『船井郡誌』によると、この市森城址の山を「城山」と呼んだようです。
琴滝は四等三角点358.2m(点名「小ノ欠」)の山と城山の谷間に所在すると見なせるでしょう。

琴滝(地理院 標準地図)

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「琴滝(コトタキ)(ことたき)」
京都府船井郡京丹波町市森 付近

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Maro@きょうのまなざし

京都市出身、京都市在住。山で寝転がりながら本を読むか妄想に耽る日々。風景、遠望、夕日、夜景などの写真を交えつつ、大文字山など近畿周辺(関西周辺)の山からの山岳展望・山座同定の話、ハイキングや夜間登山の話、山野草や花、野鳥の話、京都の桜や桃の話、歴史や文化、地理や地図、地誌や郷土史、神社仏閣の話などを語っています。リンク自由。山行記録はごく一部だけ公開!