「『あべのハルカス』は京都から見える?」
京都府から超高層ビル「あべのハルカス」(大阪市阿倍野区)を望むにあたり、どこまで遠く離れた場所から見える(どこから見える、遠望できる、撮影できる)のでしょうか。
「カシミール3D」 を用いて、国土地理院が提供するベクトルデータ「基盤地図情報(数値標高モデル)10mメッシュ」(DEM10B)を基に「可視マップ」を作製、「京都府のどこから『あべのハルカス』が見える」か、その範囲を計算、調べてみました。
こちらでは、「『あべのハルカス』はどこから見える?」 と異なり、現地の状況を考慮せず、計算上、「あべのハルカス」が見える範囲(見える場所)を挙げています。
あくまでも計算上は見えるだけであって、実際に見えるかどうかは分かりません。
図の紫色の地点が計算上の「見える範囲」(可視エリア)となります。
京都北山(丹波高地)
峰床山
京都府京都市左京区、滋賀県大津市
「あべのハルカス」までの距離 約71km
わずかですが、京都府で2番目に高い山である峰床山が「見える範囲」に含まれており、計算上、「京都府から『あべのハルカス』が見える最遠望地点」 となります。
峰床山の山頂は大きく開けており、北西から南にかけて広い視界が期待できますが、間に所在する天狗杉(花背山)の木立に遮られるため、現状では「あべのハルカス」を明確に望むのは難しそうです。
ただし、条件しだいではビルの最上部が見える可能性があるでしょう。
後年、2014年12月時点の状況は上の記事に。
京都府の他の遠望が可能な地点
京都府最高峰の皆子山、さらに、滝谷山、ナッチョ(天ヶ森)、雲取山、天狗杉(花背山)など。
一般的に、雲取山は展望が期待できない山だと思われているようですが、あまり知られていない冬道に展望地があります。
その展望地は大阪方面も開けており、計算上では「見える範囲」に含まれていますが、実際に「あべのハルカス」が見えるかは未確定です。
京都府は「そこそこの距離」(30~60km)から「見える範囲」は広く、愛宕山、比叡山、金毘羅山、大文字山、東山山頂公園(将軍塚)、稲荷山荒神峰(伏見稲荷)、大岩山、醍醐山(上醍醐)、日野岳(日野山)、ポンポン山、天王山といった好展望の有名峰、あるいは京都タワー、京都駅ビルといった有名建築物が範囲に含まれており、そのいずれからも実際に「あべのハルカス」を見通せることを確認済ですが、それを上回る距離となると極端に範囲が狭まってしまいます。
60km以上の距離からに限定すると、天ヶ岳の展望地、ナッチョ(天ヶ森)の山頂、天狗杉(花背山)の山頂付近から「あべのハルカス」が見えることを確認しています。
杉ノ峠から元・NTT鞍馬無線中継所(俗に「花脊の鉄塔」や「花脊の電波塔」とも)へ入る車道は封鎖されており、進入口に大きく「立入禁止」と明示されているため、表立って立ち入ることができません。
そのため、ナッチョ(天ヶ森)と天狗杉(花背山)は、現状、違法性を伴わず、京都府下から「あべのハルカス」のおおむね全景、ならびに京都盆地周辺の都市風景を併せて広く望める有力な展望スポットとなっています。
比叡山の各展望地のうち、一本杉(京都精華大学叡山閣)、登仙台駐車場(ロテルド比叡の下、あるいは一本杉の横)、比叡ビュースポット(ケーブル比叡駅の南)、ガーデンミュージアム比叡(四明岳)、玉体杉(横高山の南)などから「あべのハルカス」を遠望できます。
比叡山は滋賀県の山だと思われがちですが、上記の展望地のうち、一本杉や登仙台、それに玉体杉は京都府と滋賀県の府県境、その他は全て京都府に所在するため、現状、比叡山から「あべのハルカス」が見える地点は、いずれも京都府にあたります。
最後に
現状、人類としての範疇を超えない身長の方が、地に足をつけた状態で峰床山から「あべのハルカス」を明確に望むのは難しいというのが私の見解です。
しかしながら、府最高峰の皆子山など、他の山も含め、京都府から遠望できる可能性を秘めた地点はまだ残されており、今後の視認例(確認例)、撮影例が楽しみです。
本記事の内容は2013年10月、ならびに2014年1月時点での見解であり、提供されるデータの更新により、今後、計算結果が変わる可能性があります。
京都府からハルカスさんの分かりやすい撮影例をお求めの方は上の記事も合わせてご覧ください。
追記
杉ノ峠の鉄塔が解体
本題とは無関係ですが、2018年(平成30年)11月末日頃より、元・NTT鞍馬無線中継所の撤去作業が始まりました。
この無線中継所については、当サイトでは以前より「元・NTT鞍馬無線中継所」としていますが、あくまでも「元」で、「電電公社鞍馬無線中継所」→「NTT鞍馬無線中継所」→「警察庁鞍馬無線中継所(京都府警)」と管轄が移ってきました。
京都府警はこの無線中継所を運用していないという話もあり、半ば見捨てられた状態となっていましたが、ついに解体されることに。
京都の山々や、京都盆地の多くの場所から見えていた、それどころか他府県からも見通すことができ、京都北山の方角を示す重要な指針となっていただけに残念です。
今までお疲れ様でした。
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